広島 原爆ドーム 8月6日 過去へ、未来へ祈りを捧げて
暑い熱い8月6日。あの忌まわしい原子爆弾投下から76年の原爆の日。
原爆死没者慰霊式・平和祈念式がしめやかに営まれた。76年前のこの日の朝もものすごい暑さであったと聞かされている。
夏休みじいちゃん学校の唯一の生徒、小6の孫君が8時12分に母親に送られてやって来た。「じいちゃん、もうすぐ黙とうする時間よ、どっちを向いたらいい?」とジジに迫る。東の空に向かって起立。原爆投下の時刻8時15分に合わせて、近くのハザードスピーカーからサイレンが鳴り響く。1分間、身じろぎもせず黙とうする孫君の後ろ姿に、学校での平和学習の効果がうかがえる。そして将来を担う彼らの心の奥に、平和の有難さを、核兵器のない世の中の平穏を刻み込ませる大切な記念日でもある。
世界の大国、先進国、先進途上国など、色んな呼び方をされる多くの国が「自分たちは核兵器を何発保有している」と豪語する。そんな国の指導者たちも、原子爆弾の殺傷力、悲惨さ、投下から復興への困難さ、そういったことは十分心得ているはずである。逆に言えば、それほどに人類の破滅を招きかねない殺傷兵器ゆえに、競って保有量を増幅させている。そうした背景をちらつかせて覇権を目論んだり、兵力・軍力によって 世界の常識をも覆そうとする野蛮な国が我が国のすぐ近くに存在する。その上で、現在核を持っていない国が核開発でもしようとすれば、自国の友好関係なら黙認する。もしも敵対関係にある国が核開発を試みると、寄ってたかって潰そうとする。それは核兵器の恐ろしさ、悲惨さを心得ているからに違いない。
もしもこの兵器をどちらかが使用すれば、当然相手方も報復をするだろう。その結果はどんなことになるのか、核保有国のリーダーはそんなことも知らない、知ろうとしない、ろくでなしばかりなのだろうか。そうではないことを祈りたい。
核兵器で相手に与えたダメージは必ずや自らも体験することになることを知るべきである。それとも、核兵器の使用を命令したり、核兵器のボタンを押させる上層部は、いち早く地下深くの核シェルターに逃げ込んで身の安全を確保する用意が出来ているとでもいうのだろうか。
そんなくだらないことを想像させる核兵器。全ての国が力を合わせてこの世からなくなるといいね。
子ども達が永久に慰霊の黙とうをを捧げることはあっても、悲惨な現実を目にすることだけはない世の中を祈りたい。