『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

あー、甘いものが食べたい・・・・・

2008年10月31日 | Weblog
昨日あたりから肌寒くなってきた。
運動不足で、そろそろサッカーをと思って再開したのが先週のこと。
ところが、先月末に痛めた左腕が一向に良くならず、
この一ヶ月間、ずっと左手の指が痺れている。
ギターは弾けるのだけれど、指の先の感触がいつもと違う。

医者には暫く運動を控えて、整形外科で首の牽引をしろと言われている。
それはともかく、とにかく運動不足で体がだるい。
膝にも痛みが出てきて、昨日は体重計に乗ってみたら・・・・・
なんと、このひと月で3kg太ってしまった。

我家の体重計は半年前まで体重や体脂肪率の記録が残っているのだが
1ヶ月前の体重が73.9kg、体脂肪率16.4%だったのに、
昨日は体重が76.9kg、体脂肪率19.4%になっていた。

ひと月で3kg。これは単なるデブです。
3kgって言ったら、スーパーで買う肉のパック6個分。
どうやってこの体に付いたのか?豚肉のスライスを毎日3枚ずつ
体に貼り付けているような感じです。

原因は運動不足に加え、会社が変ってタバコの量が極端に減った。
前は暇だったし、本社の設計は喫煙時間にルーズで殆ど自由。
ところが今度の会社は、喫煙所が遠い上に時間を守るといった空気が
会社にあって、抜け出して吸うという雰囲気も無い。
タバコを我慢するために、ガムを噛んだり飴を舐めたりしているうちに
徐々に体重が増え、加えて食べ物が美味しく感じて食べる量も微妙に増えた。
送別会や、歓迎会、同窓会などの飲む機会が年末より多かったのも
影響しているし、何しろ甘いもの好きの僕はついつい手が出てしまう。

考えてみれば、過去に2回ほど禁煙して一気に体重が10kg増えた事がある。
若い頃は体重が61kg、結婚した頃も63kgと痩せていた。
一時期禁煙をして、78kgまで体重が増えてから、70kg以下になったことが無い。
豆腐中心の食事にして、極力脂肪を取らないようにカロリーコントロールして、
去年の暮れに71kgまで落ちた体重も、今年の出張でまた76kgまでリバウンド。

運動不足はサッカーを再開すれば、またある程度は元に戻るけれども
医者には控えろと言われ、我慢してはいたが限度がある。
早速、今日はサッカーをやったのだけれど、それよりもまずは再び
豆腐中心の食事をまた始めなくちゃ!・・・・・

「健康のために喫煙を控えましょう」
なんて、誰が言い出したんだ?
少なくとも、僕はタバコを吸っている方が体重は増えないし
仕事の精神的なストレス解消や気分転換にはタバコの一服が欠かせない。

「タバコなんていい加減に止めろ」
なんて、勝手な事を言う輩に言いたい!
僕は太りすぎや、ストレス解消と云った「健康のため」に喫煙するのです。
愛煙家よ、やっぱり我々は意思を貫こうではないか!
あー、甘いものが食べたい・・・・・
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知り合いのブログを読んで

2008年10月30日 | Weblog
知り合いのブログを読んで思ったこと。
知り合いの女性のブログには、子供が生まれた時の事が書いてあった。
子供を生んだ時の戸惑いや、精神的な落ち込みなどが書いてあった。

みんな、それぞれの人生が有って歳を重ねてゆく。
僕も気がついたら、半世紀以上生きている。
いい事も悪い事も、沢山あった。
でもね、それだから良いのかな?何て思うことが良くある。

生まれてから何の苦労も無く、育ってきた若者が増えている。
喧嘩もした事が無い。他人と争う事をしないで、そういうストレスを
避けて生きてこられた人間が、最近凄く多い気がする。
だから、自分と違う考えを持つ人間とは一緒に生きてゆけない。
喧嘩のやり方も知らないから、人間同士の関わり合いも深くならない。

同じ色のものばかり集まって、コントラストの無い人間関係。
日本は「世界唯一の社会主義国家」なんて、言われてしまうほど
皆が同じである事に、安心感を得て生きている人たち。

白い色が一番目立つのは、黒い紙やどちらかといえば暗い色の上に色を塗った時。
人生も同じような気がする。
楽しい事や楽な事ばかりやっていて、当たり前のようになっていると
そういうことの有難さが解からなくなってしまう気がする。
嫌な事も、辛い事も沢山あるだけ、嬉しい事や楽しい事がある事に気がつく。
たった数十年の人生で、そんなコントラストのある人生を送ってきた自分は
ある意味で幸せなんだろうと思う。

一昨日の日記に書いた通り、人生って不自由だからこそ自由を楽しめる。
何も無い、単なる自由は、白い紙に白い絵の具で絵を描くようなもの。
明るく、明度の高い色だけで描いた絵も、綺麗だけれど何処か物足りない。
光があって陰がある。プラスがあってマイナスがあって、初めてバランスが取れる。

あはは、
何が言いたいのか解らなくなって、脈絡がなくなっちゃった。

でも最近、僕は嫌な事を沢山味わってきた事を、良かったと思うようになった。
ちょっとした嬉しい事で、幸せに思ったり、感謝したり出来るから。

残りの人生は、余り辛い事に遭遇したくは無いけれどね・・・・・
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「受け手の問題」

2008年10月29日 | Weblog
今日は一ヶ月半のブランクがあって、久しぶりに劇団の集まり。
公演以来、初めて顔を合わせた去年の相手役、アカリちゃん。
何だか、別人のように見えて女性の魅力が漂っている。
いつも何処か肩に力が入っているようだった彼女、
今日はそんな感じが無くなって、凄くゆったりした感じに見えた。
座長も同じ事を感じたらしく、二人でひそひそと、
「いい女になったねぇ」と親父トーク。

今日のレッスンは凄く面白かった。ある題材を二人で演じるのだが、
それぞれ皆違うシチュエーションになったのが、また面白かった。
内容を書くと長くなっちゃうので省きますが、今日のレッスンで
色々と思うことがありました。

