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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「あるく姿は・・・」

2010年08月18日 | 趣味・・エッセイ
どうすればいいの??と叫んでみたくなるようなこの夏の暑さ。
お盆を過ぎ、送り火によってご先祖様をお見送りしたというのに連日の灼熱地獄。
・・・と人間様は愚痴を言う。

庭先では、こんな暑さだろうと、冷夏だろうと、普通の暑さだろうと、この時期になれば間違いなく咲く花がある。
タカサゴユリという名の「しらゆり」である。真っ白い花弁にくっきり黄色の花芯を持つ。
凛々しい素敵な花の割りに、ややうつむき加減に咲くところがまたいい。

“ 立てばシャクヤク 座ればボタン あるく姿は ユリの花 ”

男どもの憧れとする女性の理想像を、花にたとえたらこのような都都逸になるのだろうか。
『牡丹を「花の王」、芍薬はそれに次いだ「花の宰相」と呼んだ』と、どなたかに教わったが、ユリは、花の王・花の宰相の引き立て役に徹する、花の軍師というところか。

最初は1本だったと思う。1年・・2年・・3年とたつうちに数が増えて、庭のあちこちに咲き誇っている。
例年ならこのしらゆりが咲き始めると、朝夕の風にも幾分涼しさが伴っていたものだ。
何故か今年は違う。あの陽射しに強い花も水を欲しがっているような。

♪♪ 匂いやさしい しらゆりの 濡れているよな あのひとみ
       想い出すのは 想い出すのは 北上河原の 月の夜 ♪

歌うのはもちろん、聞くのもちょっと気後れするものが胸に宿る歌ではある。
思い出すさえ詮無きこと。今は昔の物語か
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「最後の巣立ち」アオサギおまけ

2010年08月17日 | 趣味・・エッセイ
真冬から春、梅雨時期を経て夏。
窓の向こうのアオサギの繁殖をしっかり見詰めてきた。
4組のつがいが巣を4箇所に作った。その内3箇所はいつでもはっきり見えた。

今年1番最初の巣立ちは6月末だった。7月1日に確認したらもぬけの空だった。
2番目の巣立ちは、昨年からの同じ巣で7月26・7日ごろだった。
それから遅れること3週間余。最後の巣立ちと思われる飛翔が、昨日8月16日に確認された。

8月10日ごろから、親が餌を運んで飛び立った後、巣やヒナを守るもう一羽の親が、少し高い位置から盛んに羽ばたき練習を促すような行動をしていた。
こちらもつられていつかいつかと待ちわびた。

ついに昨日朝早く、けたたましい鳴き声とともに大きな羽ばたきを数回繰り返した後、見事に飛び立った。
それは、前回の飛翔練習のような幼稚な飛び方ではなかった。十二分に親から与えられた餌によって、完全に成鳥近くに成長した堂々たる姿だった。
 思いっきりのいい見事な飛翔

 新しい住処を求めて 
同じアオサギなのに、営巣・子育て・巣立ちそれぞれ時期が異なると言う事実を初めてこの目で見た。
図体が大きいだけに、抱卵が約3週間。育児は約60日。合計80日近くかかるようだ。

これでいよいよ今年のアオサギ子育て奮戦記オシマイ。
前回7月28日を最終回としたが、どうしてもけたたましい鳴き声に誘われるまま観察していたら、今回の飛翔が本当の最後の姿だと思えたので、敢えてオマケとして見て頂くことにした。
なお、見えにくいもう一つの巣からもすでに旅立った様子が見られる。

今一度、アオサギ君、半年間のお付き合い有難う。来年もまた来いよ。
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「むかえ火の向こうで」

2010年08月16日 | 趣味・・エッセイ
広島東洋カープをこよなく愛した父が亡くなって38年目の夏を迎えた。
創設以来の熱烈なファンで、たる募金にも大いに協力し、球団を支えたのが自慢の一つだった。

真空管ラジオに耳をくっつけるようにして実況を聞く。
チャンスに打てなくて敗色濃厚になったり、電波事情でラジオの声が小さくなったりすると、壊れんばかりにラジオを叩いて八つ当たりもした。

