古来より「暑さ寒さも彼岸まで・・・」と言われるとおり彼岸の入りを迎えて、猛暑日が続いていた日本各地も今日は30℃を超えるところはないようで、涼しさを感じる朝を迎えたようだ。
今年の秋の彼岸は116年ぶりに9月22日となっており、昨日早朝に墓参りに行ってきましたが、今年は先月実弟が他界したばかりで、初彼岸となり特別の想いで供養しているところ・・・
「彼岸」とは、煩悩や迷いに苦しむこの世の「批岸(しがん)」に対して、悟りの境地である彼方の岸をいうのだそうですが、太陽が真東から上り真西に沈む春分・秋分の日に、極楽浄土のある西方を想う境地だとか・・・
お彼岸には、近くの霊園墓地には多くの墓参りする人達で賑わっていましたが、休日となる週末には大渋滞となります。
「彼岸」の語源は、太陽信仰から昼と夜の長さが同じである日に、浄土のある真西に沈む日を「日の願」といい、「日願」となったとも通説があるようですね。
ここでいろいろ言葉を調べてみると、「彼岸」、「日願」、「悲願」、「悲岸」、「避寒」、「悲観」、「被官」、「樋管」、「悲顏」、「飛缶」、「非癌」・・・・など似たような言葉が次から次と浮かんできますが、どの言葉も何か悲しい響きが付いてきて、寂しく感じますね。
言葉調べのついでに、今朝の新聞報道では文化庁の「国語に関する世論調査」の結果が発表されているが、携帯電話や電子メールなどの普及により伝達手段が多様化しているために、漢字力が低下しているそうです。
自分が発する言葉を生み出すのではなく、画面に出ている言葉を選ぶ習慣が浸透して、自ら漢字や表現することが少なったと書かれています。
また、手紙やはがきを書く習慣も面倒だから減少しているとか・・・
一方、昨今耳にしている気になるクセ言葉を挙げると、「・・・って言うか~」、「・・ポイ」、「〇〇の一個上・・」、「~じゃないですか」、「~みたいな」、「わたし的には・・・」、「だってさ~」・・・挙げれば切りがないが、若者が日常使う言葉が最近は、中高年にも伝染しているようで、気にならなくなっていることは否めないようだ。
最近のテレビでも、タレントなどが平気で俗語などを使っているのを見かけるが、アナウンサーやテレビ局が、しっかりと指導すべきではないだろうか?
もともと若者同志での言葉が、相手や場所の見境なく使われるようになり、日本語の美しい表現が失われていくようで、寂しい限りである。
お彼岸を迎えてご先祖さまと向かい合いながら、昨今の世相を憂いていた。