『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

全てはここから始まった・・・

2008年04月30日 | Weblog
今日から連休です。
今年の連休は天気に恵まれるようですね。
でも、我家は二人の娘が高校と中学に入学したばかり。
流石にもう、父親と何処かに出かけるよりも学校の友達と遊ぶ方が多いです。
それでも、一緒に出かけるのを嫌がらないだけマシかな?なんて思ってます。

今日は嫁さんと、子供の事で虎ノ門まで出かけてきました。
まるで夏のような日差し。
丁度お昼時で、虎ノ門界隈はサラリーマンがそそくさと、沢山歩いていました。
僕の昼休みはサッカーをやって、シャワーを浴びて、サンドイッチ程度の
簡単な食事なので、食堂やレストランで食事をするっていう事は、
出張のとき以外には経験無い。
おまけに出張でも混んでいる時間を外すので
昼休みのオフィス街と言うのは、僕には別世界のように思えました。

虎ノ門という場所には凄く思い出があります。
今、音楽を一緒にやっている相方Charlieとの長い音楽の関係は
ここ、虎ノ門を抜きに語れないのです。

僕が19歳の頃だから、今から34年前。
僕とCharlieは有名な劇団「円企画」の研修生がやる、芝居の音楽をやる事になった。
そもそも、仕事を請けたのはもう一人のギタリストD氏だったのだけれど
D氏は、就職一年目。仕事の関係で、自分が出来なくなって僕に話を持ちかけた。
そして僕は、兼ねてからステージを観て気になっていたCharlieに声をかけた。
二人の他に、僕が組んでいたバンドでキーボードを弾いていたN氏を加えた3人で
インストロメンタルのバンドを急遽結成した。

芝居は安倍公房の「円盤来たる」。演出は円企画の大谷朗氏。
芝居の中で、場面ごとに流す楽曲を5曲くらい作曲して演奏した。
当時では芝居に合わせて、舞台の端っこで生演奏をするのは凄く斬新な感じがした。
その時の編成は僕がベース、Charlieがギター、それにN氏のハモンド。
N氏の作曲だったけど、なかなかイケてるジャズっぽいオリジナルでした。

虎ノ門へ毎週末に通い、そのほかの日はN氏の自宅で練習したり。
芝居は1週間くらいやったのかなぁ?
バンドの名前は、その当時発売になったばかりの「ビックマック」。
虎ノ門にある、森ビルアネックスだったけど、沢山あって覚えていない。
ただ、あの頃は本当に一生懸命練習したし、芝居の稽古に合わせての練習も
劇団の人たちと、長い時間一緒にやった。
あの頃はまだ、芝居にのめり込む事はなかったけれど、プロの養成所だけに
役者さんが凄くナーバスになっていたり、時には僕らのミスに怒ったり
色々と大変な事を乗り越えて、本番に臨みました。

そんな虎ノ門。なんだかとても懐かしくなりました。
あれがあったからこそ、僕は舞台の仕事に本気でのめり込んで行ったし
それ以来、Charlieとはずっと一緒に音楽をやり続けてきた。
20代前半は、3人グループでアマチュアコンテストに出たことが多かった。
D氏の転勤で、二人きりになってしまったのをきっかけに
今の演奏スタイルの原型になるデュオでやるようになった。
西銀座デパートにあったローディープラザのステージに出演したり
成城学園のレストランで弾き語りをやったりと、演奏する機会が多かった。

20代の後半から30代はドラム、ベースを入れてロック色が強くなって、
D氏の転勤先の仙台や都内でパーティーのバンドみたいな事を
40歳過ぎまで続けていたが、ドラムとベースの海外出張で、一時活動休止。
それ以来、残された3人は結局オリジナルスタイルに戻って、たまに練習する程度。
4年ほど前に、友人がライブハウスを開いたのをきっかけに3人でライブ活動を再開。
その活動も、事情があって去年から二人きりになった。
でも、20代のスタイルに戻ったって言う感じかな?

あの頃の土日は、昼から夜までCharlieの家で作曲も含めて、二人で練習ばかりしていた。
晩御飯はCharlieのお母様が作ってくれて、僕の分がいつもありました。
そういう蓄積があるので、今の二人は本当に息が合っている。
もう少し、ギターの練習をすれば歌の方はそれなりに聞かせる自信はある。

そんな僕らの音楽の歴史が始まった虎ノ門。
何だか、凄く色々な事を思い出しながら歩いてきたのです。
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僕はフランシーヌ・・・・

2008年04月29日 | Weblog
礼儀
作法までは行かないけれど、仕事やプライベート、目上、年下を問わず
人の関わり合いには最低限の礼儀って有ると思う。
僕は凄く無礼な部類に入る人間だって自分のことを思っているんだけれど
それでも最低限の礼儀はわきまえているつもり・・・・・

先だって出張で、散々苦労して装置の性能を出して帰って来たのだけれど
一緒に出張した相棒は、一週間遅れて帰京した。
最後の詰めの部分は、設計的なものではなく装置の調整によって何とかなると
相棒にそれを託して帰って来たつもりだった。
その結果がどうだったのか?凄く気になって結果の連絡を待っていた。