勝率3割を狙うのが精一杯の弱小球団に業を煮やしながらも野球はカープ一筋。絶対的な存在であった。
勝てば自分の手柄のように喜び、負けたら一緒になって落ち込む。それでもまた次は必死に応援する。
ファンというものはありがたいものだ。
そんなファンに報いる活躍と結果をそろそろ残さなければ、本当にファンは遠のいてしまいそうだ。

1975年初優勝の喜びも、それに続くカープ第1期黄金時代も全く知らない父。
迎え火をたいて歓迎しても、今年のカープの成績を見たら「あのころと何も変わっちょらん」と嘆くに違いない。ちなみに亡くなった73年は最下位だった。

              ( 2010.8.16 中国新聞 広場掲載 )

4日間を我が家でゆっくり過ごしたであろう父と母。子どもたちや孫・ひ孫に囲まれて楽しんでくれたら有難い。

「大文字」 (左京区浄土寺・大文字山) ・ 「妙・法」 (左京区松ヶ崎・西山及び東山) ・ 「舟形」 (北区西賀茂・船山) ・ 「左大文字」 (北区大北山・左大文字山) ・ 「鳥居形」 (右京区嵯峨鳥居本・曼陀羅山) 京都五山の送り火と、岩国が誇るハスの花に見送られて、父と母のお精霊(しょらい)さんをあの世へ送り届けよう。
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「38回目の・・・」

2010年08月14日 | 思い出話
1899年(明治32年)生まれの父。1973年(昭和48年)74歳の生涯であった。
身体は決して大きくなかったが生来の負けず嫌い。腕力は他に引けをとらなかったと言う。
若き日の栄光が今も我が家の床の間に、静かに飾られている。父の匂いのする宝物である。

明治の終わりから大正、昭和の初め頃。大衆が喜ぶ芸能などというのが、特にこんな田舎ではお目にかかることは少なかった。
そこへ登場するのが、神社の縁日や何かにつけての神事で、奉納相撲が行われた。

そういった意味では、元々相撲というのは神様に奉納する一種の芸能であったと聞く。神社を守る村人のお祭りであり、の力自慢を土俵に上げて、お互いがひいきを応援することで盛り上がる。
神社によっては、賞品や景品が派手で、中には賞金も弾まれる。

民衆の数少ない楽しみのなかで、力士はともするとスター扱いを受けたこともあるとか・・・。小兵ながら大技を繰り出す「ヨシイサミ」というしこ名は結構モテたとか。

由宇町の由緒ある大将軍山のいただきにある霧峰神社。昔から大変相撲が盛んなお祭りで、近郊のセミプロ関取が、名誉と半ば賞金目当てに集まる。その大会で持って帰った「奉寄進霧峰神社相撲大関」(1925年・大正14年)という御幣のお化けのような梵天(写真)が床の間に鎮座まします。170cmはある。
父そのとき26歳。脂の乗り切った頃か。もう一つの小ぶりな梵天は、18歳の折、市内の近くの神社景品のようだ。地方相撲には横綱という地位はなく、大関が最高位であったことを、父の名誉のためにあえて一言。

それから、帝国海軍、下士官で世界を巡る遠洋航海。各地で戦勝国日本の大歓迎を受けたのが自慢話の一つだった。
たまねぎのことをオニヨン、トマトをトメートと言っていたのを子供心に覚えている。

色んな思い出の中にある父の姿。今日38回目の命日とお盆を迎えて、燦然と輝く父のいいところだけを、心穏やかに思い出してまとめてみた。合掌。

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「台風一過」

2010年08月12日 | 季節の移ろい・出来事
今年初めて本土を襲った台風4号。
沖縄をかすめて大陸を目指すのかと思いきや、急に進路変更。
結局は日本海を北上、果ては東北を横断して太平洋に抜けるという、日本全土に影響を及ぼす厄介な台風となった。
今回もご他聞にもれず、各地で大小色んな被害をもたらしたようである。

ここ2年ばかりで、このつたないブログにも、日本全国各地からご訪問いただくブログ友が出来た。
実に有難いことだと感謝しているところです。
もちろん遠く海外にもお友達がいてくれて、心強く思うし、時についリキが入りすぎることもある。

今回のように、台風が迷走し日本全国に被害をばらまくと、台風の行く先々におられるブログ友が気にかかる。
大きな災害になりませんように。早く熱帯低気圧に変わって洋上で消滅すればいい。などと我がことのように祈る気持ちになる。