まず、同じ言葉でも演じる側の表現次第で受け手、いわゆる見る側の
捉え方が全然変ってしまう事。
これは仕事で他人に何かを伝えようとする時の参考に、凄くなりました。
特に僕の場合、ストレートに物を言い過ぎて、相手に反感を買ったり
意図していない方向に解釈されてしまう事が良く有ります。

今日のレッスンで、自分の未熟さが凄く良く判った。
自分が言った事を違って捉えられると、「受け手の問題」と
一蹴していた部分があったけれど、自分の表現力が足りなかった、
相手の反応まで考えずに、一方的に喋っていた事が有る気がしました。
多分、間違いなくそうなんでしょう。

芝居では演技の中にリアリティーを盛り込んで表現するのだけれど
仕事では逆にリアルな会話の中にちょっとした芝居めいた部分を入れるのも
相手に対して、自分の言いたい事が解かりやすくなるのかな?なんて・・・・・
色々な意味で、これから若い人を育てる時の良い勉強になりました。

来年の公演は5月なので12月には台本が出来上がってくるそうです。
今日、座長から「次回は台詞が凄く多くなるからね」と言われました。
参ったなぁ・・・・嬉しいけど、そんな実力を持ち合わせていないから
また、台詞を覚えるのに苦労しそうです。
でも、劇団に入ってから初めて、仕事の人間関係によるストレスから
開放された環境で芝居に入れるので、いつもとは違うかも知れませんね。

次の公演での目標は、三つ有ります。
台詞をはっきりと早口にならないように喋る。
背筋をピッっと伸ばして、どんな時も姿勢良くすること。
それと唄をもっと上手く唄えるように練習する事。
今年の目標にしていたけれど、結局何一つ出来ていませんでした。

しかし・・・・
何度行っても。やっぱり劇団の集まりは何処か心が癒される。
さしずめ3世代同居の大家族。今日はまた、大好きなオバチャマから
「会社が変って後ろ盾があっても、決して驕る事なかれ」と、忠告されました。
たまに僕の態度が気に入らなかった時に、良く叱られたりするのですが
いつもその言葉には愛情がこもっている。
僕のことが好きだからきつい事を言って叱るんだそうです。
本当に有り難いですよ。
それだから、家族のように感じるのでしょう。

また、稽古と云う楽しい時間がすぐにやって来そうです。
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忘れていた自分

2008年10月28日 | Weblog
気がついたら、10月も終り。会社が変って、早くも一ヶ月になる。
今月は姪の結婚式が有ったり、サッカーの試合も有ったし、
37年ぶりの同窓会で、古い仲間と凄く楽しい時間を過ごしたり、
仕事とプライベートにメリハリがあった、一ヶ月だった。

同窓会で会った女性から「自由人してる」というメールを貰った。
確かに僕は、傍から見たら自由気ままに生きているように見えるかも知れない。
でも、それはちょっと違うんです。

自由って言うより、不自由ですよ。
結婚して不自由になり、子供が出来てさらに不自由になる。
会社に勤めていればもっと不自由な感じもする。

でも、自由って良いようでそうでもない。
一ヶ月前まで、会社で仕事を干されて会社に行ってもやる事が無かった。
なぜ、干されたのかは今となってはどうでも良い事だけれど、とにかく暇だった。

会社に行っても、誰からも頼られないから会社に行く時間も10時半。
昼まで遊んでいて、タバコを吸いに行っては席に戻ってインターネット。
昼休みになると、仲間とサッカーをやって楽しんだ後はまた午後から暇。
いわゆる自由な時間が沢山有りました。
誰ともコミュニケーションが無く、誰からも頼られない、
それは自由だけれど、自分の会社における存在価値は無かった。

思い切って部署から出る決断をして、幸いな事に今の社長に拾われた。
会社が変って、今までとは逆に色々な人から頼りにされる。
特に若い人が毎日のように僕に質問してくる。
これが何よりも嬉しかった。勿論、時間を惜しまず一緒に考え、丁寧に教えている。
タバコの時間も、サッカーの時間も凄く不自由になったけれど、
そんな事なんかどうでも良いくらい嬉しかった。
頼られているから、それに応えようと頑張る気力も湧いてくる。
常務や専務、社長に
「電気・機械・筐体設計の垣根を取り払って全体で高電圧技術の底上げをしたい」
と提言した。さらに直上の上司である専務に
「若い人と一緒に本社ではやらない冒険を、失敗覚悟でやりたい。」
と話したら、専務が嬉しそうに、後押しをしてくれると言ってくれた。

子会社に出向し、フィールドが変って本社に比べると不自由なようで、
実は仕事と云うことでは、逆にかなり自由になった。
自分がどうのと言うより、今は若い人たちが集まって来てくれるので、
彼らに自分の持っているものを全部分けてあげようと思っている。

不自由な中で、自由な時間を楽しむ。だからこそ一生懸命遊ぶ。
不自由だからこそ、自由な時間を作る努力をする、そしてその時間を
無駄にしないで、思い切り楽しむ・・・・・これが僕のライフスタイルです。
これは仕事にも当てはまるんだって事を、散々言っていた自分なのに
それを忘れていた自分を、この一ヶ月で思い出した気がする。
勿論、プライベートな事に関しては、理解ある嫁さんが居て
成り立っているんですけどね。

うーん、やっぱり僕は「自由人」なのだろうか?・・・・・・・
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プロとアマチュア

2008年10月27日 | Weblog
この日記を書くようになって、何度も書いているプロとアマチュアの違い。
今日は週明けで、気持ち良く一週間を始めようと思っていたのに
朝一番からガックリ来ることで出鼻をくじかれた。

そもそも、僕の専門分野である高電圧技術を舐めている連中が多すぎる。
電子顕微鏡と云うのは、高電圧電源が心臓部と言っても過言ではない。
それだからこそ、ずっと良いものを作りたいと思ってやってきた。

