『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

こんな仲間となら、一生付き合っていたい・・・・

2011年05月31日 | Weblog

ついこの間、2週間前に僕の芝居を観に来てくれて
凄く楽しそうな顔をして、『来年もゆくからねー』
って応援のメールまでくれた同窓生の「美女軍団」のオシゲ。

息子さんが突然死して、その通夜に列席してきた。
相当精神的なダメージを受けたのだろう。
昨日の日記に書いた通り、無理するなよってメールしたけど
そりゃ無理な話だよな・・・・

朝、一緒に朝食を摂って、昼間に晩御飯の連絡をして・・・
それが突然『亡くなりました』って言われたってね・・・。

喪主の席に居る彼女、顔つきが全然変わっちゃって
別人かと思って、探しちゃったくらい・・・・
亡くなってから、数日安置して今日の御通夜。
辛かっただろうな・・・・・
でも、息子がもう少し一緒に居たかったのかもね・・・・

お通夜が終わって、同窓会のメンバー9人で飲みに行った。
こういう形で集まるのは不本意だけど、それを抜きにすれば
やっぱり楽しい集まりになる。
不思議なくらい、タイムスリップして昔話に終始するかと思うけど
そんなことは殆ど無くて、今の話で盛り上がる。

中学校時代から自分たちが一番凄いと思っていた
元サッカー部の男連中は、、僕の芝居を観に来た美女軍団に
『格好よかったよぉ』って言われて、ちょっとやきもち焼いてたらしい。
それを聞いて、僕はちょっと嬉しかったかな?・・・・
男のやきもちなんて、みっともないと思っているから、余計にそう思った。

美女軍団のヤマギが、マドンナだったみっちゃんのことを冷やかして
僕はちょっと照れくさかったけど、それもご愛嬌。
ヤマギもみっちゃんも字こそ違うけど、お袋と同じ『みちこ』。

お袋とこの二人の他に、僕の人生には他に4人の『みちこ』が関わってる。
中学校にもう一人、1月の日記『数十年ぶりに書いた手紙』に出てきた
同級生の彼女の名前も実は『みちこ』。
そんな話の流れで、僕はその子が好きで胸がキュンとしていた事を
話したら、同じ水泳部にいたヤマギが「綺麗な子だったよねぇ」
なんていうものだから、余計になんだか悔しくなっちゃった。
今更、どうってこと無いんだけど・・・

同窓会の幹事会に参加して、僕は本当に良かったと思った。
皆、地元の連中でいいなぁ・・・とか
僕は転校生で、付き合いが短いから・・・なんて思っていたのだが、
よく考えてみたら、3つの小学校から集まる中学校は、
単純に1/3が小学校からの付き合いで、他は僕と同じだった。
それを美女軍団に「皆、分け隔てなんかしてない」って言われて、
やっぱりそうなんだよね・・・みたいな、転校生のコンプレックスまで
40年経った今頃、解消されたり・・・・

いい仲間です。同窓会って、いつまでも子供のような集まりで
こんな仲間となら、一生付き合っていたい。

だから、息子を亡くした美女軍団のオシゲ・・・・
いつか立ち直って、前を向いたところに、皆が居てやりたい。
それまでは思い切り泣いて、悲しんでいいんじゃないかな・・・

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言葉にならない・・・・

2011年05月30日 | Weblog
この間、劇団の公演を観に来てくれた中学校の同窓生。
僕が同窓会に初めて参加した3年前に再会して、
翌年の公演に来てくれた。
今年も、4人組で着てくれて、凄く喜んで帰って行った彼女。
メールをくれて、『元気が出た、来年も行くね』って・・・
僕も、元気を与えるための『勇気』を貰って・・・・

その彼女の、息子さん(24歳)が、急逝して同窓会から連絡が来た。
僕はなんと言っていいのか・・・・・言葉にならなかった。

ついこの間、お袋を亡くして血の繋がった母親が居なくなった事に
何とも表現できない悲しみっていうか・・・・
心の中に、ぽっかり穴が開くような・・・
そんな簡単なものじゃないな、とにかく言葉では表現できない
悲しみを通り越して、何も考えられない・・・・そんな感じになった。

多分、彼女も同じだろうなって・・・
余計な事かも知れないけど、何か声をかけたくなってメールした。
『無理して、気丈に振舞うこと無いよ。泣きたいなら思い切りないたほうがいい』ってね・・・

僕はお袋が亡くなって、元気に振舞ってた。
冗談言って、普段以上に意識して元気出してたかな・・・・
男だし、喪主を務めたから、メソメソしていられないし・・・
でも、そのときに思った。
思い切り泣けば良かったって・・・・・
我慢しても、仕方が無かったなぁって・・・

だから、彼女には無理して欲しくないなって思ったから
余計な事とは思いながらメールしちゃった。
明日は、通夜に出かけようと思います。
同窓会の仲間と、こんな形で集まるのは不本意だけどね。
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相撲協会、存在価値無し

2011年05月29日 | Weblog

大相撲が行われていたのに気が付いたのはこの間の番付発表。
たった、4ヶ月しか経っていないのに、もう次は本場所・・・

相撲協会をめぐる人間の、面の皮はよほど厚いんだろう。
ある親方に至っては、
『監督官庁に呼び出されるのは不愉快。向こうから来い』
だとさ・・・・
盗人猛々しいとは、まさにこのこと。

