「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「雨が欲しいよ!」

2021年08月05日 | 季節の移ろい・出来事

               
                  島根県吉賀町、水源祭り(雨乞い神事)

来る日も来る日も朝から日の暮れまで、夕立もなければ一粒の雨も降らないカラカラお天気が続いている。
小さな菜園ではあるが、生い茂る夏草を取って耕運機をかけると、これまでに見たことがないほどの砂ぼこりが舞い上がる。ご近所に迷惑がかかってはいけない。慌てて散水用のシャワーで水をかけて作業を続けるが、この焼けついた土壌には水の効果などありゃしない。やっぱり埃は舞い上がる。少しずつ少しずつなんとか作業を終えて、息絶え絶えに葉っぱを垂らしているピーマンやサツマイモ、残り僅かなスイカにも水やりをする。

真砂土の畑はあっという間に水を吸い込む。まさに焼け石に水とはこんなことをいうのか。
それにしてもこのガンガンお天気はいつからか、雨音を一切聞かなくなって何日目なのだろう。指折り数えてみた。孫君のソフトボール試合が雨で延期になったのが7月18日。その日の午後からずーっと今日まで、有難くないガンガンお天気が丸18日間続いたことになる。中には、5・6キロ離れたところで猛烈な夕立があったという話は聞いているが、海岸線の我が家あたりは降らない。夏は暑くなければ悲劇が起こることはわっかっちゃいるが、雨は適度に欲しい。

正直な話、雨ごいをしたくなる。お隣島根県吉賀地方には、今も雨ごい神事が行われているという。神社で雨乞いの祈願を行ない、稲わらでつくった龍を水源池に持ち込み舞い踊り、古代杉(樹齢1,000年以上)に巻きつけるという一連の神事が行われる。
今は何をしてでもいいから、雨が欲しい。渇き切った大地を潤すとともに、渇いた気持ちの中にも少しのお湿りが欲しい。お天道様には勝てないことがわかっているので居丈高にお願いはしないが、優しく丁寧に懇願してみたい。

などと本気で雨待望論を展開したところでニュースを見ると、なんと日本近海に9・10・11号の三つの台風がうろちょろしているではないか。
いくら雨を欲しがってはいても、ほどほどに潤す雨をお願いしたい。必要以上の大雨は、どうか日本列島を避けて海上を通過して欲しい。こうしてみると、何事も欲張ってはいけないということを身をもって得心するしかない。欲もほどほど、雨もほどほどがよろしいようで。

コメント
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