MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

故郷ふくい~歴史散策 『柴田神社』

2010年06月12日 | 旅行記

福井の最も歴史を感じるところとして、福井城址(現福井県庁)とともに著名な『柴田神社(北ノ庄城址)』があるが、大変興味を持って訪ねてみた。

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これまでも何度か訪れているが、近年発掘調査により北ノ庄城の石垣などが発掘されて資料館や北ノ庄城址公園として綺麗に整備されていた。

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境内には、柴田勝家の銅像や「お市の方」の銅像が建てられており、境内社・三姉妹神社も新しく整備されているが、所謂、鳥居をくぐって参道を歩む神社光景とは趣が違っている。

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来年のNHK大河ドラマに、お市の方の三人娘の末娘である「お江(おごう)」をヒロインとして放映が決定したそうで、地元では大変話題になっているようで、来年は恐らくフィーバーするのだろう。

これまでの知識では、北ノ庄城=福井城と思っていたが、北ノ庄城の本丸跡に柴田神社を鎮座したそうです。

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神社の拝殿の下には当時の石垣が、発掘調査で出土した状態のままで展示されていましたが、当時の石垣はさらに数段高かったようである。

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境内の柴田勝家や「お市の方」の銅像を眺めながら、戦国武将としての勝家や絶世の美人だったと伝えられる「お市の方」の戦国時代の生活ぶりを連想していました。

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本殿の横にある立派な「北の庄城址資料館」に入ってみると、館内には勝家や北庄城・福井城の歴史資料などが陳列されており、歴史音痴の自分には故郷の歴史を知るのに大変勉強になりました。

また、境内には「お市に水」なる井戸や「三姉妹神社」があり、三姉妹のように美人になれるようにと、訪れる若い女性が多いそうだ。

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境内には、当時この地に勝家が築いたという 半石半木(南側を石造・北側を木造)の九十九橋の模型が設置されているが、現在の九十九橋は、約700M下流の呉服町通りにあるのだが、移設されたのか?足羽川の流れが動いたのだろうか?

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さらに、資料館の奥の中庭には、石垣の一部や石碑が配備されています。

また、資料館には、平山郁夫画伯の本殿を描いた画が展示されていますが、平山画伯は柴田勝家の末裔に当たるそうです。

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境内の「北ノ庄城址公園」の石碑は、平山画伯の揮毫されたものでした。

その後、柴田神社から約1Km南にある『長慶寺』へ向かった。

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長慶寺は、勝家が秀吉により攻められて自刃した後に、北ノ庄城の城主であった「堀秀政」が居住していたというゆかりの寺だそうで、今も樹齢400年の大銀杏の下に、秀政のお墓がありました。

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境内には、豊臣秀吉に仕えた戦国武将 堀秀政の業績の解説標識がありました。

今、坂本龍馬との縁で幕末の福井として熱い話題が多いが、ふるさと福井の歴史ロマンの一旦に触れた4日間で、歴史を学ぶキッカケを得る機会となった。

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故郷ふくい~歴史散策 『福井』

2010年06月11日 | 旅行記

芦原温泉・三国から福井市内の長く空き家状態にしている実家に戻り、久しぶりに落ち着いてあれこれと懐かしい気分に浸っていた。

庭や家の中の手入れに汗してから、歴史の街「ふくいの街並み」を探ろうと、ジョギングで散策してみた。

ふるさと福井を訪れる度に、これまでも要所要所を訪ねてはいたが、今回はAPEC開催などで熱い情報が発信されている「我がふるさと」の歴史にこだわり散策してみた。

足羽山周辺や福井県庁周辺は、多くの史跡や懐かしい風景があり、思わず立ち止まって覗き込んだり、話を聞きたくなる誘惑にかられるスポットが多い。

この日は、実家から足羽山コース~県庁周辺コースを選び、足羽山~福井城址~北ノ庄城址などを中心に、幕末の名所旧跡を探索ジョギングへ。

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足羽山の南側にある兎越峠(おさごえ峠)を越えて足羽山へ登るコースをジョグって行くが、峠には『おさごえ民家園』があり、久しぶりに立ち寄ってみると、思いの外多くの古民家が並んでおり、この日は、地元の小学校グループが歴史の勉強を兼ねて訪れていた。

