MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

第34回富士登山駅伝

2009年08月03日 | スポーツ

今年も、秩父宮記念第34回富士登山駅伝大会に我チームのサポートの一員として参加してきた。

毎年、我チームは2、3チームが参加しており、サポート隊を含めて約40人が、前日あるいは早朝から現地に集結した。

これまでも何回もサポーターとして参加してきたが、山岳駅伝としては、世界に類を見ない超ハードな駅伝であろう。

御殿場陸上競技場から、太郎坊を経由して、富士山山頂までの3199mを6人で襷を繋いで一気に駆け上り、飛ぶように下る過酷なレースである。

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北海道から鹿児島県まで全国各地から、自衛隊チームを含めて、精鋭約120チームが富士スバルラインで足を競う。

この日は、朝から雲が垂れ込めて、山の天候を心配しながら、早朝5時過ぎに家を出て現地へと向かった。

御殿場市に入る頃から、小雨模様となり不吉な予感がよぎっていた。

現地へ着いたときには、選手諸君は既に各担当区間へ配置に付いていたが、サポート隊もメールで確認しあって、スタート前の緊張を伝え合っていた。

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8時のスタート時頃から、雨足が強くなってきて、コース事情やレースの展開が心配になり、山頂など山の様子を、

山の担当から様子が伝えられてくるが、時と共に不安が大きくなってきた。

レースがスタート後も、雨足はさらに強くなってきて、担当していた第2中継所の「馬返し」では、待機場所が林の中故に容赦なく雨が臨時の雨避けのブルーシートやテントを襲い、雨のように泥酔が足元を流れていく。

第2中継所に先頭グループが到達する頃には、雨足は一層強くなり、選手もサポートもずぶ濡れ状態であった。

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例年通り、先頭グループは、全て自衛隊が独占してレースを引っ張り、一般チームとは、10分以上差が出来ていた。

その頃に、案の定 山頂区間は、悪コンデイションのため打ち切りとなり、「七合五尺」の中継点での折り返しに変更された。

山頂担当とのメール連絡でも、雨と強風で寒くて立っておられず、下山を始めたと連絡が入ってきた。

太郎坊からの山区間は、視界も3m位で、寒くて耐えられないとの情報も入り、名物の砂走り区間も、例年の展開とは違うようだ。

下りに入っても、一向に雨足は劣らないどころか、強くなり一般道は瀧のような雨水が足元を流れていた。

山頂区間が打ち切りになった分、約1時間短縮されて、何とか事故もなく全チームがゴールまで襷が繋がりホッとした。

我チームも、2チームがゴールの競技場で争って、30,31位で並んでゴールしたが、まもなく全選手・サポートに、ゴールのメールが届いた。

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我チームは、今回は最も得意とする山頂区間が無くなって、順位を下げたが、20回連続出場の名誉賞を受賞した。

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レース終了後は、御殿場の打ち上げ式に選手・サポート全員が揃い、互いの健闘を称えあった。

帰路の東名は、またしても休日サービスのお蔭で大渋滞が起きており、眠気に襲われながら睡魔と闘って二重苦の長い一日であった。

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