反省どころか、俺たちのどこが悪い・・・てな、ところでしょう。
全く浮世離れした連中です。
負け越した幕下力士が、十両に昇進・・・・
親方のコメントが笑える。
『運も実力、普段の努力が実を結んだ』だとさ・・・

相撲界って、負け越しても努力として評価されるんだ。
勝負の世界じゃなかったっけ?
番付が作れないのが、理由らしいけど
そういうのも含めて、反省するんじゃないのかい?
まぁ、薄汚い相撲協会の内部ルールだから仕方が無いけど
欠員にすりゃ良いだけじゃないの・・・・

何だか、こいつらのやってる事が世間で通用しちゃう所が
日本の国の、モラルに対する意識の低さなんだろうね。
世界的に、国民がモラルを守って暮らしている国・・・・
これが日本という国の、評価だった気がしたけど
僕の勘違い、いや誤解かな?

少なくともそっちから来いといった発言をした親方を
処分しない相撲協会は、表面だけの反省で
背中で舌出して、あっかんべぇしてるようなもの。
舐めた態度だよなぁ。

相撲協会、存在価値無し。
こんなやつらに、公益法人の特典を与えるべきじゃない。
税金をたっぷり払って、それこそ慈善相撲を被災地でやって
社会に貢献して、初めて社会復帰すべきじゃないかなぁ・・

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参ったなぁ・・・・

2011年05月28日 | Weblog

昨日から入梅入り。
平年より2週間早いそうだ。
なんだかんだ言いながらも、やっぱり目の日は憂鬱。
運動不足になるし、通勤もバスになるので面倒なうえに、
平気でバスは遅れるから、時間が読めないから
いつもより15分以上、家を早く出ないと間に合わない。

今日は本当なら午後から、若手社員のフットサルチームと
僕の率いるシニアチームとで練習試合をやすはずだったんだけど
結局、雨が止まずに午前中に中止連絡が来た。

それで、急遽予定を変更して、車で買出しに・・・
予報では火曜日まで雨の予報なので食材を買いだめ。
それで昼までに帰ってきて、僕は撮り溜めした番組を
一時間ほど観て、部屋でギターを弾いて時間を過ごした。

夜になって、メールチェック。
昭島市サッカー協会の北島氏からメールが入っていた。
明日の総会のことだろうと、開いてみて唖然・・・・

『今日の総会を欠席されましたね。理由をお聞かせください』

僕は、一瞬目を疑った。
リーグ戦の予定表に29日って書いてあったから、明日だと思っていた。
そういえば日時変更のメールが来ていたな・・・・
計画停電と、節電のため会議場が7時で閉まってしまうので
会議を2時間早めて。夕方五時からにすると・・・・

で、そのメールを読み返したら28日17時に変更と書いてあった。

やっちまった・・・・ペナルティーで失格かな?
しかし、もっと解りやすく29日19時⇒28日17時に変更します
って書いてくれたら、間違えなかったんだけどなぁ・・・・

まあ、言い訳しても仕方が無い。
ペナルティとして一試合、審判やれとか・・・何かやらされるのかな?
逆にその程度で許してくれたら有り難いんだけどな。。。。


失格っていうケースはまず無いだろうけど、やっぱり面倒臭い。
審判義務なんて言ったら、僕一人じゃなく皆に影響するし・・・

まぁ仕方が無い。
他人にものを伝えるときは、自分だけ解ってるのはダメです。
誰が見ても間違わない、誤解されないように書く。
これは、会社で若手に言い続けてる言葉です。
しかし、参ったなぁ・・・・

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嬉しい一日

2011年05月27日 | Weblog
今日は仕事でちょっと嬉しい事があった。
詳しいことは書けないんだけど、いま開発中の装置がある。

去年、降って湧いたように企画が上がった装置。
普通の開発日程では、絶対無理なスケジュールで出てきた。
その上、明確な企画や仕様が何も無いまま、3ヶ月が過ぎた。
わが社の平均的な開発期間は2年。
市場への導入まで入れると早くて2年半と言うのが普通。
ところがこの装置は一年半の日程。
それなのに3ヶ月は、何もしないで過ぎてしまった。

いい加減、やる気があるのか?と設計で、勝手に企画して
それを営業ににぶつけたら、やっと企画みたいなものが出てきた。
それで、設計検討を始めたのが、去年の10月。

僕は『俺がやるっていったら、やるんだよ』と言って
その代わりに、日程を守るため開発のやり方は任せろと言って
とにかく部下に『日程変更は基本的に無い』と始めさせた。

装置の概観寸法を決めて、敵会社の装置より小さく作ることを目標にした。
まず、全体をどう作るのか?若者に考えさせたのが正月明け。
一回目は、全く僕の意に反していたので却下。
僕の要望を説明して、企画し直しさせて出てきた2回目は何とか合格。

ところがここであろうことに外部デザイナーに外観のデザインを
設計させることになって、こちらの日程が大きく変わった。
予想以上に狭いスペースに、回路を押し込まなくちゃならなくて
若者たちが戸惑った。

