雨乞いには黒馬 止雨(しう)には白馬
雨にまつわる興味深い新聞コラムに目が留まった。
奈良県の丹生川上神社には「天下のために甘雨を降らし、霖雨(長雨)を止める」という神様が祭られていて、奈良時代から朝廷による雨乞いと止雨の祈願が行われたということである。雨乞いには黒馬を、止雨には白馬が奉納された。それが後の絵馬奉納の起源とされる儀礼だという
平安時代前期までの正史に記録された馬の奉納は黒馬が22回、白馬が20回と書かれている。
つまりこの数値を見ても、雨ごいに劣らず、長雨を止めてという願いも多かった。お天気続きにも泣かされ、長雨に苦しんできたのは、日本列島に住む我々の宿命なのかもしれない。それにしても、列島各地で死者や行方不明者を出す記録的な長雨にはウンザリ。いい加減にせーよ!!と叫んでみたくなる。
良くも悪くも、IT万能の現代社会では、欲しい情報の全てが瞬時に手に入る。天気予報もこと細かにピンポイントで「雨の降り始める時刻」「雨雲接近の様子」などの詳細がこの目で確認できる。スマホもテレビの天気予報もなかった当時の人たちは、どうやって自分の命を守る行動をとったのだろう。雲行きを眺め、風の方向を確かめ、気圧の高低を肌で感じて、危険を周囲に促す人生のベテランがあちこちにいたのだろうか。
昼間はもちろん、夜中も明け方も関係なく、ピロ~~ン・ブーブーブーと鳴る緊急メールの着信音さえ、安眠の邪魔に思うこともある。しかしそれは、一種の贅沢であり、危機感に対する甘えだ、とお叱りを受けるかもしれない。今の長雨による水害や土砂災害の危険から身を護るための天の声と受け止める必要があるのかも。やはりスマホは身近に!ということになるようだ。
カラッカラのお天気続きでは雨乞いの祈願をされ、今度は止雨の願掛けをされる神様もお気の毒ではある。「どうすりゃいいの?」。
所詮人間様は弱い。その割には想いが強い。「ああして欲しい、こうなって欲しい」と神頼み(相手頼み)をする。しかしね~神様にもお天道様にも事情があったり、ときに自己主張もあるかもしれない。こちらの一方的な想いが届くとは限らない。日干しにならないよう、洪水に押し流されないよう気を付けて時節を待つ。結局はそこに落ち着くようである。