ここ岩国は、今回は被害らしい被害もなく台風一過の流れる雲の中から、熱い太陽が顔を出した。
これがまた暑いのなんの。とても残暑などという生易しいものではない。
が、大した被害もなく太陽が照りつけることを嘆くにあらず。
全国各地で被災された方々にお見舞いを申し上げるこそ肝要。
出来れば何事もないことを祈りたい。

       ( 写真: 台風余波の風に飛ばされる厚い雲の間から太陽が・・・ )

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「夏休みの夏休み」

2010年08月11日 | つれづれ噺
夏休みに入って以来孫の兄ちゃんとひっつきもっつきの日が多い。
別に何をどうするというほどでもないのに、何となく束縛されているようで、自分のペースが狂っている。

だからと言うわけでもないが、今日から盆明けまで孫守から解放されると、何かしら嬉しくなる。
今日明日は、夏休み恒例の親子旅行で遠出をするという。
旅行から帰ったら、お盆なので婿殿の実家へ里帰り。その間ジジは無罪放免。
しばらくはマゴマゴしなくて済みそうだ。夏休みの孫から夏休みをもらったようなルンルン気分。

手始めに本屋に駆け込んだ。遅ればせながら今年の芥川賞作品を狙って。
幸い、文芸春秋9月特別号に全文掲載というので、もう一冊と合わせて買ってきた。
相変わらず枕元には読みかけや、表紙もめくっていない本が積まれているというのに・・・。

まあ言ってみれば自己満足の世界。少額の衝動買い。でも半永久的に残る衝動買いではある。

「仕事と名が付けば、餅の番をするのもえらい(きつい・大変)」と、おふくろがよく笑っていた。
つきたての餅に蝿がたからないよう番をするのだが、それが仕事として義務としてやらされると辛い・・・という人間の心理の綾を言ったものだ。

孫との交流はあれほど嬉しく楽しいのに、義務として付き合わされると、餅の番と同じ心境になってしまう。
付き合わされる孫兄ちゃんも大変な思いをしているのかも知れない。
二人にとってちょうどいい、夏休みの夏休みになったのに違いない。

      ( 頭からしたたる汗を拭おうともせず、サッカーに精出す兄ちゃん)
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「あー夏休み Ⅱ」

2010年08月10日 | 家族・孫話
40日に及ぶ孫達の夏休み。早くも半分を過ごした。
というかあとまだ半分もある、というのが本音のようだ。

宿題だけはなんとかこなしている模様。自由研究??文字通り、野に山に、自分の気持ちの赴くまま、ひたすら真っ黒くなって、自由・気ままに遊びの研究は怠りない。

ジジの子どもの頃は絵日記という、毎日書かなければならない厄介な宿題が課せられた。
ところが今は、毎日は「一行日記」と言ってお天気と、行動記録の一行だけ。
後は、休み期間中4~5日間の特別な事柄のあった日の日記を書くだけでよいという。

夏休みには、日記の書き方の手ほどきを・・・と手ぐすね引いたジジの出番が減るのがちょっとだけ淋しい。
まあそんなもんか・・・ならばせめて工作くらいちょっとした物を提出させたい。と欲張ってみる。
「あそこのお家はお母さんが器用ですから・・・」などと担任の先生からいわれない程度に、アドバイスをしながら、もっぱら本人にやらせてみる。

などと言えばかっこいいが、何のことはないジジのお友だちに特別講師をお願いして、針金自転車作りの特訓を受けた。
好奇心は旺盛、何でも分解して中身を探りたがる性癖もある兄ちゃん。しかもその道のベテラン講師直々の手ほどき。
いい物が出来たと大喜びの兄ちゃんの笑顔に、一つ責任を果たしたとひと安心。

あーあ、夏休みはまだ半分も残っているのだ・・・。

      ( 写真:本人・講師・ジジが作った針金自転車 )

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「待宵草の咲くころ」

2010年08月09日 | つれづれ噺
早くも待宵草が可憐な黄色い花を見せ始めた。この花が咲き始めると、広島・長崎への原爆投下の地獄絵と、何もかも廃墟と化した戦争終結への道筋が思い起こされる。

“こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ・・・・・・”

「長崎の鐘」に歌われる長崎は今日が原爆の日。3日前の広島と合わせて核兵器廃絶はもとより、全ての殺戮兵器をこの世から追放する声を上げたい。それより何より、お互い人間同士が、自分の欲望を満たすために人を傷つける戦争の愚かしさを考えなければならない。
現代の進んだ化学兵器を駆使して、本気になって国と国とが戦えば、間違いなく両者が滅亡の淵に落ちることを知らしむるべきであり、知るべきである。

日本に原爆が投下された理由は幾つか言われている。
ポツダム宣言に対する日本政府のコメント「黙殺」という微妙な言い回しが、英訳された時に「無視」と訳されてしまったことが原因の一つだとも言われている。
「黙殺」と「無視」では、日本人の感覚の中では異なる意味を持っている。
しかし、戦時の緊迫の中で、敵国たる外国人に、黙殺と無視の使い分けを求めるのは、やはり我々日本人の側に説明責任があったのではないかなどと考えてしまう。

耐えるのに一苦労するこの暑さ、21日ぶりにホンのお湿り程度の小雨に恵まれた。
もっと降れもっと降れ!!と思っても、人間の手ではなんともしがたいことではある。

「あらゆる兵器の廃絶・戦争放棄」など、人間の知恵と力で実現可能な課題は勇気を持って取り組む必要がある。と毎年この頃になると思う。ふと見ると、待宵草が咲いている。

       ( 写真: 久しぶりの小雨に濡れる待宵草 )
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「錦川水の祭典」

2010年08月07日 | 季節の移ろい・出来事
今年もやってきた「錦川水の祭典」43回目という歴史を誇っている。
錦川は、本流総延長110㎞に及び県下で最も長く、その豊富な水量は生活用水はもとよりありとあらゆる生命を育んであまりある命のみなもとである。

そんな錦川水神社の水恩感謝祭に始まり、多くの催し物が繰り広げられた。
メインイベントはなんと言っても、打ち上げ数約6000発を誇る花火大会であろう。

観覧場所は、錦帯橋下河原の、花火打ち上げと同じ平面がメインとなる。
至近距離で打ち上げられる花火は、城山にこだまする大音響も含めて迫力満点である。
ここでは、迫力ある音までは提供できないが、せめて錦帯橋花火の雰囲気だけでもお裾分けしたい。
            
花火のテーマも年ごとに色々あるようだ。今年は、岩国民間空港の再開が決定した記念の仕掛け花火が夜空を焦がした。見応えがあった。
            
このように書いてみると、実際の現場にカメラを抱えて立ち会ったように思われるであろうが、申し訳ない。今年は現場に足を運ばなかった。
地元ケーブルテレビの生放送を見ながら、あれこれ想像をふくらませたもので、言ってみれば「講釈師 見てきたような ウソを言い」ではなく、見てきたような本当の話をさせていただいた。

遠くの友に、せめて岩国の夏の夜を味わって頂きたかったという熱い想いをお察し頂ければ有り難い。

       ( 写真は全て、テレビ画面から借用させて頂いた )
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「はんぶんこ」

2010年08月06日 | 趣味・・エッセイ
      


丹精して育てた収穫目前のスイカが何者かに襲われ、ほとんど食い荒らされた。
初めての苦い経験だった。
それから1週間、2番なりのスイカがまた大きくなりはじめている。

スイカ泥棒の鋭いつめや牙から守るため、金網で円筒を作り、その中に実と茎を入れてフタをした。
全く罪のない青いスイカが、まるで罪人扱いだ。
ここまでやっても、いったん味をしめた彼ら、次はどんな手を使って襲ってくるのか。

おいしいものを食べたいのは、お互い様だ。
少しだけでいい、孫にも味わわせてやってくれ。
 

              (2010.08.06 毎日新聞「はがき随筆」テーマ「食」掲載)

見えない敵との闘いあれこれ。二番なりのスイカが直径20㎝に成長してきた。
金網というヨロイを着せられて窮屈には違いないが、作り手の気持ちを察してか、間もなく収穫の日を迎えようとしている。

アイデアを提供して頂いた方に感謝を込めて、実ったスイカを「はんぶんこ」。
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