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案内人の説明によるとこの民家園は、県内各地の代表的な18世紀前後に建てられた豪農や庄屋などの古民家を移築復元したそうで、土蔵や厠などがあり、昔の家具や生活道具も展示されており、福井に生きた先人たちの暮らしを感じることのできる貴重なものであった。

しばし、園内を見た後、つづら折の坂道を登り足羽山公園へ向かい緑濃くなった公園のコースは、市内を見下ろしながら自然豊かな絶好のジョグコースであった。

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足羽山と言えば、福井市のシンボル的存在で、桜の名所として、また、無数の古墳群があることでも有名であるが、この日は継体天皇像のある山頂を眺めつつ、足羽神社からあじさい路を辿りながら足羽川へと向かった。

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「あじさいロード」も、まだ開花したばかりで見頃までには、もう少し掛かりそうであったが、満開になると市民の憩いの場として賑わいを見せるそうだ。

市役所を覗いてみると、来週開催予定の「APECエネルギー担当大臣会合」の開催準備ムード一杯で、近くのホテルは全館貸切になっていた。

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市内中心部の県庁周辺のお濠散策路をひと回りしてみると、ここは以前と全く変わらない風景で迎えてくれ、福井城の天守閣跡など遺構や石垣、御廊下橋や御本城橋が多く残されており、いつ訪れても心が和む雰囲気があり、故郷の風景である。

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さらに近くの郷土歴史博物館へと足を延ばしたが、残念ながらこの日は休館日だったため、周辺の松平藩別邸である養浩館や外堀にあった武家屋敷跡を巡り、江戸時代の名残の一端を覗いて、駅前近くの『柴田神社』へと向かった。

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柴田神社は、戦国時代の武将「柴田勝家」の居城跡として、近年整備されているようで、行く度に姿が変わっているようだ。

NHK大河ドラマに、お市の方の三姉妹の一人『お江(おごう)』が主役となることが決まったそうで、福井の歴史を語る上には、柴田勝家の生き様を知らずには語れないと思っている。

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柴田神社の歩き記は、明日にレポします。

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故郷ふくい~歴史散策 「三国の街」

2010年06月10日 | 旅行記

久し振りの温泉気分を味わったあとは、北前船の寄港地として栄えた古代の港街「三国湊」は必見であると車を走らせた。

縁があって、この4年間毎年訪れているが、昔のレトロな雰囲気が漂う歴史的建造物や花街など文化の面影がそのまま残されている街並みは、実に美しい。

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幼少の頃は、夏になると三国の海水浴場へ出かけるのが、本当に楽しみだったが、現在はサンセットビーチとして、湘南海岸を思わせるようなヨットやサーフィンで、福井のリゾート地として賑わっていると聞く。

また、昨年も訪れた「瀧谷寺」は、南北朝時代に開山されたそうで、戦国大名の朝倉氏や柴田勝家、福井藩主の松平家が祈願したと言われており、古刹として有名寺である。

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参道や山門、本堂、重要文化財に指定された鎮守堂や国の名勝庭園など様々な見どころが多く、何度訪れてもいいが、残念ながらこの日は時間がなく、『みくに龍翔館』へと向かった。

龍翔館には、初めての訪問であったが、三国の街を一望する高台に位置しており、その建築構造は、下から眺めても珍しい異彩なデザインが目立っていた。

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以前にも港から眺めていて、娯楽ミュージアムのような施設かと思っていたところである。

「龍翔館」は、三国の郷土博物館として歴史的文化や、文化遺産などが紹介されています。

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その外観は、三国を代表する白亜のランドマークとして五層八角のユニークなデザインが目立っているが、説明パンフレットによると、元は木造建の「龍翔小学校」だったそうで、30年前に、外観を模して鉄骨鉄筋コンクリート造で現在の形に復元したそうです。

龍翔館には、北前船の模型や、昔の町並みの模型が展示されており、「三国のくらし」 「三国湊のにぎわい」などのコーナーがあり、リアルな形で歴史・文化が紹介されていました。

特に、先月開催された北陸三大祭『三国祭』の勇壮な武者人形を乗せた昔の山車が展示されていたが、祭りの華やかさを実感していた。

八角のベランダからは、九頭竜川河口、三国港、突堤、遠くは東尋坊、雄島、坂井平野の自然パノラマが眼下に一望されたが、夏には白山連邦も眺めることが出来るようである。

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三国港突堤や九頭竜川対岸の国家備蓄設備なども、元会社の関連もあり再訪問したかったが、時間制約が許さずまたの機会に委ねて、福井市へ向かった。