普通ならこれを言い訳に、開発日程を遅らせるのだが
僕は、自分の経験からその狭いスペースに入ると思ったから
『まだ、何とかなる』って、3回目の再検討をさせた。
部下には『日程変更はしない』と伝えて、
残業、休日出勤、必要なら徹夜残業してでも、日程を守れと
まだ30歳そこそこの若者ばかりのチームに言い渡した。

回路が載るプリントボードの設計が終わったのが4月。
ここから実際に物が出来るまで、普通なら4週間はかかる。
で、逆算して計画日程の5月末までに何とか間に合うだろうと
漏洩電波などの試験をする6月1日に向けて、とにかく頑張らせた。

そして、紆余曲折をしながらも突貫工事で作ったプラスチックボディーの
見た目もすっきりした装置のプロト機が出来上がった。
『良く頑張ったなぁ』って、口には出さなかったが、若者には感謝した。

よく観ると、まだまだ詰めの甘さが多々あるんだけど、
そんなことよりも、自分たちの企画したものをしっかり作ってる。
嬉しくなって、社長と会長を呼んで『褒めてやってくれ』って
皆のところに連れて行った。
社長も会長も、喜んでくれた。それが嬉しかったかな?
若者たちもやる気が出て、あと半年で商品にしてくれるでしょう。
そう信じてやれるほど、よく頑張ってここまで漕ぎ着けた。

何だか、自分の部下が凄く可愛く思えて、嬉しい一日になりました。
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寂しい気持ち

2011年05月26日 | Weblog

お袋が亡くなって、早くも4ヶ月。
今は位牌と写真が僕の部屋に安置してある。
実家の建て替えをリーフォームでやるのか?
新築にするにはセットバックとか私道の整備を
この際やってしまった方が良さそうだとか
色々と迷っている。

元々、隣の家を破格で購入して引っ越すつもりだったのに
お袋が亡くなって、無理して借金する必要が無くなったので
契約破棄ししたんだけど・・・・

部屋に飾ってあるお袋の笑顔の写真を見ながら
「あぁ、お袋はもう居ないんだなぁ」
なんて、忘れていた寂しい気持ちが戻ってきた。

子供の頃から、結婚するまでずっと一緒に暮らして来たけれど
ここ7年間は、一人で頑張って生きてきたお袋の日記を見つけて読んだら
『オヤジが無くなってから、一人になって27年も経ったんだ』と
書いてあって、口には出さなかった一人暮らしの寂しさが日記から感じられて、
僕は写真に向かって「ごめんな」って言ってしまうのであります。

僕は最近、自宅に帰っても家族との会話が殆ど無い。
長女は自室で寝てるかPCに向かってなにやらやっているし
次女は和室を自分の部屋代わりにしてこもって勉強していたり、
寝る時は、嫁さんと次女が一緒に寝ているから
僕は帰宅して、夕飯を一人で食べて、風呂に入ると自室で
ギターを弾いたり、夜中にサッカーを見たり、日記を書いたりと
自室で独り過ごす時間が殆どで、会話の時間が全くと言っていいほど無い。

テレビを観ても、一緒に誰かと見ているのと楽しさも違うし
そんな時はテレビの内容なんかどうでも良くて、
むしろテレビを観ながらの会話の方が有意義な時間だったりした。

だから、家に居ても何処か「寂しいなぁ」って感じるんだけど
お袋はきっと、こんな時間をずっと過ごしていたんだろうなぁ・・・って
日記の中に「皆が帰った後の静けさに寂しさを感じる」って書いてあって
それを読んだ時に、本当に涙がこみ上げてきた。

僕の育った家は、夜になると「茶の間」と呼ばれるスペースに、
家族みんなが集まって、テレビの前でお茶を飲みながら
「夜食」というお菓子を食べて、何となく寝るまで過ごす家だった。
誰か(殆ど僕)が、その日にあったことを喋りだして、
お袋がその話を聞く。姉貴がそれにコメントを入れる。
オヤジと弟は寡黙な人間だけど、それでも同じ空間に居る。
『一家団欒』のこういう光景が当たり前だったから、
お袋が、独りで過ごしてきた時間は、僕が感じている以上に
寂しくて、退屈な毎日だったんだなあ・・・・って思う。

そう思ったらまた、『お袋、ごめんな・・』って
お袋の写真に向かって、呟いているのです・・・

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男は引き際が大事

2011年05月25日 | Weblog

こんなこと書いたら、会社にまた睨まれそうだけど
あえて書いてしまおう。
個人的な話になるのか?微妙なんだけど、あえて自分の意見をね。

今日は会社で。役員の交代が発表された。
毎年、株主総会で決まることなんだけどね・・・・
ところが僕の会社って、何処かおかしいのですよ。
何がって・・・・

社長を退いて、会長になって退任・・・と言うのは、世間でよく見かける。
長年の実績や功績があって、人格的にも信望が在って・・・・
そういう人が会社の取締役になるのだと良いのだけれど
実際にはそうじゃない。そうかといって誰でもなれるわけじゃない。
人脈や、運とかもあって会社の役員になって行くものです。