この相棒はまだ30歳になったばかり。
装置のオリジナル設計をした前任者が、突然退社してしまって6年前に
難易度の高い装置開発と言うことも有って、僕が指名されて後釜になった。
最初は電子ビームの形すら見えなかった装置の電源に手を入れて、
やっと電子ビームが見えるようになり、会社で今まで取れなかったデータを
取れるようになってから、一桁性能を上げるまで6年間。

この間に、相棒とは一緒に苦労しながらやってきたつもり。
毎日遅くなるので、僕が自家用車の通勤に切り替えて、帰りが遅くなると
相棒のアパートまで送って帰っていた。
当然、若い人は腹も減るだろうから飯を食わせたり、ビールを飲ませたり
コミュニケーションが取りやすくなるように心がけてきた。

ちょっとした事で、行き違いが生じて相棒との関係がおかしくなった。
それでも僕は、言いたいことを言えば大丈夫と信じていた。
ところが、今の人は違うんですね。
いつの間にか、僕のことを無視したり小馬鹿にした態度を取るようになった。
出張もそんな事があって、僕が行かない方が良いと思っていたのだが
結果的に経験が物を言うトラブルが続出。

最初に結果を僕に報告してくれると思っていた。
先週、気になって電話しようとしたら向こうから
「東京に戻るので荷物は一緒に送っていいのか?」と電話が来た。
それで「結果はどうだったのか?」と訊いたら、
「上司にメールで連絡してあります」と、言われた。
何だか、凄く寂しい気持ちになった。
まぁ、いいや!結果が出たならそれで良いかな・・・・と、気持ちを切り替えた。

しかし、月曜日から出社してきた相棒が、全く僕のところに来ない。
僕ならば、「結果が出ました、長い事ありがとうございました」と、必ず言う。
それは、一緒に仕事をしてきた人間に対する礼儀だと思う。
そんな相手を相棒と思っていたり、結果を気にして待っていた僕は
フランシーヌです。 (あまりにも、おばかさん・・・・)
僕は、こういった礼儀を教えない会社や組織が心底、嫌になった。

僕がお礼や労いの言葉を待っているのが浅ましいのかな?
だとしたら、僕の感覚がおかしいって思えばそれでいいでしょう。
でもサッカーの試合が終わったら、結果に関係なく皆で「お疲れ様!」って言うし
芝居の稽古や公演の後でも必ず、お互いを労う。
長年付き合ってやってきている相方Charlieとだって、練習やライブの後は
必ず「お疲れ様」の挨拶は、欠かしたことが無い。

こういった礼儀は、今や時代遅れなんでしょうか?
僕の会社だけなのかも知れませんが、気に入らない事があると、
礼儀や挨拶まで、どうでも良くなってしまう若者が多く居ます。
それを怒れない上司や年長者は腰抜けか、同じように無礼な連中の気がします。

「そんなの、関係ねぇ・・・」って言うギャグは、時代を反映しているのでしょうね?
ただ、こういった連中が世の中に蔓延してくるとしたら日本の将来は暗いですね。
いや、表面だけでも上手くやって行けるほうが世渡り上手なのかな?

少なくとも、僕はそういった器用な生き方が出来ないみたいです。
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面倒くさいから連休突入!

2008年04月28日 | Weblog
明日は休み。でも明後日は会社がある。
仕事を干されているから、気兼ねなく休めちゃう。
用もないのに会社へ行くなんて面倒です。
てな訳で明日から8連休突入です。
今日休めば11連休だったんだけど、子供も嫁さんも居ないから
タバコを吸いに会社まで行って来た感じ。

最近、仕事の事で悩んでいるんだけど、相方のCharlieが僕に
仕事中心の生活は馬鹿らしいから音楽や芝居で楽しめ!って言ってくれる。
そう言われると、何処か肩の力が抜けて気持ちが楽になるんだよね。
Charlieは、いつからか人生を楽しむ事に生活をシフトしていて
最近じゃぁ、ライブハウスへ頻繁に出かけている。

僕はライブハウスへ行くのは、殆ど決まった出演者が多いかな?
好きなライブハウスって言うのもあって、それも数軒。
だから、好きなライブハウスで好きなミュージシャンが出演する時が
ライブハウスへ行く日になる。

それに僕は意外と家に居るのが好きなので、楽しい事が無いと
出かけないでずっと家に居る。
家でギター弾いている方が楽しいしね。

芝居の稽古や、相方とギター弾くのは本当に楽しい。
楽しいと言うより、両方とも仕事と言う煩わしい事を忘れないと
出来ない遊びだから、必然的に気分転換になる。
いわば、麻薬のような楽しみになっているのも事実。
相方Charlieのライブハウス通いも、好きな音楽を聴く事で
頭をカラッポにする事が出来るのでしょう。
僕の場合、頭は最初からカラッポですけど・・・・・