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車窓から見る坂井平野は、田植えも終わっていたが、黄金色の大麦畑が拡がっており、お馴染みの『六条大麦』生産量日本一としても有名であるが、あちこちで刈り入れの光景が見られていた。

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故郷ふくい~歴史散歩 『芦原温泉』

2010年06月09日 | 旅行記

ふるさと福井へ所用があり、久しぶりに知人や友人などと再会して、懐かしい風景や歴史ある名所巡りなどを探索してきた。

初日は、親戚知人と共に福井の名湯である 芦原温泉の老舗『つるや』で、温泉三昧を味わった。

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『つるや』には、以前にも利用したが、日本百名湯にランクされている名湯だそうで、数々の温泉紹介雑誌でも取り上げられており、「日本温泉番付」では、西日本で前頭出頭に位置しているようだ。

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紹介によると「自家天然温泉100%の掛け流しの湯」として、芦原温泉が開湯した明治17年からの創業で、正しく老舗らしい風格が滲んでいる純和風の佇まいであった。

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女将の説明に寄れば、客室の全てが一室ずつ趣が異なっていて、数奇屋風建築の名棟梁の設計施工により、料亭風・茶室風の造りになっているそうで、仲間の全ての部屋巡りをしたたが、障子越しに眺める中庭を眺めていると、心が癒されて大名気分に浸れる雰囲気である。

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また、廊下にも畳が敷かれており、部屋名も「つる」や、「観月」 「春日」 「大観」など、大名気分に相応しい名前が連なり、全ての部屋を覗いてみたくなる気分がしていた。

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ロビーのサロンには、囲炉裏と読書コーナーなどがあり、BGMのJAZZを聴きながら語らいを楽しめて、自由に温泉玉子を食することも出来、熱々の温泉玉子の風味を味わった。

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食事も女将ご自慢の地産地消の創作懐石料理で、その日の献立では、「三方の青梅」に始まり、若鮎、若狭牛、特製和風鱶鰭、三国の豆腐、芦原産こしひかりご飯など地元産食材にこだわり続けた滋味・妙味ばかりで、中高年仲間の我々には、大変評判が良かったようだ。

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温泉三昧で身も心も癒されての一夜を過ごし、早朝にはお決まりのジョグ&散歩に飛び出した。

芦原温泉は、歴史もあり関西の奥座敷としても名高いが、周囲には自然美がなく朝散歩を楽しむ光景はなく、並ぶ名旅館や温泉街を一巡りしたが、裏道は寂れており見るものも殆ど無し。

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温泉歴史の説明によると、干ばつに対処するために掘った井戸から温泉が湧き出したの発祥で、田圃の真ん中だった故に、周辺には名所的なものはなく、心暖まる温泉湯とサービスだそうだ。

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敷地内には、90度の源泉が3本出ており、玄関前には湯が流れておりほのかに湯の香が漂っていて風情あふれる光景が見られた。

[三国港や福井市の歴史散歩は、明日以降に連載]

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横浜ベイサイド~ぶらりスケッチ

2010年06月04日 | まち歩き

今年一番の夏日となったこの日、横浜の風と海と船を求めてベイサイトエリアへスケッチ散歩に出かけてきた。

快晴の空の下で容赦なく照りつける陽は正しく夏のような暑さで、日本とは思えない程 異国情緒あふれた光景が拡がっていて、色々な大小の挺が係留されており、最大級のマリーナである。

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シーサイドライン鳥浜駅から約10分、夏の海らしい青い空と海を眺めながらアウトレット・モールに着くと、多くの家族連れが訪れていた。

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アウトレットの街並みは、ボードウオークやお洒落な街並みがあり、スケッチポイントは数多く、選ぶのに苦労するほどであった。

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海に面した絶好の光景に唸りながら、目の前に並ぶ大小のクルーザーやヨットに挑戦するが、船の形は何回描いても難しい・・・

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開放的な空間に浸りながら、目の前を行き交う豪華なクルーザーなどを眺めながら筆を走らせると、心豊かになるから不思議である。