僕が飛び出した前の部署もそうだけれど、とにかく経験数年の素人が
いかにも判ったような顔をして、仕事をしている気になっているから困る。
今の子会社に来て、さらにそういう連中と付き合う羽目になっている。

何処の素人も、共通しているのが本に書いてあることを口にする事。
情報過多の時代、シミュレーションなどの道具が揃っていて、肝心な所を
自分の脳みそを使って考えない。

今日の相手もそうだった。部署が変った途端に、社長と専務から
とある電源メーカーの供給する電源の面倒をみてくれと言われた。
初めて出席した会議で、電源の開発が上手く進んでいないとの報告を聞き
出してきたデーターを見せてもらった。
「これ、本当に信用して良いのですか?」って僕が聞いたら、
相手はキョトンとした顔をして、自信たっぷりな口調で説明を始めた。
それを聞いて、僕がおかしいと思う部分を指摘した。
「僕の経験では、こんな波形にならないのだけれど・・・」と、理論的に解説した。
その途端、相手の表情が変わってそのうちに自信たっぷりな口調が消えた。

その翌日に、僕の指摘が正しかったのでデーターを取り直すという連絡が来た。
それ以来、逆に自信無さそうな口調になって、泣き言を言うようになった。
とにかく作ってきた電源を僕が評価するから持って来いと言って、
納入させたのだが、また不具合が見つかり評価は中止。
話を聞くと、どうも基本的な部分をきちんと設計していないらしい。

こういう連中が多いのは何故なのか?僕には理解出来ないのだけれど、
とにかく設計と云うと、回路図を描くことと勘違いしている輩、と云うのが共通点。
電気回路なんて、動くのが当たり前。ちょっとしたミスもあるけれど、
電気回路の設計ミスと云うのは、修正が利くからそんなに大事にはならない。

ところが基本的なところ、僕の仕事で言えば絶縁設計を手抜きすると
致命的なミスになる。そして、それが解かるのは、仕事がある程度進んだ
かなり後半になってからだから、性質が悪い。
こういうミスの尻拭いを何度やってきたか解からない。

要は、プロとアマチュアの違い。
野球で言えば、甲子園で活躍した選手だからと言ってもプロの世界では
通用しない例が結構多いのと同じ。
プロの世界と云うのは、誰でも出来る当たり前の部分はそんなに重要視しない。
と云うより、当たり前のように普通にこなす。それは全て経験値の積み上げ。
だからプロの技は、教えられてもそんなに簡単に身に付かない。
それなりに努力して、経験値を積み上げているのだから当たり前です。
目の付け所がちがうというのかな?そんなところを、チラリと見せたから
今日は一緒に居た若手から感心されてしまった。

かの天才イチローだって、実は物凄い努力をしている。
それを才能だけでやっているように見せるところが彼の凄さ。

プロの世界を舐めて欲しくないんです。
少なくとも、僕は一流ではないけれどプロフェッショナルを意識している。
アマチュアに毛が生えた程度の人間に、軽く見て欲しくないんだよね。
いや、やるのは一向に構わないけど、
軽い気持ちで、僕の領域に入って来て欲しくないのかな?
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2日続きのインチキシェフ

2008年10月26日 | Weblog
先週は同窓会の余韻で、昔の仲間とのやり取りが楽しかった。
何でもそうだけれど、何か新しい事や刺激的な事があると
単純な僕は、そういった事に心を奪われてしまう。

折角、巡り会った古い仲間とまた4年も会えないなんて
もったいない気もするけれど、かといって年がら年中会っていると
面倒臭くなっちゃうんだろうなぁ・・・・・
この辺りが、力加減の難しいところなんだろうな。
自分以外の人はどうなんだろう?

ここ一ヶ月くらい左肘に痛みがあって、左手の指先がずっと痺れている。
昨日も医者に見てもらったけれど、レントゲン撮影しても
肘に小さな軟骨が出来ているくらいで、それが原因とは思えなくて
結局、暫く激しい運動を控えるように言われてしまった。

元々、僕は若い頃に交通事故で痛めた首を完全に治さないで
サッカーをやり続けていたのも手伝って、頚椎が潰れてしまっている。
整形外科でヘディングはなるべく避けたほうが良いとも言われているし
実際、試合でヘディングを多用すると、翌日から暫くの間、
左側の肩甲骨の辺りがじんわりと痺れている事が良くある。
医者からも、整形外科で首の牽引をしてもらった方が良いかも知れないと
言われているのだけれど、毎日通わないと意味が無いみたいだし・・・・・

今日はサッカーの練習試合があったのだけれど、
そんな訳で今日は欠席。
暫く、通勤のウォーキングでメタボ対策をする事にします。
ただ、ギターを弾くのには影響が無いので良かった。

夕方から夕食用に創作鍋を作って、かなり美味しかったのでご紹介します。

「インチキ鍋」
スープは鶏がらベース。味噌を溶いて味噌ラーメンのスープみたいにする。
そこに豆板醤を大さじ1杯。
鳥の胸肉2塊を包丁で叩いてミンチにする。(ひき肉より荒っぽく)
それに長ネギのみじん切りを混ぜて、軽く塩を振って粒コショウを
包丁で砕いて混ぜる。粒コショウは50粒くらい、結構多めです。
ミルで挽いても良いかもしれない。(家には無かったので・・・・)
そのほかは油揚げ2枚を、細く切る(味噌汁の具のように)
しゃぶしゃぶ用の豚ロースを一人100g程度。
ほうれん草一束。(根元だけ切って茎と葉は切らない)
長ネギ2本。(なべ用に適当に切ります)

鍋に鶏肉を団子状にして全て入れます。
油揚げも全部入れてしまう。
後は豚肉をしゃぶしゃぶのようにして食べる際に、
ほうれん草をちょっと鍋に入れてさっと湯掻いて、
豚肉と一緒に取り出して、巻いて食べる。