実際、社内でも品の無さで有名な人はそういう地位にはなれなくて
せいぜいその一歩手前の副本部長あたりで終わり。
子会社に移れたら良い方だけど、やっぱりそういう人は受け入れ先が無い。
まあ、僕なんか、その典型的な例でしょう。

話をもどすと、とにかく社長や専務まで上り詰めた人が、
役員を退任した翌日から嘱託や派遣社員になって、
会社に居続けるって、何だか変だと思うのです。

困るのは、自分は全て今まで通り仕事を任されていると、
勝手に思い込んでいるふしがあることと、
うっかりすると、色々と指図してきたり…
そうでなくても、失礼はしたくないから妙に気を使う。

僕の個人的な考えをいえば、社長やら専務やら
トップのポジションをやったら、後は潔く退いて欲しいと思う。
正直な気持ち、やりにくくて仕方が無い。
会社で生き甲斐を見出したい、技術者で居たい・・・・
それは解るけれど、そういう人は経営者なんかにならなければいいのよ。
自分の後釜をきちんと育てて、ノウハウを伝授するのを仕事にしてね。

だから、それを現場に任せて、自分は経営に回った時点で
現場に戻るのは失礼だって思うのです。
それに、そういう人の技術が通用するのは普遍的な基礎技術の部分だけで、
2~30年も前の先端技術を、今更教えても時代遅れって事も間々ある。
それをまた現場に戻って、自分の遣り残したことをやろうなんて
はっきり言って、迷惑なだけなのですよ。

男は引き際が大事だと思う。
経済的に居残るなら、それなりの覚悟が欲しいですね。
人間的にも尊敬していた人が、そんな形で格好悪く居座っているのは
見ている方としても、どうにも我慢できないですね.

 

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なんだか考えちゃうよね・・・・

2011年05月24日 | Weblog

足が痛くて参ったなぁ。
こんなに痛い肉離れなんて久しぶりです。
運動前のアップやストレッチは、もっと念入りにやらないとダメですなあ。

この処、雨が続いてサッカーを休んでいるので、
いつもよりは直りが早いかなとはおもうけれど、
怪我をするたびに、何だか凄く歳をとった感じがする。

昨日、日記に書いた放射能の話。
やっぱり何だか不気味で、サッカーなんかやって平気なのか?
外で遊んでいる子供は本当に大丈夫なのか?
そんな事を考えてしまうね。

昨日は放射線の影響を針がちくちく刺さるようなものって表現したけど
実際にはそんな簡単じゃない。
放射線と言うのは細胞にダメージを与える。
もっと怖いのはDNAの形を壊してしまったりするから怖い。

年齢が高いほど影響を受けにくいと言うのは、癌の進行が若いほど早いのと似ていて
成長期や若い時ほど細胞分裂が活発だから増殖しやすいらしい。
放射線のダメージは生殖細胞、内臓などの細胞分裂の活発な所ほど高いと書いたけど
それは年寄りに比べると子供や赤ん坊が、ダメージを受けやすいと言う事になる。

先日、インターネットで60cmの巨大タンポポが
千葉の船橋近辺で多く見られるという記事を読んだけれど
かつてアメリカのスリーマイル島の原子力発電所の事故があった時も
全く同じようなタンポポが確認されていた。


八王子市では、花びらが開いた形でチューリップが咲いてみたり


僕の住んでいる東京の周りでは、不気味な現象が多く見られているのですよ。

だから、子供にサッカーやらせたり外遊びを本当にやらせて良いのか?
なんだか考えちゃうよね・・・・
そのうち巨大イナゴや極太ミミズとか、草や土中に生息する生き物が
形を変えて出てきそうで怖い。

石の森章太郎の『サイボーグ009』の最後のシーンでは
核戦争の後に生まれた6本指の女性や、三つ目の男とかが登場してたけれど
巨大タンポポの写真を見ると、あながち嘘じゃないな・・・・って思ってしまうのです。

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誰が悪いとか言ってる場合じゃないだろう・・

2011年05月23日 | Weblog

震災による津波で大打撃を受けた福島原発。
東京に降り注ぐ放射能の量も「安全」って言っているけれど
そもそも誰を対象に安全って言ってるのかなって思う。

放射線への対抗力って言うのかな?
被爆量の上限とか、年齢によって皆違うはずだと思うけれど
出てくるのは、「許容範囲」の数値ばかり。
それが何歳の男性とか、基準にしている層がわからない。

放射線を取り込むと、放射線は細胞に作用します。
そのダメージは生殖細胞、内臓などの細胞分裂の活発な所ほど高いとされている。
また、放射線を取り込んでも、人間の抵抗力により、一過性であれば、
ダメージを受けても、一定の回復するといわれています。
ダメージを受けた細胞の再生は、場所により変わるけれど、
一般的におおむね1日~1週間と言われている。

何かで読んだけれど、放射線による身体へのダメージと言うのは
身体に針をチクチク刺しているようなものだとか・・・・
針が刺さっても命を奪うほどではない。その怪我も1週間もすれば治る。
ところが針を心臓に刺すと、刺し処によっては死に至る。
大量に刺されば、やはり死に至ることがある。