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レストランのテラスでお昼をとり、レストラン街やアウトレットモール街も、カラフルな得難いスポットが多く、陽射しを避けながらボードウオークに腰を降ろして、早描き挑戦した。

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アウトレット街には、休日ともあって多くの家族連れで賑わい、猿回しの演技やロッククライミングに挑戦にも人気が集まっており、デートスポットとしても人気スポットになっているようだ。

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マリーナ入り口には、クルーザーが陳列されていたが、そのお値段を見てビックリ・・・果たしてどんな人が、購入するのだろうか?と勘ぐりながらマルーナを後にした。

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第29回 横浜開港祭~ぶらり散歩

2010年06月03日 | まち歩き

昨年開港150周年を迎えての開港イベントで大賑わいであった、横浜港の開港祭が6月2日の記念日に、いろいろな開港祭イベントが行われた。

家を出る時には、鳩山首相退陣の臨時ニュースが流れていたが、日本の空に掛かっていた暗雲が取れたように、雲ひとつ無い快晴となっていた。

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この日は、横浜のシンボルである『キング塔(神奈川県庁)』、『クイーン塔(横浜税関)』、『ジャック塔(開港記念館)』を中心に、開港祭イベント会場を散策してきました。

横浜スタジアム前の横浜公園では、恒例の出店が繰り出して賑わっていたが、素通りして開港記念館へ向かい、『ジャック塔に上ろう・・』の特別イベントへ直行した。

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先着200名限定でしたが、幸い77人目でボランテイア「ジャックサポターズ」の案内で、順番待ちに並び時計塔へと案内された。

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いつもスケッチしている時計塔の中はどうなっているのか?と大変興味があり、細い螺旋階段を登るが、階段は一人がやっと登れるほどの細く、最上部は3人が立っているのが限界であるほど狭く、時計台の裏側を望めたが、あの時計には補時計がついており、連動しているそうだ。

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しばし、塔上からキング塔や記念館の複雑な屋根の景観を眺めて、時間制限で止む無く交代下段した。

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続いて、目の前のキング塔(神奈川県庁)ヘ向かい、ここでは屋上が開放されており、素晴らしいベイエリアやベイブリッジなどの展望が眼下に拡がっていた。

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昨年のY150 周年でも開放され満員の様相であったが、この日は数人の姿が見られる程度で、ノンビリとみなとみらいを眺める気分は最高でした。

キング塔も、王様に相応しい重厚な威厳のある景観を示し、スケッチするにも中々手強さを感じているところである。

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屋上の展示コーナーには、県庁の歴史を語る歴代の資料や写真などの貴重な資料が展示されていたが、現在は第4代のキング塔だそうで、80年の歴史を誇るそうです。

また、屋根の縁を形つくるライト様式の「テラコッタ」の復元された物が、陳列されておりキング塔の独特の様式構造が確認できます。

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しばし、屋上からの景観を楽しんで後、真向かいの「開港資料館」では、ペリー来航の開港当時の資料など、改めて150年の重みを感じて、象の鼻地区へと移動した。

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象の鼻パークでは、丁度 港湾労働者供養祭が行われており、山下埠頭にあった横浜港150年の発展の過程で港湾荷役などで亡くなった人達の供養塔を、横浜港発祥の地であるこのパークへ移設したそうで、献花をさせていただいた。

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象の鼻パークで、横浜税関をスケッチされていたグループがあり、丁度講評会が行われていたので、覗いてみたら何と昨年フランスへスケッチ旅行に同行した方の姿があり、互いにビックリだった。

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赤レンガ倉庫エリアや新港パークを散策して、開港祭のメイン会場である臨港パークへ移動すると、海上では、巡視船への特別乗船や官公庁艇パレードが行われていたが、夕刻から始まるステージショーや花火の場所取りが始まっており、大変な賑わいであった。

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ステージ横のボードには、小学生の『横浜港の風景画』が約300点ほど展示されており、興味深く見て回ったが、末は天才画家かと思われるような中々の秀作もあって眺めていた。

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約5時間余りのみなとみらい地区のウオーキングとなったが、文明開化の原点であるわが街横浜の情緒をたっぷりと味わい、熱い一日となった。