明日は、また稽古で代々木オリンピックセンターまで出かけます。
オリンピックセンターの広い場所での稽古は楽しいです。
今年の連休は3日と5日に稽古があるだけなので家族サービスも出来そう。

そうそう、友人の披露宴でギターを弾く事を引き受けたまではいいのだけれど、
やる唄が難しくて、大変です。
音源通りのギターを心がけようとは思うのだけれど、少し自分らしさも
入れて演奏したいなぁ・・・なんて、色気を出すものだから・・・・
でも、初めての方と一緒にやるのは何処かワクワクします。
おまけに歌い手は、色々なCMやライブハウスなどでも歌っている
プロの方みたいなのでちょっと緊張しそう。
と云うより、ビビッてます。
やっぱり練習しておかないと失礼だしね・・・・がんばろうっと!
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皆でウルウル、劇団「ステージドア」

2008年04月27日 | Weblog
今日は昨日に続いて劇団「ステージドア」の稽古でした。
昨日は稽古の後の一杯で、家に帰ってから寝ちゃったみたいです。

先週まで、座長が海外へ出かけて居たので稽古はもっぱら振り付け。
振り付けの河岡先生が忙しくなるので集中的にやって頂いたのです。
それで、先週の稽古が終わった後に姉さん達と一杯やりながら
「来週から芝居の方に入るから、台詞を入れておいて座長を驚かせようね!」
って言われて、僕はこの一週間は台詞を覚えるのに結構時間を割きました。

元々、台本は毎日一回は目を通すようにしているのですが、
どちらかと言うと、台詞を覚えると言うよりストーリーを理解して
芝居の登場人物のことや、台詞の持つニュアンスを感じ取ることが中心でした。
良し悪しは解からないけど僕の場合、他の人の台詞でも
「こんな風に喋るんだろうな・・・」って、イメージを作って台本を読んでいるんです。
これは、自分の台詞にも関わってくるから重要だって自分では思ってるんですけどね。

ところが、大方の人は自分の台詞しか覚えてこない。
台詞を言う事ばかり考えている上に、練習をしてきている感じがしない。
上手い下手はともかく、稽古までに自分なりの演技を考えて来て
演出家にぶつけると言うのが、稽古の礼儀だって思うんですけどね。

この日記で何度も書いているけれど、サッカーでも個人の練習は
みんなで集まってやる時には出来ないから、足りない部分は個人で引き上げて
練習に臨むのが基本なんですよ。
芝居の稽古も同じだって、僕はいつも感じて居ます。

それでも仲の良いお姉さん達は、殆どの人が個人レベルでの練習をしてきているから
稽古の後の話でも、凄く盛り上がる。
座長が言う、「台本をよく読んできてください」って言う意味が
単に台詞を覚えてくるだけだと思っている人にはちょっとガッカリします。

稽古の前の発声練習で、「外郎売」の一節をやったんだけれど、
それを何も見ずにすらすら言える女性のRさんなんか、尊敬しちゃいました。
Rさんは、台詞も歌もいつも練習してきている感じがします。
必ずしも器用な人では無いですが、Rさんは凄く尊敬できる女優さんです。
そういう人は、芝居の中での自分の考えを座長にぶつけて行けるんですよ。
そんなRさんに傍から、色々言ったり出来るのは同じレベルで稽古に臨んでいる人だけ。
僕は、Rさんに「こうしたら・・・」って言われたりするのが、凄く嬉しい。
僕だって、自分の受けた感想を率直に言える。良い関係だって思ってます。

さて、今回の芝居。
今までとはちょっと違って、いくつかの話が少しずつ展開して行くのですが
今の時点で、稽古中にウルウルしてしまうシーンが多いのです。
今日なんか、僕が出るシーンの前の歌が凄く素敵でウルウルしちゃって、
台詞が涙声になりそうで焦っていました。
それで、横を見てみたら相手役の姉さんがハンカチで目を拭っている。
「あぁ、やばいなぁどうしよう・・・・」と考えているうちに出そびれて、
座長に「何をやってるんだぁ!」って怒鳴られそうな予感がしていたら、意外にも怒られない。

良く見たら、当の座長がウルウルしちゃった様で、眼鏡を外して目頭を押さえている。
ちょっと笑っちゃって、ホッとしたのですがそんな感じのシーンが今回の芝居には多く有ります。
僕は自分の役柄がちょっと不満なんだけれど、まぁそれも芝居です。
芝居って、自分以外の人間になれないと駄目ですね。
まだまだ、素でやっている自分がいて未熟さを感じます。
あと2ヶ月半。これから、どんな芝居に仕上がって行くのか?楽しみです。
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あぁ、気がついたら・・・

2008年04月26日 | Weblog

劇団の稽古の後に、杏酒を呑んだら、家につくなり
気を失って寝てしまったみたい。
まあ、たまにはこんな事もありますね。
今年の連休は、稽古も少ないから、良いようでちょっと物足りないかな?
友人の披露宴でギターを弾く事になって、引き受けたはいいけれど、
何と唄うのはプロの歌い手じゃないの!
練習しなくちゃ、恰好悪いからちょうど良いかもね。
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こんな事も起こるんだ・・・・