こんな話も聞いた。
放射能への抵抗力を赤ん坊のレベルを1だとしたら、10歳未満が4くらい。
これを叩かれた回数に置き換えると、赤ちゃんは強く叩いたら死んでしまう。
子供が5回で死ぬなら、10代は10回、20代は25回、30代は50回、
50代なら100回叩かれて、初めて死に至ると言う感じで
年齢が高くなると、放射線への抵抗力が上がって行く。

つまり、いま安全と言われている数字が30代のものなのか?
もしそうだとしたら、子供にとっては非常に危険な数字になる。
これは僕の勝手な素人考えなのだけれど、こういった疑問に応えてくれる
報道や、政府の説明が一切ないのが、不安を余計高くする。

国会で自民党の谷垣総裁が『海水の注入を止めさせた責任』などを
一生懸命追求してるが、あれは頭の悪さを晒してるね。
いつものサッカーの話に例えると、仲の悪いチームメイトが
一点入れられて『点を取られたのはあなたのせいでは?』
って、試合中に言い合って居るようなもの。
それも試合そっちのけで、肝心の試合はどんどん進んで点を取られ続けている。

まさに今は試合中、事故の対応次第で日本の状況が変わると言うのに
こんなことやってる管総理大臣も谷垣総裁も阿呆だね。
こんな奴らは、政治から身を引いてほしいね。本当にむかつく・・・
被災地や避難民のこと考えたら、政権だとか言ってる場合じゃないだろう・・

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負けちまったい!

2011年05月22日 | Weblog

芝居の公演が終わって、これからサッカーに集中。
早速、今日からリーグ戦に復帰。
先週休んじゃったから、ちょっとバツが悪い。
でも、そこはオーナーですから、自分の思い通りにオーダーを組む。

今日はGKの本職が来てくれたので、僕は『背番号10』をつけて
センターフォワードの位置で出場。
久しぶりにフィールドプレイヤーとして試合に出るので、
最初はゆっくり試合に入って、ペースをつかもうと思っていた。

試合前に『オーナーにどうぞ・・という丁寧なパスを出すように』と指示。
ところが、こういう指示を守る奴らじゃない。
相手がもたついている間に、点を取ろうとパスのペースが上がる。
長年一緒にやって居ろ、ゲームメーカーの郁也との呼吸が合わず、
僕の動き出しがちょっと早いって、言われた。

僕にすれば、相手を引き離すには早めに動きたかったんだけど
郁也も年齢と共に、プレイが遅くなっているのかもね?
で、何回かチャンスは作った。
GKが飛び出しているので、僕が頭越しにループシュートしたら
思ったよりボールが変化して、ゴールから外してしまった。

その後、味方から来たボールをキープしようとした時に
後からふくらはぎを蹴られて、暫く動けなくなったんだけど
我慢してプレーを続けていたら、どんどん痛みが増して
結局、前半終了間際に動けなくなっちゃった。

多分、ふくらはぎの肉離れでしょう。
試合前のストレッチが足りないなぁ・・・って思っていたので仕方が無い。
肉離れは、医者に行っても『じっとして動くな』と言われるだけ。
暫く湿布をして、運動を控えれば直るでしょう。
自分の歳を考えないでやるから、こんな事になるんですねぇ・・・
芝居の公演前じゃなくて良かったです。

試合は前半は0-0で終了。
後半は若手の助っ人に交代して、楽に勝てると思ったらそんなに甘くなかった。
ボールを支配して優勢に攻めているのに、点が入らない。
そうこうしているうちに、こっちのミスで点を奪われちゃった。
それでも、いい形ですぐに1点返して同点にしたのだけれど
相手のシュートがイレギュラーバウンドになって、失点。
その後は、また攻め続けたけれど、肝心のシュートが枠から外れる。
一方、相手は大したチャンスが無いのに、放ったシュートが
憎たらしいほど、ことごとくネットを揺らす。
結局1-3で試合を落としてしまった・・・・

この日は、会社を退職された御大が観戦に来てくれた。
1年半前に、このチームを立ち上げた時に来て頂いた大先輩。
http://blog.goo.ne.jp/ug_d35_sky-gray/e/da9c074d290ff0d58e5620d1c0dde91c

↑そのときのブログ
今年から息子さんをメンバーに入れて、今日はその子のデビュー戦。
返した1点は、その息子が親父の前で取った得点。
病のせいで、最近は車椅子の生活になってしまっているけれど
今日はみんなの顔を見て、嬉しそうにしてくれた。

僕はお約束どおり『よぉ、爺さん、元気そうじゃないか』って
生意気な口を利く。
御大は、それに対して『相変わらず元気だな』と目で僕に語る。
試合が見やすいように車椅子を日陰に運ぶのも僕の役。
何だか、この先輩が見に来てくれたことが嬉しかった。
息子さんをチームに入れた目的が、こんなに早く達成されるとは
思っていなかったからね。

僕が作ったシニアチーム「マスターズ」の精神は
『勝ち負けにこだわらず、楽しむことが優先』
これは、この御大が昔からずっと僕に教えてきたことです。
この歳になって、先輩がどれほどサッカーを愛していたのか
そういうチームを自分が作って、初めて判った気がする。

