今日から連休です。
今年の連休は天気に恵まれるようですね。
でも、我家は二人の娘が高校と中学に入学したばかり。
流石にもう、父親と何処かに出かけるよりも学校の友達と遊ぶ方が多いです。
それでも、一緒に出かけるのを嫌がらないだけマシかな?なんて思ってます。
今日は嫁さんと、子供の事で虎ノ門まで出かけてきました。
まるで夏のような日差し。
丁度お昼時で、虎ノ門界隈はサラリーマンがそそくさと、沢山歩いていました。
僕の昼休みはサッカーをやって、シャワーを浴びて、サンドイッチ程度の
簡単な食事なので、食堂やレストランで食事をするっていう事は、
出張のとき以外には経験無い。
おまけに出張でも混んでいる時間を外すので
昼休みのオフィス街と言うのは、僕には別世界のように思えました。
虎ノ門という場所には凄く思い出があります。
今、音楽を一緒にやっている相方Charlieとの長い音楽の関係は
ここ、虎ノ門を抜きに語れないのです。
僕が19歳の頃だから、今から34年前。
僕とCharlieは有名な劇団「円企画」の研修生がやる、芝居の音楽をやる事になった。
そもそも、仕事を請けたのはもう一人のギタリストD氏だったのだけれど
D氏は、就職一年目。仕事の関係で、自分が出来なくなって僕に話を持ちかけた。
そして僕は、兼ねてからステージを観て気になっていたCharlieに声をかけた。
二人の他に、僕が組んでいたバンドでキーボードを弾いていたN氏を加えた3人で
インストロメンタルのバンドを急遽結成した。
芝居は安倍公房の「円盤来たる」。演出は円企画の大谷朗氏。
芝居の中で、場面ごとに流す楽曲を5曲くらい作曲して演奏した。
当時では芝居に合わせて、舞台の端っこで生演奏をするのは凄く斬新な感じがした。
その時の編成は僕がベース、Charlieがギター、それにN氏のハモンド。
N氏の作曲だったけど、なかなかイケてるジャズっぽいオリジナルでした。
虎ノ門へ毎週末に通い、そのほかの日はN氏の自宅で練習したり。
芝居は1週間くらいやったのかなぁ?
バンドの名前は、その当時発売になったばかりの「ビックマック」。
虎ノ門にある、森ビルアネックスだったけど、沢山あって覚えていない。
ただ、あの頃は本当に一生懸命練習したし、芝居の稽古に合わせての練習も
劇団の人たちと、長い時間一緒にやった。
あの頃はまだ、芝居にのめり込む事はなかったけれど、プロの養成所だけに
役者さんが凄くナーバスになっていたり、時には僕らのミスに怒ったり
色々と大変な事を乗り越えて、本番に臨みました。
そんな虎ノ門。なんだかとても懐かしくなりました。
あれがあったからこそ、僕は舞台の仕事に本気でのめり込んで行ったし
それ以来、Charlieとはずっと一緒に音楽をやり続けてきた。
20代前半は、3人グループでアマチュアコンテストに出たことが多かった。
D氏の転勤で、二人きりになってしまったのをきっかけに
今の演奏スタイルの原型になるデュオでやるようになった。
西銀座デパートにあったローディープラザのステージに出演したり
成城学園のレストランで弾き語りをやったりと、演奏する機会が多かった。
20代の後半から30代はドラム、ベースを入れてロック色が強くなって、
D氏の転勤先の仙台や都内でパーティーのバンドみたいな事を
40歳過ぎまで続けていたが、ドラムとベースの海外出張で、一時活動休止。
それ以来、残された3人は結局オリジナルスタイルに戻って、たまに練習する程度。
4年ほど前に、友人がライブハウスを開いたのをきっかけに3人でライブ活動を再開。
その活動も、事情があって去年から二人きりになった。
でも、20代のスタイルに戻ったって言う感じかな?