2008年04月25日 | Weblog
インターネットって不思議ですね。
何となく、SNSの自分の出身中学のコミュを覗きに行ったら、同じ歳の卒業生が居た。
それで、その方のトップページを覗いてみたら何と同級生ではないですか。
相手の方は、僕のことを覚えていないかも知れないけど、僕は覚えていた。

中学生の頃、僕は野球部のキャプテンをやっていて、その方はテニス部。
後に水泳部に居たらしいが、僕は野球部の練習試合で彼らのテニスコートを
スパイクでボコボコにしてしまった事が何度もある。
その当時は、テニスコートなんてローラーかければ大丈夫くらいにしか思っていなかった。

大人になって、自分もテニスをやるようになってテニスのコートの
表面がいかにプレーに影響するのかって事を身を持って実感した。
たった一つの小さな石が、ボールの弾む方向を変えてしまう。
いいプレイをしようとしても、コートが荒れていると、それもままならない。

若くて無知だったとは言え、テニスをするたびにその事を思い出して
あの頃はテニス部の連中に、随分酷い事をしてしまったと思っていた。

その相手が、偶然見つかった。おまけに同級生。
早速メッセージを送った。
嬉しい事に、彼も僕を覚えていてくれた。何だか凄く嬉しくなった。
僕は中学校卒業直前に、引っ越してしまったので越境通学を1年していて
卒業後は同窓生との付き合いは殆ど無かった。と言っても高校生の時に
中学時代に好きだった女の子の学校の文化祭へ行って会ってみたり
高校生の分際で、大学の文化祭に出演した時に偶然、目の前にかつて
ラブレターを書いて渡した事がある女の子と、ばったり会ったり、
中学の時に一緒にギターを弾いていた仲間に自分が主催するコンサートの
出演依頼をして、演奏を聴かせてもらったりしたことはあった。
(生意気にもオーディションをして、彼らは採用されなかった)

でも、同窓会の誘いは全く無かった。
気にはしていたが半分諦めていた。
マイミクになってもらった彼が、僕の会社を知っていてくれたことも嬉しかった。
そして、4年に一度同窓会をやっている事も知った。丁度、今年がその年に当たるそうだ。
もう35年、正確には37年会って居ないけれど、何だか、凄く嬉しい気もちになった。

たまには昔の仲間に会ってみたいと思っていた矢先。
インターネットとは、こんな事も起こるんだと感心した一日。
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ギターって皆そうなの?

2008年04月24日 | Weblog
また、ギターの話題です。
僕の持っているギターで一番好きなのは、MartinD-35。
このギター18歳の時に、「アルバイトで払うから」と言って
当時34万円したギターを24回払いのローンで買ったものです。
当時の金利は14%程度。つまり2年間で40万円近くの買い物でした。

当然、最初の支払い以降は親が払って僕は踏み倒しちゃった。
当時はMartinは憧れのギターで、これを持たないとプロになれない
なんて思っていたものです。
自分の実力なんて、あの当時は考えていなかったし、
実際の所、ギターの演奏より個性のある歌を唄う事の方が大事だって思っていた。

今のMartinは、材質が変わったのか?ネックの反りをある程度矯正できるトラスロッドと云う鉄の棒が入っている。
ネックの上、ヘッドの辺りが今のものは三角形になっているけど
僕の時代のものはその、トラスロッドが入っていない。
「絶対に反らないネック」と言われるほど、ネックはしっかりしていた。

それでも35年近くも所有していると、ネックは反って来るし
ねじれも出てくる。自然の素材だから仕方が無いって思うようになったのは
つい最近になってからです。

今まで、フレットの打ち直し一回、ピックガード交換、ブリッジのリペア、去年はネックの矯正と4回ほど修理に出している。
どれも一回2万円くらいの費用がかかった。

先だってのライブで、久しぶりに弾いたMartin。
音は良い音しているんだけれど、なんせ反り返ったネックだから
弾き難さは、所有するギターの中で一番。
ハイポジションで弾くと、弦を押さえる指が悲鳴を上げそうになる。
それと最近、どうも左手首が痛い。
良く考えてみると、丁度Martinを練習で弾き始めた頃から痛み出したのだった。

それで、弦高を下げて弾きやすくするように、本格的なリペアをする事にした。
リペアをやってくれる所を色々探したけれど、なかなか見つからない。
やっと見つけたのが、神戸のギター工房「オデッセイ」
http://www.e-odyssey.biz/guitar_craft/
と言う、リペア工場を営んでいる樋口さんという方。
メールでやり取りして、リペアを予約したのだけれど早くて来年の秋だそうです。

問題は費用。
僕の希望するように弦高を下げる場合、ネック・リセットと言って
要は一回バラバラにして、フレットの打ち直しやブリッジ、ブレーシングの修正
ナット、サドルの交換、そしてネックの矯正を施すのが一番良いそうです。
ところが、一つ一つの作業の料金は決して高くないのだけれど、積み上げてゆくと
最低で12~15万円になってしまう。

これじゃ、新品も買えちゃうじゃないか?なんて思ってしまって躊躇しちゃう。
でも、リペアした人の感想を見ると、劇的に音が変わるそうです。
新品買うより、いい音になる方に金をかける方がいいのか?悩みます。

それにしても、親のスネをかじって手に入れたMartin。
トータルしたら凄く維持費がかかっている。
ギターって、皆こんなものなんだろうか?
そういえば57年のGretschもボロボロ、74年のレスポールも同じ。
72年のSGなんか、確か一昨年ネックが根元から取れて3万円かかった。
そう考えると、家にあるギターはそのうちみんなそうなるのか?