今日の試合は楽しんで負けたから、善しとしよう・・・・ですね?御大。

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お袋の日記

2011年05月21日 | Weblog

今日、実家に行って片付けていたらお袋の日記が出てきた。
2010年の常用日記。正月元旦から書き綴っていたようだ。
書きかけで、去年の5月で終わってるけれど・・・・

中を開いて見ると、一人で住んでいて寂しいのが良く判る。
かといって、一緒に住めばそれなりにストレスがあることも・・・
この6年間、一人で頑張って生きてきたのだけれど
僕が心配していたことが、殆ど当たっていたのに気がついて
もっとこちらから積極的に何かしてやれたなぁ・・・なんて思ったり。

去年、姉貴のところの姪が日本に来て一緒に生活を始めたんだけど
生活ペースが乱されて、それなりに悩んでいたようだ。
口に出さないでいたから、周りは大丈夫だって思っていた。

僕が尋ねて行くと、必ず愚痴をこぼしていたのだけれど、
僕はそれを聞いてやる以外、何もしてやれなかった。

4人兄弟の上二人が、海外での生活なので、僕にみんな負担がかかるって
日記には『好き勝手やるから雄二が可哀想』なんて書いてあって
何だか読んでいて、涙があふれちゃった。

日記は体調がおかしくなり始めた5月で途切れていた。
亡くなる前に、もっと話がしたかったから、日記に何か書いてあるかな?
なんて思いで、読んでいたのだけれど結局それ以上は
お袋が何を考えて、何を思っていたのかはわからなかった。

ただ、一番心配していた、姪が帰国した後のことは
お袋の日記に『また一人になったら、どうなっちゃうんだろう?』
という一行に、不安だった気持ちが現れていて切なくなった。

ただ、一人になる前に皆に看取られて親父の元へ旅立って行ったから
結果的にその心配は無かった事になるけれど・・・・・

僕も毎日、日記を書いているけれど、自分が死んだ後に娘が読んで
こんな思いになるのだとしたら、生きている間にもっと話をして
お互いに思い残すようなことが内容にしないとな・・・・
なんて、思ってしまった。

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公演後記⑤ また来年・・・

2011年05月20日 | Weblog
年明けから5月半ばまで、長い稽古を続けてたどり着いた舞台本番。
終わってみれば、あっという間に一週間が過ぎて
この間の公演が、ずっと前にやったような感覚に陥っている。

初めて参加した6年前の公演は、終わった後の虚脱感があって
とても仕事になるような精神状態じゃなかったのだけれど
今年はそういうことも全然無くなって、至って平静。

何が変わったのか?自分ではいつもと変わらずやってきたので
いつも通りの感覚になるんだろうと思っていたから、拍子抜け。
これなら休暇なんか取らなくても良かった・・・・と思うくらい
至って、普通の週明けだった今週の月曜日。

なんかさ、もう少し燃え尽きた感があって仕事にならないような
状況があってもいいんじゃないかって、休暇を取ったんだけど・・・

相変わらず、衣装はつまらなかった。
僕なんか、普段の格好で下手すりゃ通勤着ですよ・・・アロハ・・・
だから革のボトムに上はテカテカに光るシャツを着て
まるでフラメンコダンサーみたいな格好をしようと思ったのに
結局「黒」と言う色が駄目だと言うことで断念・・・
芝居って、非日常の自分を作れる楽しみでやってるんだけれどなぁ・・・

女性のファッションセンスも、いまひとつダサい。
色使い、形とかなんとなくそこらに居るオバちゃんのままだった。
たとえ役どころがそうだったとしても、
『こんなオバちゃんいねぇよ』って言われるような衣装が面白いのに・・・

去年、座長から言われていた役どころが、台本を開いたら
別の人がやる事になっていたので、がっかりしたかな・・・・
まぁ、他人の話は半分にして聞いておけと言う戒めでしょう。
おまけに僕の役はいつも、素でやっているようなキャラクターなので
ちょっとつまらなかったな・・・・・

かといって言われていた役どころは、結果的に僕がやったら、
ちょっと荷が重いかな?って思う難しい役だったから、
座長の配役は正しいとは思うんだけれどね。

逆にそんな事を言われなければ、去年の公演で辞めていたのですよ。
そういう意味では、この劇団でもう少し続けろって神様の思し召しなのか?
毎年、楽しみにしてくれていたお袋の遺志なのか?
よく判らないけれども、そういうお導きみたいなものがあった気もする。

そもそも、この劇団との関わりが始まったのも、
劇団にいた叔母の49日に来てくれた叔母ちゃまから
叔母が出るはずだった公演のチケットを貰った事から始まった。

素人芝居なんかに興味が無く、家族で買い物に出かけてしまったのに
午後に帰宅したら、何気なく置いてあったチケットを見て
なにか胸騒ぎがして、何も持たずに観に行ったのが始まりだから・・・・・
これも叔母の導きだって、おばちゃまは言うけれどね。

とにかく色々ありました。
多分、嫌なことは来年も無くならないでしょう。
不快な事も、言いたい事を言えない状況も同じだと思う。
でも、間違いなく違うのは、来年は後ろに応援してくれる仲間が居る。
今までは後ろに居て応援してくれたのはお袋だけだったからね。