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里山~クロカン

2010年06月02日 | ジョギング

6月に入り、ようやく清々しい陽気となり、もやもや気分を払うには最高の天候で、久しぶりに茅ヶ崎の『湘南の里山』へと向かった。

慶応大学藤沢キャンパス付近には、多くの谷戸が拡がり春の息吹が溢れていおり、ジョギングには最適のコースである。

マイコースの慶応周辺をひと回りすると、小出川沿いには月中に開催される「あじさい祭り」に向けて、色付き始めたアジサイの手入れに多くのボランテイアの方が手入れに余念がない。

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また、懇意にしている果樹園に立ち寄ったが、ここでも藤沢の名産品「ぶどう藤稔」「梨豊水」は、この時期の手入れが勝負を決するそうで、夏の成果品を生む苦労話で休息を取った。

小出川に沿って田園風景を楽しみながら、茅ヶ崎へと向かい腰掛神社へ立ち寄った。

神社は、日本武尊[ヤマトタケルノミコト]が、東征の際に立ち寄り玉石に腰掛けて大山を眺めたという伝説があり、鬱蒼と樹木が茂る社地の中は、訪れる人もなく静まり返っていた。

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今の日本のありえない姿を訴えたが、嘆き声が聞こえてきそうだった。

さらに目指す『茅ヶ崎里山公園』と向かうが、丘陵地への急な登りが続いた後、丘陵地の谷間には、緑濃い谷戸の田畑が拡がってきた。

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陽も通らぬみこし坂を駆け降りると、視界が開けて『芹沢の池』に到達、カワセミやシジュウカラなどこの季節に多くの野鳥が観察されるそうですが、ウグイスらしい鳴き声も聞こえるが、その姿は見えなかった。

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『柳谷の谷戸』には、昔ながらの谷戸田、畑、雑木林が拡がり、数少ない自然豊かな里山風景が残っていた。

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田んぼでは、ボランテイアの方々が、10日後に予定されている地域の小学生による田植えの準備をされており、もち米の苗木の手入れをされていた。

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しばし、ご苦労話を聞いてから、古民家風の休息所の「谷の家」や「竹林」を抜けて「子供の村」へ移動すると、そこには多くの子供連れの姿があり、「雲のトランポリン」などには、飛び跳ねながら嬉々とした姿で遊ぶ姿に勇気を貰った。

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「風の広場」、「里の丘」、「風の谷」などのネーミングされる芝生の村には、適度なアップダウンがあり、里山の自然の風にたっぷりと浸りながら、約1時間のクロカンを楽しんだ。

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道中では、いつものヤギ家族が見送ってくれたが、いつの間にか家族数が増えていたようで、口てい疫は大丈夫?だろうかと案じながら帰路についた。

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地元中学校体育祭へ

2010年06月01日 | 地域活動

地元の中学校の体育祭に 地域団体代表として招かれて 初めて出かけてきた。

日曜日の天候不順の影響のために、平日に延期されての開催となったが、父兄などの見学者は予想以上に少なく、寂しい体育祭だったようだ。

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学校周辺や校内には、 「こども見守り隊」 「青少年育成協力会」などのボランテイアの仲間が、腕章を付けて巡回しておられる光景が見られたが、中学となると安全への気配りも並じゃないようである。

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午後には、卒業生と見られる子ども達?など、 同窓生らしい男女が集まってたむろしている姿も見られ校内での光景としては、適さない雰囲気があり、パトロールも止むを得ないようだ。

中学の春に開催される「体育祭」とは、陸上競技会のような技を競う会をイメージしていたが、小学校と同じように、「運動会」だった。

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種目は、徒競走の他は、玉入れやタイヤ運び、ダンス、綱引、組体操など、遊びの要素が多く、楽しく競うもので、中学校で紅白玉入れとは?とびっくりである。

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ご近所の皆さんの顔も見られたが、父兄がカメラでこどもの姿を追うが、姿を見つけられず「息子を探せ・・・」と必死だった。

この1週間ばかりは、毎日練習のため授業もままならなかったようで、組体操などの団体演技には苦労されたそうだ。

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閉会式では、各組の成績優秀賞の他に、応援や団結力、場内クリーニングなどを評価した「活動賞」が授与され、場内から大拍手を受けていた。

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また、閉会式は、生徒全員が整列して直立姿勢で行われるのかと思いきや、何と整理体操の後、整列して座り込んでの閉会式には、驚いた。

今の生徒には、約30分弱の緊張感を維持出来ないのだろうかと、教育の場の甘さに不安を感じ得ない。

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