Martinリペア積立金を始めようっと!
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いい歳して・・・・

2008年04月23日 | Weblog
この間の日曜日にあった劇団の稽古。
今回は台詞が少ない割に、唄って踊るシーンが多い。
特に日曜日に振り付けを教わった誕生パーティーのシーンの
ダンスはちょっと大変です。

何をやるにしても、出来ないのが悔しい性分。
出来ないで終わるにしても、最後まで諦めるのが嫌なんです。
それで、一昨日から何をしてるかと言うと
自分の部屋で、姿見の鏡(白い白馬みたいな表現になってます?)の前で
ダンスを毎日練習している。
手の角度、背筋の伸び具合、首の角度、振りのメリハリ・・・・・
長年見続けてきたダンスやミュージカルの事を思い出しながら
どうやったら格好良く見えるか?なんて考えながら・・・・・

ふと気がつくと、2時間ぐらい経過している。
それで鏡の中の自分を見て、恥ずかしくなる。
格好以前に、体型を何とかしろよ!
ダンスで動くたびに、おなかが揺れてる。
あと3ヶ月でウェストを何処まで絞れるかなぁ?

でもいい歳して馬鹿みたい、何やってるんだろう?
あっ、何を今更・・・・・ですよね?
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怒り、そしてタメ息・・・・

2008年04月22日 | Weblog
今日は仕事の話。
僕がこの間、プロト機(写真)を東北大に納めてきたのだけれど
実はこの後に改良機が2台、かのオックスフォード向けに
設計し直して製造に入っていた。

僕がやるはずだったのだけれど、リーダーが僕を外して
若い奴にやらせていた。
去年の9月からだからもう既に半年以上経過している。
僕が一人でやっても、3ヶ月あればある程度の所まで仕上がっているはず。
ところがメカの製造が遅れて、出来上がったのが先月初旬。

僕ならば、チャンスとばかりにメカの遅れている間を利用して
もっと電気回路の性能を追い込んでメカにつける時点で
問題が出来るだけ少なくなるようにしている。

ところがリーダーと若手は、高圧技術の本の知識はあるようだけれど
経験が無いから、仕事の進め方が全く出来ていない。
それを指摘すれば、うるさいとばかりに無視されて
挙句の果てには、チームから放り出されてしまった。

オックスフォードのお客さんと云うのは世界中の科学者が知っている大物で、
顕微鏡一つ取っても、この教授の評価が世界中に広まって、
我社の装置の売り上げに大きな影響を及ぼす。
2年前に僕が出張したのも、開発が遅れていた装置に猶予を与えるため。
この教授が出した条件をクリアする顕微鏡を代替機で納入すれば
2年間の開発延長というアドバンテージを貰うためだった。

幸いな事にオックスフォードに納めた装置は教授が「エクセレント」と
賞賛してくれるほどの性能が出て、納入後に教授が来日した際に
わざわざ僕を呼び出して「次はもっと良い物を作ってくれるよね?」と
大きな期待を僕に寄せてくれていたのです。

ところがまた、メカの開発が遅れて日程的にギリギリだというのに
ノンビリとやっている。僕に言わせると、遊んでいるのですよ。
物が出来てこないから・・・・なんて言い訳。
僕なら自分で加工して作ってしまいます。

来月の後半に教授が直に装置を観に来る事になった。
アホなリーダーはビーム(電子線)が出てれば良いなんてタカを括ってる。
僕の見る限り、先だって東北大でやったような変更を入れないと
性能は絶対に出ない。
それも今のうちにやっておけと言ったら、連休は休むそうです。
開発って言う仕事には向いていない連中です。
この僕だって、必要な時は徹夜だってしますよ。

それで、多分装置はキャンセルになるでしょう。
オクスフォードがキャンセルすると、アメリカもキャンセルになる。
そして世界中に「開発に失敗した」という噂が流れる。
対抗メーカーは名指しで我社を潰すと言っていて、それに対抗する
装置だからこそ、何年も苦労してやってきたし、成果も出してきた。
仙台の出張も、結局は次に繋がらない。

今までどれだけ苦労してやってきたのか?
関係者のモチベーションは確実に落ちるでしょうね。
僕は今更、首を突っ込む気はありません。
ただ、他人の苦労を無知と経験不足で台無しにされそうで怒り心頭です。
同時に、タメ息も出てきます。
一番悔しいのは、僕を信頼してくれた教授を裏切る事です。
約束を守れない自分が情けなくて仕方が無いです。

