「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「暑さいっぷく」

2021年08月11日 | 季節の移ろい・出来事

    

8月も半ばを迎えると、別に意識して植えたわけでもない、タネを撒いたわけでもないのに、庭のあちこちに自生のテッポウユリが真っ白い花を咲かせる。どんなところにでも根付き、ひょろひょろっと伸びた長い茎の先に3輪・4輪・5輪の花をつける。場所によっては鬱陶しく邪魔な感じもするが、まあいい、せっかく1年の歳月を生きてきたんじゃないか、花を咲かせてやろうよ、ってなわけであっちこち数多く咲いている。

背丈1.5mの五葉の松の根っこに生えたおユリさんは、松の上から顔を覗かせ、奇妙ではあるがなんとも愛嬌のあるコラボレーションをみせている。こんな悠長な気持ちになれるのも、一昨夜の猛烈な一雨によって暑さいっぷく。あの猛暑酷暑を一瞬忘れさせてくれる風情があるからかもしれない。

一旦目線を上げて世の中を見渡すと、こんな風情を感じている場合ではない危機状態に陥っていることを厭が上にも知らされる。大都会や観光都市のコロナ感染拡大は、目を覆いたくなる惨状を示している。今や感染爆発とも呼ばれるようになった。ということは、高齢者に限らず30代40代でも簡単に感染するし、医療体制が追いつかない現状では、年令に関係なく{ DeathRoad }まっしぐらという危機感を共有したいものだ。

『感染→医療崩壊→自宅療養→三途の川』という方程式を自覚すべきである。何かしら感染は他人事のような大都会の感染者の推移。その恐ろしさ、その実態をどう捉えているのだろうか。都会の感染が収まらない限り地方への拡散は収まらない。これ以上拡大傾向を見せるなら、完全ロックアウトも視野に、本気度をあらわにした対策を取るべきである。

『自覚』とは、自分のあり方をわきまえること。自己自身の置かれている一定の状況を媒介として、そこにおける自己の位置・能力・価値・義務・使命などを知ること。と、広辞苑にある。説明はややこしいが、つまり「自分を感じ取ること」「自ら悟りを開くこと」である。努力したいものだ。

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