また、来年・・・・・
まずは自分が楽しむこと。
そして笑顔を応援してくれる皆に見せる事。
頑張って行きまっしょい!
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公演後記④ 女性の時代

2011年05月19日 | Weblog

今度の公演で感じたことの一つに、舞台裏のスタッフに女性が多いなぁ・・・
って思ったこと。
音楽の大塚先生、歌唱指導の石崎先生に始まって、
美術担当の松生さん、衣装担当の小林さんなど、半分以上が女性。
まぁ、劇団も7割がオバサンだから、女性の感性のほうが合うのかもね。
(オバサンが女性の感性を持っているかは別です)

でも、僕が感じたのはいわゆる裏方の女性の多いこと。
舞台監督は去年まで酒井さんと言う男性がやっていた。
今年は松浦さんと言う女性が担当して、通し稽古からずっと一緒にやってきた。
それと本番では、舞台の出入り口を出演者の出入りに合わせて開けたり、
舞台上の小道具を出し入れしたり、配置を替えたりする係も女性だった。
元々この二つの仕事は、出演者に転じた『平野清太郎』さん
がやっていた役を今は女性が仕切っている。

驚いたのは照明スタッフ。
塚本先生のところのお弟子さんなんだろうけれど、5人中4人が女性。
僕が舞台の仕事をしていた時代は、照明スタッフに女性なんて滅多に居なかった。
武道館等の大きな場所で仕事をする時など、専用の劇場と違って
太い電源ケーブルを3階あたりまで担いで上げたり、力仕事が多かったし、
照明の当たりの調整なんて屋根裏に上ってやるから
女性には厳しい仕事で、やり手が殆ど居なかった。

一番の理由は多分、親方と弟子の世界だったからじゃないかな?
昔の言い方では弟子ではなく兵隊と言われたくらい上下関係が厳しく、
怒鳴られながらの仕事は当たり前だったし、僕なんか最初の頃はミスをして
「金やらねえから、帰れ」っていわれた事もあった。
そこでオメオメと帰ると、二度と仕事に在りつけなかったし・・・・
そんな世界だから、一昔前の女性には辛かったんだろうな。

『男女雇用均等法』とか『男女平等参画』なんてものが無くて
まだ世の中が、女性は男性の下で働くものっていう風潮もあったしね。
時代が変わって、女性が躍進して来た代わりに、頼りない男が増えて
「草食系」なる種まで現れちゃったんだもんなぁ・・・

今の舞台は機械式のものが多いし、仕込みの様子を見ていても手際がよく
事前に十分な打ち合わせもしているのか、大声で怒鳴るシーンは見られない。
仕事の進め方も昔と違って、効率よくやるようになったのだろう。
それ以上に、今の女性は根性があるんだろうな・・・・
たとえ怒鳴られても、歯を食いしばってやっているような感じがする。

何処かの会社の若い男で、怒鳴られると帰宅してしまうような
甘ちょろい感覚の人間は、そもそも舞台の仕事では生きて行けないし・・・・
今や僕もその口で、サラリーマンほど楽な仕事は無いって思ってる。

こんな世界で身を立てようと思う女性は、世間一般の女性のような
「結婚」とか「家庭」等には価値観を持っておらず、自立した人間として
男と分け隔てなくやってゆく事に生きがいを感じてるのかもね?
なんだか、そういう女性たちを見ると嬉しくなる反面、
根性の要る仕事からどんどん男が居なくなるような気もした。

でもね・・・・実はサラリーマンだって、根性のある奴と無い奴とでは
出てくる結果も、周りの評価も違うんだよね。
要は、嫌われがちな『根性論』は何処の世界でも在るんだって思うよ。

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編集後記③ 素敵な指導スタッフ

2011年05月18日 | Weblog

劇団『ステージドア』の特徴はなんと言っても劇団員の年齢幅の広さ。
上は80代から下は20代まで、まさに三世代が同居する劇団。

この劇団には、信じられないような指導スタッフが付いている。

まず昨日紹介した、振り付けの河岡先生はプロの舞台人。
劇団四季に所属し、今は振り付けの仕事に携わっている。

演技指導は同じく劇団四季の堀米聡先生。
かつて劇団四季の『コーラスライン』でマーク役を演じた役者さん。
一時期、家庭用洗剤だったか、コマーシャルにも出演していた。
河岡先生とは違ったタイプの、セクシーな男性でとにかく優しい。
甘いマスクで、オバちゃまたちの心を擽るんだろうなぁ・・・
堀米先生からは、劇団に参加した時から、良く声をかけて頂いている。
今回の芝居でも、ちょっとした仕草の指導で、芝居がやり易くなったり
先生のアドバイスを貰うと、急に演技が良くなって行くから不思議。

音楽は、アニメ『ゼーガペイン』の音楽などで名を馳せた大塚彩子先生。
彼女はクラシックからロックまでこなすマルチプレイヤーでもある。
最近、活動を休止している『プリズミクス』という
弦楽4重奏にエレキギターやベース、ドラムを加えた珍しい編成の
バンドを率いている方でもある。
音楽の幅が広く、劇中で唄う曲のバリエーションは目を見張る。
僕が感じる限り、ロック好きな気がするクールビューティー。