ペーパードライバーみたいなリーダーに、何も言う事はありません。
むなしさに拍車がかかるだけですから・・・・
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嬉しい一日

2008年04月21日 | Weblog
本当、久しぶりにサッカーをやりました。
一ヶ月ぶりかなぁ?
体が重くなって、走っていないから息切れが早い。
おまけに今日は7人のシニア中心のチームと
6人の若手中心のチームに分かれてのミニゲーム。
僕は、何故か6人のチームになってしまった。

最初は後ろでボールを裁いていたのだけれど、一回攻め上がると
走れない上に息切れがして、戻れない。
少しサボり気味のプレーをしてしまったのだ。
そもそも、若手とはパスのリズムが合わないことが多いのだけれど
今日は違った。意外にパスがポンポンと繋がった。
僕が簡単にボールを裁いたのも良かったのかも知れないけど
パスが小気味良く繋がると、サッカーは楽しくなる。

今日は自分が思っているように、走れなくて悔しかった。
でも、怪我をしていてゲームに参加しなかったシニアチームの先輩が
練習後にシャワールームで
「だいぶブランクがあるけど良い動きしてたよ。流石だねぇ」
と言われて、ちょっと嬉しかった。

昼休みが終わって、デスクで仕事をしていたら今度は営業関係で働いている
シニアチームの先輩がひょっこりやってきて、僕に話しかけてきた。
この先輩は、アマチュアビリヤードではかなりの実力者。
でも、元世界チャンピオンのおじいさんと試合をやったら全く敵わなかったそうだ。
氏曰く、「ボールが語りかける」そうです。
昔、僕も本格的にビリヤードを習っていた事があって、そういう話が判るんですよ。

そんな話をしていたら、いきなりサッカーの話に切り替わって僕に
「でもな、お前も凄い才能持ってるからなぁ・・・」と言い出した。
僕は50歳過ぎても若手と一緒に試合をやっている。
走る量も若手と同じようには行かないが、それでも一緒にやれるレベルにあると・・・・
これって、才能なんだって。
普通の人が相当頑張っても、僕のレベルの体力は簡単につかない。
上には上が居るけど、少なくとも僕は並みの人間以上の体力があるって言われた。
それだけでも自信を持ってやって行けばいいのだと、後で考えたら
仕事で悩んでいる僕を、先輩は遠まわしに励ましに来てくれたようだった。

同じ日に同じようなお褒めを頂いた。
若い頃は我侭で、散々みんなに怒鳴り散らして試合をしてきたのだけれど
逆にそういう事も含めて、僕は先輩やチームメイトから認められているそうだ。
仕事では嫌な思いばかりさせられて、失望している会社だけど、
こういった人たちに囲まれている自分は幸せなんだと感じた一日。

一生懸命やってきた事を、周りがきちんと認めてくれる。
こういう関係って、やっぱり長続きする気がします。
そういえば、音楽をやっている相方ともそんな関係のような気がします。
仕事では煙たがられても、それ以外の処で心が繋がっている人間関係が
沢山ある自分は幸せですね。
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こりゃ、大変だ!

2008年04月20日 | Weblog
今週は、スケジュールが込み入ってしまって大変な週末でした。
今日は、午前中に兄貴の新築祝いに越谷まで出かけて、2時間ほど居ただけで
一旦自宅に戻って、劇団の稽古に出かけました。

昨日、ライブがあって休んじゃったので今日は休めなかった。
まぁ、兄弟・親戚は僕がサッカーやら芝居やら音楽やらで
週末は殆ど家に居ない事を知っているので問題なかったんですけどね。

昨日の稽古でだいぶ振り付けが進んでしまって、僕の分だけでも
2つの振り付けがされていました。
一つは、歌を唄いながらダンスと云うより芝居の感じ。
いわゆるミュージカルらしい唄のシーンです。
僕のソロパートが少しあるので、ちょっと緊張しましたが
これはベテランの方と、時間をかければ上手く行きそうな感じです。

問題はダンスの入る誕生パーティーのシーン。
この部分のダンスは、結構覚えるのが大変です。
大したステップがあるわけではないのですが、動きが早い。
こういうのに限って、覚える事が多いのですよ。

一つ一つの動作にビートを利かせないと、何処か格好悪い。
特に男性が少ないので僕は目立っちゃいそうです。
年配の役者さんはそれなりにやればいいのだけれど
それでも最低限、動きがピシッと合わないと本当に無様になります。

今日で振り付けの河岡先生が直接指導してくれる日は終り。
河岡先生は明日から「コンボイショウ」の演出で忙しくなるそうです。
次回までに、振り付けを覚えておくのと、台詞もそろそろ覚えないと
いつまでも台本片手に芝居の稽古じゃ、時間がいくら有っても足りない。

みんなで稽古する時に備えて、個人レベルの練習をやっておく事は
マナーと言ってもいいでしょうね?
これは音楽でもサッカーでも、僕は同じスタンスでやってます。

いよいよ、連休が近づいてきました。
毎年、連休あたりの出来具合で自分のレベルが一旦評価される。
とにかく、がんばろうっと!
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惨敗です、「Double Martin」ライブ

2008年04月19日 | Weblog
今日は市川アルマナックハウスでライブがありました。
今回もトップバッターで出演。
意外にプレッシャーがかかるものですね?