あの頃の土日は、昼から夜までCharlieの家で作曲も含めて、二人で練習ばかりしていた。
晩御飯はCharlieのお母様が作ってくれて、僕の分がいつもありました。
そういう蓄積があるので、今の二人は本当に息が合っている。
もう少し、ギターの練習をすれば歌の方はそれなりに聞かせる自信はある。
そんな僕らの音楽の歴史が始まった虎ノ門。
何だか、凄く色々な事を思い出しながら歩いてきたのです。
今年の連休は天気に恵まれるようですね。
でも、我家は二人の娘が高校と中学に入学したばかり。
流石にもう、父親と何処かに出かけるよりも学校の友達と遊ぶ方が多いです。
それでも、一緒に出かけるのを嫌がらないだけマシかな?なんて思ってます。
今日は嫁さんと、子供の事で虎ノ門まで出かけてきました。
まるで夏のような日差し。
丁度お昼時で、虎ノ門界隈はサラリーマンがそそくさと、沢山歩いていました。
僕の昼休みはサッカーをやって、シャワーを浴びて、サンドイッチ程度の
簡単な食事なので、食堂やレストランで食事をするっていう事は、
出張のとき以外には経験無い。
おまけに出張でも混んでいる時間を外すので
昼休みのオフィス街と言うのは、僕には別世界のように思えました。
虎ノ門という場所には凄く思い出があります。
今、音楽を一緒にやっている相方Charlieとの長い音楽の関係は
ここ、虎ノ門を抜きに語れないのです。
僕が19歳の頃だから、今から34年前。
僕とCharlieは有名な劇団「円企画」の研修生がやる、芝居の音楽をやる事になった。
そもそも、仕事を請けたのはもう一人のギタリストD氏だったのだけれど
D氏は、就職一年目。仕事の関係で、自分が出来なくなって僕に話を持ちかけた。
そして僕は、兼ねてからステージを観て気になっていたCharlieに声をかけた。
二人の他に、僕が組んでいたバンドでキーボードを弾いていたN氏を加えた3人で
インストロメンタルのバンドを急遽結成した。
芝居は安倍公房の「円盤来たる」。演出は円企画の大谷朗氏。
芝居の中で、場面ごとに流す楽曲を5曲くらい作曲して演奏した。
当時では芝居に合わせて、舞台の端っこで生演奏をするのは凄く斬新な感じがした。
その時の編成は僕がベース、Charlieがギター、それにN氏のハモンド。
N氏の作曲だったけど、なかなかイケてるジャズっぽいオリジナルでした。
虎ノ門へ毎週末に通い、そのほかの日はN氏の自宅で練習したり。
芝居は1週間くらいやったのかなぁ?
バンドの名前は、その当時発売になったばかりの「ビックマック」。
虎ノ門にある、森ビルアネックスだったけど、沢山あって覚えていない。
ただ、あの頃は本当に一生懸命練習したし、芝居の稽古に合わせての練習も
劇団の人たちと、長い時間一緒にやった。
あの頃はまだ、芝居にのめり込む事はなかったけれど、プロの養成所だけに
役者さんが凄くナーバスになっていたり、時には僕らのミスに怒ったり
色々と大変な事を乗り越えて、本番に臨みました。
そんな虎ノ門。なんだかとても懐かしくなりました。
あれがあったからこそ、僕は舞台の仕事に本気でのめり込んで行ったし
それ以来、Charlieとはずっと一緒に音楽をやり続けてきた。
20代前半は、3人グループでアマチュアコンテストに出たことが多かった。
D氏の転勤で、二人きりになってしまったのをきっかけに
今の演奏スタイルの原型になるデュオでやるようになった。
西銀座デパートにあったローディープラザのステージに出演したり
成城学園のレストランで弾き語りをやったりと、演奏する機会が多かった。
20代の後半から30代はドラム、ベースを入れてロック色が強くなって、
D氏の転勤先の仙台や都内でパーティーのバンドみたいな事を
40歳過ぎまで続けていたが、ドラムとベースの海外出張で、一時活動休止。
それ以来、残された3人は結局オリジナルスタイルに戻って、たまに練習する程度。
4年ほど前に、友人がライブハウスを開いたのをきっかけに3人でライブ活動を再開。
その活動も、事情があって去年から二人きりになった。
でも、20代のスタイルに戻ったって言う感じかな?
あの頃の土日は、昼から夜までCharlieの家で作曲も含めて、二人で練習ばかりしていた。
晩御飯はCharlieのお母様が作ってくれて、僕の分がいつもありました。
そういう蓄積があるので、今の二人は本当に息が合っている。
もう少し、ギターの練習をすれば歌の方はそれなりに聞かせる自信はある。
そんな僕らの音楽の歴史が始まった虎ノ門。
何だか、凄く色々な事を思い出しながら歩いてきたのです。