鶏肉はコショウが効いて結構スパイシーだけれど、子供達には大うけ。
豚肉とほうれん草を一緒に食べるのも、結構いけます。
最後にラーメンの麺を入れて、味噌ラーメンのようにして食べます。
これ、体が温まって良いですよ。
2日続きで、インチキシェフのレシピでした。
興味のある方は、是非お試しあれ!
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ヘッポコシェフの、インチキ料理

2008年10月25日 | Weblog
今日は一日、何処へも出かける用事が無かったので
朝から自分の食べ物を勝手に作っていた。

まずは朝。
昨夜は、9時近くに帰宅したので、夕食に作ってあったハンバーグを食べなかった。
9時以降は出来るだけ食べないようにしているのです。
それで今朝はその残りを薄く半分に切って、焼き直しした。
ちょっと厚めのハンバーガー用って言う感じ。
これに玉ねぎを炒めたものを、薄焼きのトーストに挟んだ簡単なもの。
これ、一昨年に出張で行ったオックスフォードのサッカースタジアムの
入口で売っていたハンバーガーの真似。
食べてみたら同じ味になって満足。

昼は何だかドンブリ御飯が食べたくなった。
それで玉子丼や親子丼じゃありきたりなので、ちょっと変ったものを・・・
買い置きのサンマの蒲焼の缶詰を見つけて、それを使うことにした。
缶詰を開けて、行平ナベに並べる。
それにホンダシカツオの顆粒を100ccほどのお湯で溶いて
缶詰の中に残った煮汁を溶かして行平ナベに注ぐ。味付けはこれだけ。
あとは少し弱火でゆっくり加熱。その間に長ネギを細長く切ったものを作る。
ドンブリに御飯を入れて、その上にサンマの身を並べる。
そして用意してあった長ネギを飾り付けにして、ナベに残った煮汁を
強火でひと煮立ちさせてから、ドンブリに注ぐ。
これが結構いけるんですよ。ドンブリ一杯が軽く感じるお気に入り。
ちなみに数多いサンマの缶詰で一番美味しいのは、マルハのものですね。

夜はイタリアン。ピザとスパゲッティとサラダ。
子供と嫁さんたちは、ガーリックトマトソースのスパゲッティ。
僕は一人だけ、オリーブオイルでトマト2個とバジリコを混ぜて、
フライパンで軽く炒めたパスタに混ぜて、塩コショウ、ガーリックパウダーで
味付けしたものを作った。塩コショウをしっかりするのが美味しい。

てな訳で、今日は自分の好きなものを好きな味付けで食べた一日。
昼に食べたドンブリが、今日一番のレシピだったかな?
ヘッポコシェフの、インチキ料理ですけどね。
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いやぁ・・・・楽しみです。

2008年10月24日 | Weblog
そろそろ10月も終りが近づいてきましたねぇ。
今月は新しい職場と云うこともあって、ちょっと緊張していたけれど
それも最初の1週間だけ。あとは徐々にマイペースになってきました。

新入社員が、僕と一緒にこれからやろうとする実験の内容を
理解しやすいように実験する回路を解説してやっている。
自分なりに計算して、その答えがどの程度有っているのか?
電気回路は、紙の上の計算どおりにはならないという事を
体で感じて欲しいと思っているから。

特に僕の専門分野の高電圧回路は、直接測定できないから尚更だ。
新人君、一生懸命計算しては、解からなくなると聞きに来る。
でも半分解かっていれば、残りの部分は実験して覚えれば身に着く。
なまじっか教えてしまうと、その部分を判った気になってしまうから。
そういうやり取りをやっている自分が、凄く穏やかなのが嘘みたい。

これと同じ事を、数年前に前の部署の若手に教えた事がある。
その頃は、みんな素直で怒られながらも色々覚えてくれたのだけれど・・・・
解かってくるといつの間にか、何でも出来る気になっちゃうんだよね。
こちらのいう事に聞く耳を持たなくなってしまう。
少なくとも、失敗が許される状況では、それも悪くないと思っている。
僕はむしろそういう事をさせる方だ。
ただ、失敗してはいけない状況でも、聞く耳を持たなくなっちゃった。
おまけに僕が心血を注いだ仕事だっただけに、怒りが込み上げてしまった。

まぁ、それもひと月前に終わった。今はもう過去の事です。
少し嫌な思いをして、苦労して自分の甘さに気がつけば良いでしょう。
乗り越えたら、一つ成長できるわけだし・・・・

新人と平行して、自分も次のチャレンジを始めている。
10年以上前に設計した電源トランスの設計を、基本的なところから
計算してみようと、やり始めたのは良いけれど思ったほど進まない。
忘れているというより、ヤキが回ったなぁ・・・・・と云う感じ。
何だか悔しくて、また勉強。若い子にやらせりゃ良いのにね。
でも、自分が出来ないものを他人にやらせるっていう事は出来ないし。

50歳過ぎて、やることじゃない気もするけれど、新人と一緒に
計算して設計したものを実験するのは楽しそう。
今は親方と弟子の関係。
幸いな事に、僕の教え方を凄く気に入ってくれているみたいで良かった。
やる気もある子なので、すぐに追い越してくれるでしょう。
それを見て、3年目の子も食いついてきました。この子も素直だし、ユーモアもある。
3人でワイワイやって、もっと食いついてくる仲間を増やそう。
いやぁ・・・・楽しみです。
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僕にとって女性とは・・・・

2008年10月23日 | Weblog
明日は金曜日。待ちに待った週末です。
先週の土曜日にあった同窓会の余韻が、やっと抜けてきた処です。
37年ぶりに会った仲間との、新しい出会いは凄く新鮮だった。
その上、僕には凄くエキサイティングな集まりだった。