タイバンの夏生さんは、一緒にやるのは今回で3回目かな?
オリジナルにカバーを交えてのステージ。
最後は店のスタッフと一緒に演奏して、相変わらず爽やかな感じでした。

もう一組は女性ブルース奏者の武蔵野ミニーデュオ。
元々、関西で活躍されていたらしいですが、今は東京の小金井市に居を移し
活動をされているらしい実力者。
女性なのに(偏見かぁ?)ブルースギターが凄く上手で、ドブロまで操る。
息子さんとのデュオは、なかなか味のある演奏でした。

さて我々の方は、散々お話した初めての「Double Martin」によるライブ。
ハッキリ言って惨敗です。
とにかく、練習で出来ていた事が何一つ出来なかった。

まず、弦の選択を誤った。
いつものエキストラライトだと低音部の響きが今ひとつだったので、
今回は少し固めのMartin製カスタムライトを張ったのです。
ところが、ネックの関係で弦高が高くて弾いていて疲れるのを忘れていて
ライブ前の音あわせでは調子が良かったけれど、本番になって指がきつくなってきた。

おまけに慣れないサムピックを使ったら、サムピックが微妙にズレて引き難い。
Double Martinどころか、Doubleトラブルの様相。
この辺りから、ギターのミスが出始めて最後の方では無理をしなくなっちゃった。
原因は色々ありますが、自分の実力不足と云うのが全てですね。
まだまだ修行が足りないです。

それでもギターの響き、音は凄く良かったのです。
Double Martinの良さは十分に出せた気がします。
ギターの音が良かった分、ボーカルは凄く余裕がありました。
相方の声が良く聞こえ、自分の胸の辺りで二人の声が共鳴する感じ。
これは久しぶりに味わう、コーラスがきちっと出来ていた感触。
武蔵野ミニーさんにも褒められちゃいました。デヘヘ・・・・
正直な処、僕のギターは全く駄目だったけど、ボーカルは最近では一番良かった気がします。

無謀にも今日は僕が3曲もリードボーカルを取ってしまった。
それに予定外の曲も一曲。やっぱりCharlieのボーカルの方がいいですね。
それと、MCとかもキチンと入れてやるようにしないと駄目かなぁ?
意外に思うかもしれませんが、僕も相方のCharlieもMCは苦手。
他の方のMCを聴くたびに、我々の芸の無さを感じてしまいます。

次回のライブは、僕の芝居の稽古と公演があるので暫く休み。
公演後の8月23日になりました。
次回は店のマイスターが、僕らのためにお客さんを呼んでくれるそうです。
いつもマイスターの我々に対する愛情を感じます。
次回は、リベンジ・・・・出来たらいいなぁ。
練習します!
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さぁ、明日はライブ

2008年04月18日 | Weblog
今日は仙台を昼過ぎに出てきて、相方に我侭を聞いて貰っているお返しに
大雨の中を歩いて行き、一番高い仙台味噌を買ってまいりました。
いえ、恩着せがましい事など全然ありませんよ。
流石に舌が肥えている食いしん坊。
要求するお土産も、しっかり高級品。

そんな訳で、自宅に着いたのが5時半。
帰宅して夕食の後に、ギターの弦を張り替えようと思ったけど
ちょっと張り替える前に指の具合を見てみました。
幸いな事に、ちょっと気になる程度で、相変わらずの下手糞です。

それで弦を張り替えようと思ったら、長女が明日までの数学の宿題で
戸惑っていて、見てやる事になった。
これが結構難しいのですよ。
それでも、理系の意地があるのでしっかり教えましたけどね。

それに付き合っていたら、12時を過ぎちゃった。
弦を張り替え終わったのが1時ちょっと前。
明日はライブの前に音合わせが出来るのか?
ちょっと微妙です。

今回が最初で最後になるかもしれない「W Martin」による
ヘッポコギターデュオのインチキライブ。
是非、お越し下さい!
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呑みすぎちゃいました・・・・

2008年04月17日 | Weblog
ついに東北大のトラブル対応もひとまず区切りをつけることになりました。
1月から9週間、長かったです。
装置の改造を現地でやるのは、非常に辛いのですが社内できちんと
確認してこなかったのは、自分にも責任があるので仕方が無いです。

でも、今までどうしても越えられなかった分解能が達成できたので
長い時間かけた甲斐があった気もします。
具体的な数字を言っても殆どの方が判らないでしょうけど
今まで0.1の目盛りが最小だった物差しが、0.09になったということです。
つまり、この0.01の差が分析の世界では大きな差になるんです。
今の所、この分解能は世界最高と言っていいです。
先生がギリギリまで時間を与えて下さった事にも感謝しています。

