徳川三代将軍家光公の廟所(墓所)である輪王寺大猷院。
1651年、将軍職のまま江戸城内にて48歳で逝去。
若かったんだ。
死してなお尊敬する祖父家康に仕えたいとの遺志により、江戸から4日間の道中の後この地に埋葬された。
4代将軍家綱公によりわずか1年2ケ月の工事期間で完成。
きっと、日本中の職人さんが集められたのだろう。
大猷院は時の天皇から贈られた法名。
混雑する東照宮から10分ほど歩き、二つ堂の前を過ぎ大猷院へ。
大猷院には4つの門があり、その最初の門「仁王門」を内側から。
その次にある「二天門」は只今修復工事中。
この敷石は何という石なんだろう?
雨に濡れいっそうの輝きを見せる。
モミジに囲まれる御水舎。
錦なす紅葉の頃はさぞ美しいことだろう。
屋根は銅瓦葺、切妻造り軒唐破風の建物。
12本の御影石の柱に支えられた優美な姿と細部の繊細な技法で、東照宮のそれよりも立派だという。
天井には狩野派の絵師により描かれた竜の絵は日光山第一の傑作らしい。
写真もイマイチはっきり撮れていないが、修復が必要なぐらい彩色が剥げているように感じた。
軒丸瓦には葵の紋。
金具には初めて透彫の技法が用いられているらしい。
太い樋で引かれる水は山からの湧き水か?
12本の柱のうち4本は六角柱、8本は四角柱。
足元は金具で覆われている。
絢爛豪華な夜叉門を通り国宝の拝殿へ。
拝殿の入り口には唐門。
4つの門の中では一番小ぶり。
拝殿内は写真撮影禁止。
金を多用し「金閣殿」ともよばれ、全国でこのような金を多用した建物は3ケ所あるが、靴を脱いで中に入れるのはここだけ。
他の2ケ所は、金閣寺、中尊寺金色堂。
内部は水戸公や紀州公、尾張公などから献上された供え物が並び、家光公着用の鎧兜それに狩野探幽が描いた唐獅子狛犬もお目にかかれる。
建立されてから364年、いまだに一度も修復されていない・・・と、案内の坊様が自慢する。
灯篭は全部で315基、そのうち銅の灯篭は66基(ちょっと怪しい数字)。
ここにも葵の紋がきらめく。
拝殿の回りにめぐらされた瑞垣。
透し塀の上には松竹梅と鳩が。
展望所から眺める下界(らしい)には当時の大名が献上した灯篭が並ぶ。
はぁ、時間を忘れて魅入ってしまった大猷院。
観光客であふれる東照宮のざわつきはなく、絢爛豪華な江戸芸術を堪能した。
いつ頃まで渡れたんだろうか?今は通行不可の神橋。
(調べたら、昔から貴賓しか渡れなかった。)
長さ28m幅7m。
大谷川の水量も多く、橋の朱、山々の緑、清流の青・・・きれいだなぁ。
東照宮、輪王寺は多くの観光客で賑わっていたが、大猷院まで足を延ばす人は少ないみたいで、少し待てば人が居ない写真が撮れるぐらいだった。
世界遺産に文句無し。
日本の宝です。
秋の紅葉の頃、又、行こう!