何でかなぁ?なんて、仕事柄とは言え、なんでも分析して理屈付けしないと気が済まない、
自分でも、面倒臭い性格だと思う、ゆうちゃんなのであります。

で、分析してみました・・・・・・。
考えてみたら、僕は多くの女性に出会って人生を楽しんできました。
結婚前の恋愛も、本当に沢山しました。
出会った人をすぐに好きになってしまうと言った特技もありましたねぇ。
相方Charlieも『またかよ・・・・』って、何度思った事でしょう。

でも、僕は中学校を卒業して進学した学校は男子校でした。
だから、高校以降の女性の友人というと、数人のグループだったり、殆ど個人だったり・・・・
その殆どは、口に出さなくても、好いた惚れたと云ったものが何処かにある間柄でした。
つまり、沢山の女性とそういった事を抜きで関わったのは中学校が最後だという訳。
だから同じ時間を過ごした昔の仲間と会うのは、そんなに珍しい事ではないけれど
こと女性の友達に関しては、展開が全く予想出来ない集まりだったのです。

悪戯や喧嘩などを共有した男の仲間との再会は、体型や髪型などの変わり果てた姿に
ある種の驚きはあったけれど、そんな事は十分に予想の範囲内だった。

ところが、女性に関しては全く予想がつかなかった。
予想通りに大人になっていた女性、いい女に変貌していた女性が居て、
いわゆる良い具合に歳を重ねた女性が居た。
逆に、えぇ・・・・・と、思うほどお婆さんみたいになってしまっていた女性も数人。
でも、それはほんの一握り。多くの女性は、若い頃の面影を残していて
それぞれ、良い顔つきをした女性になっている。
変ったのは、顔の皺と白髪の数くらいかな?それは僕だって同じです。

皆、それぞれの人生が有って、誰もが辛い事や悲しい事を経験して今がある。
それも僕だって同じです。
自分の人生が顔に出ていると言われて、鏡を見てしまうほどだけれど
少なくとも今は、会社のゴタゴタや嫌がらせから開放されて、最近は会社の連中からも
「なんだか、仕事が楽しそう。活き活きしてますねぇ」って言われるくらい
精神的に良い状態の時に、同級生と再会したのもグッドタイミングだった気がします。

ひと月前に同窓会が開かれていたら、多分、
活き活きとした「自由人」の顔にはなっていなかっただろうな・・・・・・って思う。

沢山の女性と知り合って、関わりあって、色んな意味で励まされ、叱られ、
精神的に支えられ、癒されて生きてきました。
僕にとって女性とは、いつもそういう存在だった。
同窓生と再会して、今まで無かった新しい付き合いが始まる。
良き友人、良き仲間。
でも、心の中ではもう既に励まして貰っている。癒されてもいる。
やっぱり、出会った女性に支えられて生きてゆく事には変わりが無いのだなぁ・・・・
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「ガキ大将が会社にも必要だ」

2008年10月22日 | Weblog
今日は色々と考えることが多かった。
昼間に見た、ビジネス関係の記事。
「ガキ大将が会社にも必要だ」と云う、元花王会長の後藤卓也氏の話。

昔はガキ大将が居た。子供の中心に居て、喧嘩が強いだけではなく
小さい子には優しく、周りの個性を把握して集団を統率していた子供だ。
僕が小学生の頃に住んでいた埼玉県の熊谷市には、そういった子供の文化があった。

僕が住んでいたところは商店街の中。親父が保険会社の営業をやっていて
営業所を兼ねた住宅が商店街の中にあったと言うわけだ。
そして熊谷市と云うところは、地域の繋がりが非常に強かった。
と云うのも、「うちわ祭り」という歴史のある祭りがあって
市内の地域毎にそれぞれ山車があって、お囃子をやったりして、
それを保有するコミュニティを住民が形成していたからだと思う。
東京のみこしの町内会も同じだと思うけれど、明らかに違うのは子供の組織。

東京には広い空き地や、解放された学校の校庭やグラウンドが無い。
昔はあったのかも知れないが、僕が昭和42年に引っ越した東京の郊外、
今の西東京市ですら、中学校のグラウンドが熊谷の中学校の三分の一しかなかった。
当然、都心には土のグラウンドすら珍しく、直線で100m取れる校庭などは殆ど見た事がない。
そういう地理的な環境も含めて、熊谷市には地域毎にガキ大将が居た。
そして地域の中で野球チームが出来て、他の地域のチームに試合を申し込んだり・・・

確かに子供の遊びに、大人が介入する事など全く無かった。
学校の運動会ですら、分団と称した地域の対抗競技があったくらいだから
その代表を決める大将の眼力はしっかりしていないと駄目だった。
そういやぁ、リーダーたる大将=子ども会の会長ではなかったけれど
子ども会や夏祭りなどで、適任者を選んで集めてはそれらを運営して、
子供達の社会を統率していたなぁ・・・・。

後藤氏の記事にもこんな事が書いてあった。
『自然に野球チームができて、そこの親分がライバルの親分と話し、
何日に、あの広場で試合やろうと交渉する。都会ではもう見られなくなった光景です。
現代の子供は塾や習い事に忙しいし、大人が作ったお仕着せのサッカークラブや、
野球クラブに所属して活動しています。昔は学校の校庭は放課後、好き勝手に遊べました。
でも今は管理責任を問われるので、学校から帰してしまう。
子供だけでのびのび遊べる場所がないのです。』

要はガキ大将の生まれる土壌が無くなっている。
こういった現象は都会から、今や地方都市にまで波及している気がします。

会社の中で、本当のリーダーシップを発揮できる人間が育たないのは、
『ガキ大将』的に自分の意思を持って、自分の見込んだ人間を動かして
集団を引っ張って行くような人間が育っていないからかも知れない。
上から言われたとおりに仕事を進める人間が重宝され、マイペースで
伸び伸びと仕事をする、いわゆるアウトロー的な人間は、組織の中から排除されてしまう。

僕はリーダーには向いていないが、リーダーの下で強い意志を持って力を発揮して
組織に貢献するタイプだと自分を分析している。
サッカーで言えば、センターバック的な存在かな?
実際、そのポジションをやっていたし、性に合っていた気がします。。
格好をつけた言い方をすると、武田信玄より、山本勘助、豊臣秀吉より石田光成
と言ったタイプかな?