今日は今やっている仕事とは別に、僕の高電圧技術の原点といえる
超高圧電子顕微鏡の建屋で、目の前にあるサクラを見ながら
毎年やっている、花見を兼ねたお客さんとのバーべキュー懇親会に誘われて
一杯やって帰ってきました。

仕事が長引き、ちょっと遅れて参加したのですが、
とりあえずビールというお決まりのコースでまずは350CC。
そうしたら、お客さんから「蔵王」という吟醸酒をコップに並々と注がれて一杯。
これが甘くて凄く美味しかった。

次に焼酎を勧められて、これをまたコップ一杯。これはきつかった。
普段、焼酎と云うのはストレートで呑んだ事がない。
コップ一杯を飲んだら、日本酒を3倍くらいのピッチで飲んだ感じ。

この辺りでちょっと酔っ払ってきましたが、今度はサービスセンター長から
銘柄は忘れたけれど金箔入りの吟醸酒を、これまたコップに並々と・・・・
これがまた美味しかったのですよ。

それで居て、つまみは僕の仲のいいエンジニアが釣って用意してきた
鱒とヤナギカレイをそれぞれ2匹ずつ、仙台牛のステーキを頂き
同業の女性が持ってきてくれたフルーツを食べながら呑む。
僕が林檎をつまみに飲んでいたら、みんなが笑う。
僕は甘いものを食べながら呑むのが好きなんですよ。

ここまでで、だいぶ呑んじゃったのに最後は500mlの氷結とかいう
チュウハイを飲んで、締めくくり。
久しぶりにフラフラになるまで呑みました。
でも、全部覚えてるし、ホテルまで歩いて帰って来れたから
二日酔いになるほどじゃなく、大丈夫かな?

家に電話したら嫁さんが「酔っ払って電話するな」と言って、長女と代わる。
長女は酔っ払いオヤジの相手をしてくれました。いい子です

電話をした後に、また寝ちゃって目が覚めたら2時半。
すっかり酔いが冷めて、目も冴えちゃってます。
これで体調を崩すんだよね?
シャワー浴びて寝ることにします。

そうそう、今日はちょっと困った事が起きました。
仕事で半田ごてを使っていたのですが、うっかり触ってしまい
大事な左手の指を火傷してしまったのです。
半田ごての火傷は結構深い傷になるうえに、凄い激痛。
冷やして痛みは引きましたが、明後日のライブまでに直るかどうか?
ちょっと心配です。
今の所、開く方向にだけ突っ張る感じがするので、ギターを弾く時の
指の動きには影響は少ない感じがしますけど・・・・
仕事で大事な手を怪我するのは本当にアホですねぇ。
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やばいなぁ・・・・・

2008年04月16日 | Weblog
今週末の土曜日は、ライブだというのに仙台なんかに来ていて
また、全然ギターを弾いていない。
おまけに弦の張替えもやっていないではないか!
そういう訳で、金曜日は昼過ぎに仙台から帰ります。
夕方には自分の家に着くでしょう。

土曜日はライブ前の音あわせをしたかったんだけど
どうやら出来ない可能性が高くなった。
せめてリハくらいはやらないとなぁ・・・・
そうなると6時にはライブハウスに着かなくてはならない。
てぇ事は、5時前には東京を出発しなくちゃ間に合わない。

嫁さんと次女は千葉で義父の7回忌。
僕は長女の高校で公開授業と父母会があるのでそちらへ参加。
芝居の稽古も、振り付けの最終日。僕は2つほど絡んでいるし・・・・
まぁ、こちらの方は休むって言ってあるんだけどね。

そんな事情で、時間的に全く余裕の無い土曜日。
何で、この日に集中しちゃったのかなぁ・・・・・

日曜日は兄貴の新居にお袋を連れて行かなくちゃならないし
本当に忙しい週末になってしまった。

それでも仙台出張は、これでお終いになりそう。
どうやらトラブルは電気回路の問題だけじゃ無い様で、ひとまず終り。
明日は最後の確認をして明後日の昼過ぎに帰京する予定。
とりあえずお客さんが学会用のデーターを取るために引き渡すそうです。

今度こそ、暫く仙台に来る事は無いでしょう。
オックスフォード出張の時もそうだったけれど、
長い出張が終わる時は、顔見知りになったお店のご主人や、
ホテルの従業員などが居て、その街に愛着が湧いてしまい、
ちょっと離れるのが寂しい気持ちになる。

実は僕は、父親の転勤の最中に仙台で生まれ、
5歳まで住んでいた生まれ故郷。
奇しくも生まれた病院は今、仕事をしている東北大学の付属病院。
こういうのって、何か因縁みたいなものがあるんでしょうかねぇ?

仙台まで来るのは面倒だし疲れるけれど、人間関係や周りの人が
凄く気持ちのいい人が多くて、仕事以外のストレスは全く無い。
本音を言うと東京に帰っても、居心地が悪くて煩わしいので、ストレスが溜まるだけ。
またストレスが溜まった頃に、装置と仙台が僕を呼んでくれる事でしょう!
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