唄の指導は『魔女』石崎知穂先生。
この先生も東京音大を卒業して、今はボイストレーナーを生業とする
プロの音楽家。
この先生の魔法にかかると、僕のようなヘボでも唄が上手くなる。
この先生に教わって、少しも進歩しない人間は余程の無能。
石崎先生の魔法にかけられて、皆の唄が活き活きするから不思議です。

去年の公演『魔女は永遠に』の稽古の最中に、この二人が黒系の服装で
一緒に現れた時、僕は思わず笑ってしまった。
なんせ、稽古では魔女役の女性たちが一生懸命稽古しているのだけれど
怪しい艶っぽさや、色気を振り撒くでもなく、どう見ても
『私は魔女』って言っている街のおばさんにしか見えなかった。
唄も女学校の合唱コンクールみたいに、キンキンと唄うから
魔女の妖艶さ・・・・なんて、全く感じなかったのです。

そこへ現れた二人が、対照的に黒装束でなんやら妖しい感じで
稽古の場所へ現れたから、僕は思わず
『あっ、本物の魔女が登場だぁ』って、声に出して言ってしまったくらい。
その上、大塚先生の作る曲は僕らの身体に浸み込んで来て、
それに知穂先生の指導が加わった途端に、唄に息が吹き込まれる・・・
この二人の魔法のような指導が、僕の心を奪ってしまう。
まさに魔女・・・・

こんな素敵なスタッフに指導されて、芝居が出来上がる。
今回の『人生は一度きり』は音楽と振り付け、そして唄が噛み合って
近年に無く、出来の良い舞台だったと言われた。

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公演後記② 同い年3人、それぞれ・・・

2011年05月17日 | Weblog
この公演に僕と同い年の男性が2人。

一人は振り付けの河岡先生。
河岡先生は、神戸出身で若い頃に「東京へ行くんだ」と
早稲田大学の法学部へ入学したそうだ。
在学中に劇団四季に加わり、その後は法学部を卒業して
畑違いの舞台の世界で活躍されている。

河岡先生は、同い年とは思えないほど身のこなしが軽く
しなやかな上に、男の僕から見てもセクシーで、
お世辞抜きに、僕の身の回りに居る一番格好良い男性。

なんせ、ちょっとした仕草でも、何だかフェロモンが放たれて
うちの劇団のオバちゃま達が
『あっは~ん』ってなってしまうような、そんな感じがする。

身体のラインはすっきりしていて、体型維持も大変だろうと
聞いてみたら、やっぱり週に3,4回はジムに通っているそうだ。

この先生が、一人で鏡や窓ガラスに向かって、
それこそ『あっは~ん』とかの、悩ましいポーズを考えているんだろうか?
って、先生が振り付けを考える時のことを想像すると何だか楽しい。
考えてみれば、河岡先生の同窓生は法曹界に結構居るんじゃないかな?
そういう意味では、異色の方なのかも知れない。

もう一人は芸名『平野清太郎』
この人は、一昨年まで舞台監督をやっていただいていた人。
日本のクラシックやオペラなどを手がける、有名な舞台関係者。
去年、男性が一人欠員になって、座長が『平野清太郎』さんに相談したところ
良い人が居ます。といって紹介したのがなんと自分・・・・。

『平野清太郎』さんは、北海道出身で上京後、劇団を立ち上げたが
あの時代、その道で食べて行ける俳優なんて数少なくて、
そこで出会ったのが『桑田圭介』。
当時、新人だった青山学院大の『桑田圭介』の舞台監督を募集していて
それに応募したのが、この世界に入ったきっかけとか・・・・。

舞台にずっと関わっていた上に、元々役者志向だった『平野清太郎』さん。
劇団に加わって、何処か演技にも余裕があって、憎たらしいほど落ち着いてる。
去年だけかと思ったら、味を占めちゃって公演の日はオフにして
これからもずっと続けようと、打ち上げの時に二人で
『どちらかが死ぬまで続けるぞ』って、話をしたり・・・・
いまでも、本業では忙しく過ごしているみたい。

僕は、『平野清太郎』さん同様に、若い頃にライブハウス経営に参加し
そこを土台に舞台音響・照明を始めて、その後独立して照明のスタッフをやっていた。
運良く、美空ひばりやデビュー間もない矢沢永吉のツアーに参加したり
それなりに一流の仕事をやってきたのだが、僕には根性が無かった。

その後、30歳過ぎまで職を転々としながら、行き着いたのが今の会社。
ここでもラッキーなことに、世界一の装置作りに携わることが出来た。

河岡先生、『平野清太郎』さんともに同じ時代をそれぞれ生きてきた。
70年代(昭和45年~55年)に青春時代を過ごし、その当時は新しいことを
何でも始められた、幸せな時代。
でも、僕はこのお二人を本当に尊敬している。
凄い人たちだなぁ・・・・って。

そして、立場は先生と劇団員だったり、舞台監督と出演者だったりするけれど
こういった凄い人たちと一緒に一つの舞台を作れる劇団「ステージドア」は
他に類を見ない、素晴らしい素人劇団だなって思う。

悔しいけど、この世界では二人の足元に及ばないけれどね・・・・・
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