奇しくも組織を飛び出して今の会社に異動する際に、本社の専務が僕の事を
『お前は野武士』と称した言葉は、時に上からの命令に完全に従わなくても、
最終的に結果を出す人間が組織にとって必要だと言っていたように思う。

今度の会社で『ガキ大将』になれるかな?
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楽しい時間、復活?

2008年10月21日 | Weblog
この3週間で呑みに行くことが多くなった。
元々、酒を飲む習慣が無いのでちょっと生活リズムが変っちゃった。
今日も帰りがけに、本社で仲の良かった御仁と駅で遭遇して
1時間勝負でビールを3杯ほど飲んで帰って来た。
10月に入ってから、呑まない週は一回も無い。

それで、これではいかんと思って今日は昼間のサッカーをやりに
本社まで自転車で出かけて、30分ほど汗を流して帰って来た。

本社に居る頃は、12時のチャイムが鳴ると、そそくさとロッカーへ。
デスクからロッカーまで、5分ほどかかる。
社内で一番遠い場所だった。
それで着替えてグラウンドに出るのが12時10分。
5分ほどそれぞれがアップやストレッチをやって、
大体12時15分にミニゲームが始まって、目安として20分。
切りの良い所で終りになる。
20分間とは言え、ゲームは走るスピードが結構有る上に、
若い子相手だから運動量も多くてヘトヘトになる。

今日は昼休みと共に、会社の自転車を使って本社まで移動。
到着が12時5分。
つまり、時間的には本社に居る時と殆ど変わりない。
3週間ぶりにみんなと会って、早速ゲーム。
2週間のブランクがあったけど
何故か今日は体が軽くて、思った以上に走れた気がする。
ボールも良く回ってきたし、パスもポンポンと回せて良いサッカーが出来た。

何でも、やってみないと解からないもの。
行き帰りの面倒臭さばかりが頭を支配していて、肝心の楽しい時間を忘れていた。
毎日、汗を流す事が出来る環境に有る事を感謝しなくちゃいけないね。
それにサッカーをすると、体がシャキッとして午後もやる気が出る。
自分を甘やかすと、どんどん楽な方向に行く。
そして待っているのは、重い体と無様な腹。
二重顎だけにはなりたくないし、トイレで自分の分身を確認できなくなったら、
人生終りだと思ってる。

あぁ、そんな努力も飲んでしまうとパーなのに・・・・・
誘われると断れない性格が、恨めしい・・・・・
バカヤロウ!誘うんじゃねぇよ・・・・・
なんて、お下品な言葉を吐いてしまいましたわ・・・・おほほほほ
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古い友と、新しい出会い

2008年10月20日 | Weblog
一昨日の同窓会は本当に楽しかった。
自分がずっと抱いていた、中学生の頃の自分のイメージと
友人が感じていた僕に対するイメージが随分違っていたのだと、
37年経って初めて知った。
自分はもっと目立たない、いわゆる地味な存在で居た気がしていた。

元々、小学校まで目立ちたがり屋だった自分が、田舎から東京へ転校してきて、
卒業まで、何処か都会の連中について行けていない感じが、ずっとあった。
いわゆるコンプレックス。いつも何処かでそういう感じを抱いていた。

そして、その反動から高校に入ってから、少し行動が大胆になった。
サッカー部の練習が無い時は、バイトをやったりして小遣い稼ぎをしながら、
お金を貯めてギターを買って、バンド活動を始めた。
バンド活動も学校の文化祭でやるのなら誰でも出来るからと言って
外部のアマチュアコンサートに出るようになった。
そして、いつしか「私は泣いています」のヒットで知られる、りりぃの前座をやり、
19歳の夏に自分主催のコンサートを中野文化センターで開催した。

その当時に知り合ったのが、今の相方Charlie。
そしてその後にCharlieとトリオで、「演劇集団・円」の研究生の卒業公演で
芝居の中で生演奏をするといった、その当時としては大胆な試みをやっていた。
その頃から、就職なんて眼中に無く、仲間の伝手でライブハウス「モンド」に参加。
そして舞台照明にのめり込み、有名なミュージシャンのスタッフなどもやった。

その後、今の会社に入っても、会社で一番目立つとにかく、「一番」である事に憧れ
後継者を探していた超高圧電子顕微鏡の仕事に飛びついた。
いつも、自分にはそういったチャンスが巡ってきていたのも事実。
でも、そういった運を呼び寄せる力、チャンスが巡ってくる力は
自分で掴んだのではなく、周りに居た人に恵まれていたからだって、いつも思う。

今の趣味、
音楽はCharlieやDERA氏と知り合わなければやっていなかっただろう。
芝居も叔母がやっていたから。その叔母が急死して、入れ替わるように劇団に
入ってから、沢山の姉さんや若い子たちに囲まれ、自分の実力以上の役を、
みんなに見守られながらやらせて頂いて来た。
サッカーもそう。
今の会社の全盛期のメンバーに巡り会わなければ、多分続いていない。
いずれも「こんな人たちと出来るんだぁ」って、音楽も芝居も、サッカーも
そう思ってやってきた。
そんな自分の人生の始まりは、中学時代のコンプレックスから始まっていた。

ところが、同窓会に出てみるとそうでも無かったようだ。
そこそこの存在感があったらしく、同級生の美女(???)達や、阿呆な男友達から
思いがけず、声を沢山かけてもらって、何だか嬉しくなっちゃった。

メールアドレスを交換した同級生から
「一目見て自由人してるって思いました。人に恵まれて時を重ねられたのでしょう、いい顔をしてました」
なんて、メールを頂きました。
顔にそんなのが出るのかなぁ?なんて、トイレで鏡を見てしまったり、
相変わらず阿呆なオヤジなのでありますが、人に恵まれて・・・・と云うところは
素直に頷いてしまった。

