「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「あー夏休み」

2010年08月05日 | 家族・孫話
夏休みに入って2週間。
学校の放課後教室からも、共働きの親の目からも解放された4年生の孫兄ちゃん。
じいちゃんとの約束通り、8時半には真面目にやって来る。宿題を何ページか一緒にやる。

時にはそんなものもホッポリ出して、遊びに行くことも考えてやらねば身が持たないだろう。
そうなると、弟が通う放課後教室を休ませ、二人を連れて思いっきり遊ばせてやる。
しかし二人を同時に見守るのは骨の折れる仕事ではある。

幸い今日は、ジジ・ババ揃って二人を引き連れ、ババの実家へ里帰り。
兄ちゃんは着くが早いか、棹を取り出し魚釣りの準備を急ぐ。
弟は、兎にも角にも水に入ることに執心。「ちゃんと準備体操して・・・」大声を出しても聞く耳持たぬ。

昨年とは遊びの内容も一段と飛躍。ほんのちょっとした深みに、大きな岩から飛び込むスリルを覚えた。
飛び込んでは泳ぎ、泳いでは又飛び込む。 まさに貸し切りのふるさとの川。二人の自由自在。
      
      
夏休みのど真ん中。数年前までは他にも里帰りの家族などがいて、見知らぬよその子と一緒に遊ぶ楽しさもあった。元々70近くあった世帯が、現在では30世帯を切るという。あそこもここも空き家だらけ。住んでいても独り身が多いという。

うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川・・・「ふるさと」に歌われたそのままに、のどかな緑とせせらぎに包まれているのに、過疎の流れだけは止められないのだと嘆く。
私の孫達だって、いつまで里帰りが出来るのか分かったものではない。生活基盤を考えると、街中に出てマンションでも見繕うかと考えている様子。

こんなもったいないふるさとの荒廃を思うと、ちょっと切なくなる夏休みでもある。
コメント (8)
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「行脚(あんぎゃ)」

2010年08月04日 | 岩国検定
そこかしこに湧き上がる入道雲。目にするだけで汗がしたたる。

炎天下、二日をかけて「岩国検定」PR行脚。
「あんぎゃ」とは、僧が諸国を巡って修業すること。徒歩で諸国を旅すること。とある。
しかし我々に徒歩の行脚は無理な相談。クルマで延べ180㎞を走破した。

出来上がったポスターとパンフレットをひっさげて、行き先は和木・美和・本郷・錦・美川等々の、市役所の支所・出張所。公民館・図書館などあらゆる出先機関を訪問。
笑顔での直接対面による趣旨説明と、応対者への受験のお誘いを含めて、地区住民への岩国検定参加要請のお願いをして廻った。

あいだには美和町にある「本是山中人(もとこれさんちゅうのひと)」の石碑が建つ、芥川龍之介の父新原家の菩提寺である真教寺に立ち寄ってみる。改めて岩国市の歴史や人脈の深さ・幅広さをこの足で確認も出来た。
あの芥川龍之介が、岩国での記憶を深く心に秘めて書いた望郷の一文である。
 
各所を巡った感想は、正直なところある程度の感触を得た、といったところか。
中には、ご当地検定とはそもそもなんぞや・・・という窓口もあったが、全体的には我々の主旨である、岩国の町興し・地元の活性化といううたい文句をいち早く理解する窓口が多かった。

それは、岩国市や岩国市教育委員会の後援というお墨付きがあること。それに新聞への記事として掲載される効果は大きい。
今までとは違って、特にこれからはこのようなPR・啓蒙活動が成否の鍵を握ることになろう。
それを思えば汗の量など言ってはいられない。もっともっと足で稼ごう。
コメント (9)
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「夏はやっぱり盆踊り」

2010年08月02日 | 思い出話
あつうてあつうてたまりませんな~・・・がご挨拶。いよいよ夏本番の8月!
広島・長崎原爆の日に続いて、終戦記念日を迎える8月!
愚かな戦争の悲劇を思い起こし、復興に燃えたエネルギッシュな日々を振り返る8月!

色んな思いの交錯する8月で真っ先に頭に浮かぶのが「慰霊」の二文字である。
二十歳前後の若かりし頃、各地域では青年団の盆踊りの夕べが盛んであった。
「戦没者慰霊盆踊り大会」という冠のついた、真夏8月の恒例行事であった。

私の生まれ育った地区の青年団活動は結構活発であった。そんな伝統を絶やしてはならないと、必死になった時代をふと思い出した。
全員が揃いの浴衣をあつらえ盆踊りそのものも、その道の講師を招いて色々工夫する努力もした。単に「手踊り」だけでなく、日本手ぬぐいを駆使する「手ぬぐい踊り」「うちわ踊り」男女ひと組になる「ペア踊り」などなど、色んなバリーションで大きな反響を呼んだ。

いつしかあっちこっちから招待の声が掛かり始める。クルマなど全くない時代。女性を後ろに乗せて自転車で移動。一晩に3会場廻ったこともある。
もちろん全員独身。今日は誰が乗ってくれるのだろう・・・ちょっと楽しみに。
そんな経験をするうちに、今の錦帯橋花火大会の前身「近県盆踊り芸能大会」というとてつもない大舞台を踏むチャンスに恵まれた。頂いた優勝旗に「第十一回近県盆踊芸能大会」と記されている。半世紀近い昔の話である。その当時の天然色写真は貴重品である。
             

一方白黒の一枚は、天然色写真の2年くらい前。地元の盆踊り記念写真。
こんな写真を見ていると、暑い夏はやはり慰霊の盆踊りをつい思い出す。
忌まわしい戦没者慰霊などという言葉が死語となるような、平和な世の中を目指さなければ・・・。
それにしても最近は、この一年間に亡くなられた方々の慰霊盆踊りさえ滅多に見かけなくなったな~。

  (写真はもう少し鮮明に残されているが、敢えて少しぼやけさせていただいた)
コメント (6)
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