そうなんだよね。少なくとも僕は、知り合った人たちを大切にしてきました。
時には、気付かない所で傷つけたり迷惑もかけてきたでしょう。
でも、逆の場合も凄く沢山有った。精神的にどうしようも無いくらいの時もね。
そんな時にいつも支えられたのも、やっぱり人なんですよ。

今度の同窓会は、自分の知らないところで、それなりに頑張っている自分を
観てくれていた友人が沢山居たって事に、凄く感激しました。
古い仲間が、これから先の新しい人生を作ってくれる気もしてきた。
古い友達と、新しい出会いをした・・・・・と云うほうが、正しいかな?
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まるで、タイムスリップ・・・

2008年10月19日 | Weblog
昨日は同窓会。家からバスで15分の所。油断して5分ほど遅れて到着。
ホテルの8階を貸しきった同窓会。入り口に幹事が居た。
『おお、久しぶりじゃないか』と、声をかけてきた男は、
中学生時代に一番仲が良かったK氏。
中学校で花形スポーツだったサッカー部のGKだった男である。

この男が、野球少年だった僕に、サッカーの楽しさを教えてくれたと言って良い。
スポーツ万能のK氏は、野球をやっても、とにかく何でも上手かった。
そして何よりもK氏の魅力は、他人に対して優しいところだ。
確か、父親を早く失って中学校の頃から、母上の腕一つで育てられていたと記憶する。
本人が意識するでもなく、学校ではみんなの中心に必ず居て、
そして分け隔てなく、誰とでも付き合う男で、女の子には勿論のこと、
むしろ男にモテる、格好良い奴だった。

中学校の同窓生が12年前に急死したのをきっかけに、
オリンピックイヤーの4年ごとに開催するという
この同窓会もK氏の発案で始まった。
12年目の今回は4回目にあたり、僕は初めて参加した。
なんでも、僕は連絡が取れない人間で「行方不明」扱いされていたそうだ。

名札を受け取ると、中学生時代の顔写真が貼られていて、
女性の名札には旧姓で名前が書かれていて、判り易くしてあった。
中に入ると、最初に目に入ったのが優しくて、おっとりしたお嬢さんだったE本さん。
中学生のまま、そのまま大人になったって言う感じですぐにわかった。
向こうも、僕のことがすぐに判ったみたい。
相変わらずおっとりとした喋り方で予想通り、中学生からそのまま大人になっていた。

最初に記念写真撮影。男の連中は顔を見ても誰が誰やらサッパリわからない。
女性も数人しか判らず、「まぁ、こんなものかな?」と思いながらカシャ!!

そしてクラスごとに振り分けられたテーブルに行く。僕はG組。
行ってみるといきなり声をかけてきたのがY氏。
学校の隣に家があって、学校のフェンスの金網が破られていて、
いわゆるショートカットの主。
日曜日の夕方になると、必ずといってサッカーをやって遊ぶ仲間が校庭に集まり
時間になると、この金網からおもむろに出てきてサッカーに加わった仲間。

そして、次に向こうから挨拶してきたのが野球部で、ずっと一緒にプレイしてきたN氏。
彼とは身長差が20cmくらい有ったのだけれど、僕が追いついて「大きくなったなぁ」だって。

女の子(と言う表現が正しいかどうか?)はというと・・・・
居た居た、いつもお喋りして仲良しだったE藤さん。
彼女は良い意味で、僕の好きなタイプの「いい女」に変身していた。
それも紬の着物じゃないの・・・・
いつも年下の弟を見るような目で、僕を見ていたE藤さん。
それは今も変わらないかなぁ・・・
それに近所だったN雲さん、よく話をした大人し目のO本さんも・・・・

隣のクラスのF組のテーブルには僕の「マドンナ」、みっちゃんがいた。
相変わらず美人で光ってる。でも、透き通るような綺麗な声が
まるで青江美奈のような声に変わってしまっていてびっくり!

そしてC組のテーブルでは、中学二年生の時に交換日記を書いていた千恵ちゃんが居て、
僕が同窓会に現れるのを、ずっと待っていてくれたそうだ。
その当時の話をして、ちょっと照れ臭かったけど、相変わらず可愛くて、お姉さんで、
何だかちょっと甘酸っぱい感じの再会になった。

嬉しいことに殆どの男連中が、僕を見つけて声をかけてくれた。
自分はあまり目立たなくて印象が薄い存在・・・って思っていたのだけれど
華やかなサッカー部の向こうを張って、必死に野球をやっていた僕。
その当時グラウンドを独占していたサッカー部に対して、僕の野球部だけでなく
テニス部やバスケット部、バレー部の連中も多かれ少なかれ不満を持っていた。
そんな折、最後の大会2週間前に、「グラウンドを空けろ」と言って、
そのサッカー部にグラウンドを一日空けさせた事があって、
その時の事を他の運動部の連中が注目していたらしく、覚えてくれていた。
「お前は十分、目立ってたよ」「お前が居なくちゃ!」と、運動部の連中は言ってくれた。

そして面白いのは、僕は殆どの人の間で「野球部の主将」、「背が小さな野球少年」
というイメージが浸透していたこと。中学校で野球がつまらなくなり、
卒業後にサッカーにのめり込み、今でもやっていると話しても最初は誰も信じなかった。

そうやって話をしていると、どんどん皆の名前が浮かんできて、
しまいには顔までがその当時の顔に見えてくるから不思議。
まるでタイムスリップしたかの様な時間と空間。
こんな不思議で楽しいひと時を過ごすのは始めての経験。
歳を取っても、相変わらず僕を知っている女の子からは子供扱いされ
「大人になったねぇ」と言われるし、
30年以上経っても、生徒会をやっていた連中は相変わらず幹事の一部を担っている。

2次会の後で、飲みすぎちゃった元クラスメートの女性との間でちょっとした
ハプニングもあったりしたが、3次会まで皆と飲んでタイムリミット。
そこで皆と別れ、最後まで飲み足りなくて残った4人で2時近くまで飲んでいたかなぁ?
大切な記念写真を飲み屋に忘れて、今日になって思い出して取ってきた。
なくならないで良かった。でも、本当に楽しかった。
素直に、「同窓会ってこんなに楽しいんだ」と思った。

いくら書いてもきりが無いので、また明日にでも続きを書こうかな?
こんな空間を作ってくっれたK氏や幹事の邦江ちゃんに感謝!
ありがとう。
あと4年、しっかり生きなくちゃ!!
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Who’s FAT?

2008年10月17日 | Weblog
秋らしくなってきて、朝は袖が無い服ではちょっと寒い。
それでも昼間はポカポカの日差し。
今度の会社に移ってから、昼のサッカーを出来ずに居るが
昼休みは、会社が作った喫煙用のウッドデッキで日向ぼっこしながら
タバコを吸う時間が、今のところ昼の楽しみと言ったところ。

だけど、この2週間で2Kg増えちゃった。
僕は簡単に太るので、サッカーを中断するのが一番困る。
一昨年10月から、1ヶ月半のオックスフォード出張で6Kg、
その後帰国してから、食事に気をつけてやっと5Kg落としたところに
今度は会社の新館建設でグラウンドが使えず、卓球で汗を流していた。
それなのに、今年の1月から5月までの仙台出張でまた4Kg太ってしまった。

不幸中の幸いは、6月以降は仕事に恵まれず、会社に行く目的は
昼休みのサッカーと、雨の日の卓球。部署も公認のプロスポーツ選手だった。
そのお陰で、4ヶ月で実に4kg体重が落とせて、72Kgまで体重が減った。
そういった意味では、前の部署に感謝しなければいけなかった。

せっかく体が軽くなってきたのに、10月から会社が変わって朝早くなった。
それで、食事も朝中心型だったのが、昼にシフトしてしまった。
加えて、昼は日向ぼっこ。その結果、2週間で2Kg太り74Kgになったという訳。

74Kgと言うのは、膝の痛みが出るので直ぐに判る。
去年は70Kgを斬るのが目前だったのに、会社のグラウンドが使えなくなったりと、
何かしら運動を阻む要因があったけど、今は折角、特例で本社に
ロッカーが残されているので、来週から、昼休みは自転車で5分の本社まで出かけて
サッカーをするつもり。スパイクやシューズはロッカーに置いておける。
着替えも1週間分持って行って、着た分だけ持って帰れば何とか続くかな?
今度は自分の気持ちだけの問題かも知れない。しかし、
・・・・・・・体が重い。
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こりゃ、燃えますわぁ・・・・・

2008年10月16日 | Weblog
新たなる意欲が沸いて来ました。
何のことは無い、部署が変わったばかりの仕事の話です。

元々、自分が立ち上げた高電圧技術のチーム。
それ以前は20年以上、大した実績も無い「生き字引様」が君臨していて
技術の継承が出来ていないでずっと来ていた。
元本部長が、後身が育っていないのを見て、会社の将来を憂いていた。
その元本部長が、僕の実績を買ってくれて後継者を育てるために
いわば強引に立ち上げさせられたチームだった・・・・・・。

のはず、なんだけど・・・・・・、
いつの間にか、よそから来た訳の解からない素人に主の座を奪われて、
ついでに仕事を干され、最後には追い出されてしまった。

それを裏で操っていたのが元上司の「生き字引様」だから性質が悪い。
結局、チームは20年前の「生き字引様」体質に戻ってしまった。
「生き字引様」も、何も解からない素人に対して、自分の影響力が行使できて
真近に迫った定年後の、雇用延長を確保・・・・と云う処でしょう。

まぁ、もうそんな事はどうでも良くなっちゃった。
好きなようにやって頂戴、あんなものくれてやるよ・・・・
って、今はそんな気分。

その高圧チームに、今年の新人が配属された。
「生き字引様」の仰せで、20年前の技術を勉強会と称してみんなでやっている。
確かに座学の知識だけはどんどん上がっている。
シミュレーション好きのリーダーは、新人にシミュレーションを
やらせている。
大先輩がそれを見て「可哀想になぁ」と言うくらい、
経験からくる裏づけが無い、バーチャルの世界で知識だけが増えてゆく。

今度の部署は、高電圧技術の事を全く知らない。
20年以上も前に設計した電源をいまだに使っているほど
技術者が育っていない。
かといって、本社の技術が凄いのか?と言うとそうでもない。
コピーやトレースでしか、物が作れない。
そういう意味では、レベルは大して変わらない。

今度の部署にも前出の新入社員と同じ学校を出て、
同期入社の新人が電気設計部署に配属になっていて、
奇しくも僕のやっている高電圧技術を教えて欲しい、と頼まれた。

これは面白い。
同じ条件で二人の人間を、別のやり方で育てるわけだ。

かたや、座学で積み上げた知識と、シミュレーションが得意な
経験より知識と言う主義で、経験3年の現代風技術者の下。

もう片方は、経験こそが知識。座学で覚えた事だけの人間を
「見てきたような嘘を言う嘘つき」と考えていて、
根性と礼儀を重んじる職人肌の荒くれ親方みたいな
経験22年の典型的な体育会系、親方技術者。

いわば上司と部下の関係の向こうに対して、こちらは完璧な親方と弟子。
一級建築士と、宮大工の棟梁の差ぐらいある環境の違い。
どちらが不幸か?判らないが、とにかく数年後には二人の
レベルを比べてどちらが技術者として育っているか?が判る。

と言うわけで、向こう何年かで前にいた部署の新人より、
しっかりと設計が出来る人をこちらで育てようという意欲が沸いて来ました。
いや、生意気な礼儀知らずの若造程度なら、簡単に追い越させてあげましょう。

こりゃ、燃えますわぁ・・・・・
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