「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「海を守るには・・・」

2012年07月16日 | 季節の移ろい・出来事

 
    三々五々に別れてゴミ集め           大物漂着物は漁船で運搬

梅雨明け間近い7月16日「海の日」
地区内に広がる瀬戸内海沿岸。その中でも2キロにわたって白い砂浜の広がる海岸。「瀬戸内海環境保全大作戦」と銘打った漂着物除去作業が展開された。
地区社会福祉協議会主催。ということは、スポークスマンとしてカメラをひっさげ、あっちこっち駆けまわって作業の様子をカメラに収める。撮った写真は90枚。

海岸清掃だから当然ながら作業時間などは潮の干満に左右される。
干潮を狙って午前6時30分からおよそ2時間。実際には、眠い目をこすりながら起きるのは6時前。牛乳一杯ひっかけてすぐに現場へ。集合写真のアングルを探す。

地元中学校の校長・教頭先生他職員生徒73人の団体参加は有り難い。他にも介護施設の10数人、ボランティアグループ。それに大型漂着物は、集積場までの運搬がネックとなる。そこで強力な助っ人となるのが、地元漁協の漁船を5杯、操舵主付きで拝借。海上保安庁職員も応援に。駐車場では、交通安全委員会が旗を振る。まさに地区を挙げての大仕事。380人が約4トンのゴミ漂着物を集めた。

沿岸に居並ぶ大企業からの排水によって、かつては醤油色をしていた海水、岸壁。「公害を制するもの企業を制す」と言われて環境対策に投資したお陰で、今や海水のきれいさには驚くばかり。あれほどの大雨が続いても、錦帯橋の架かる錦川下流の河口から離れているこの地区は、透明度の高い見事な海水である。
魚もきっと喜んでいるに違いない。

ただ、人間様は遊泳禁止場所に指定されてしまった。海岸線を走る山陽本線の、線路を横切らなければならないことから、極めて危険な砂浜ではある。
このように海岸を守り、漂着物が再び海へ流れ出ることを防ぐ。その一方で、山あいの地区では相次ぐ不法投棄による地下水汚染を防止し、小川にも手を入れてきれいな水を海に流す努力も同時進行で行われている。

“将を射んと欲すれば先ず馬を射よ”の論法ではないが、海をきれいに、沿岸漁業を栄えさせるためには、先ず山の整備が欠かせない。
そんなことを願いつつ、地区社協という小さな団体ではあるが、毎年こうして海岸清掃を実施し、環境汚染防止意識を喚起しているのである。ということにしておこう。

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「頭の体操」

2012年07月14日 | つれづれ噺

       

            
思えばゴールデンウィーク明けの土曜日から今日までの10週間。
地元短期大学公開講座「未来を紡ぐ」全10回に参加して、ホンの少し頭の体操になったかな・・・というお話。

講師には大変失礼ながら、昼下がりの、いやがうえにも上瞼と下瞼がくっつきたがる時間帯に、かなり遠ざかっている哲学的な講義に耳を傾けるということは、ある意味拷問にも似た睡魔との闘いになる。それらを乗り越え、なんとか所定の出席率をクリアー。曲がりなりにも修了証書を頂いた。

『あるべき未来のために今、どうすべきか。「どうなる」から「どうする」へ、明日を生きる原動力を探る』という壮大なテーマである。太ももをつねりながらも目を開けていようと試みる。その努力たるや涙ぐましいものである。

なんだかんだ言いながら、興味を持っておベンキョーしたつもりになっている。
それぞれの都市においてそれぞれ抱える様々な問題がある。一つひとつ完璧な解決策など簡単には見つからないが、それを他人事として捉えるか、自らの問題として捉えるか、そこらが住民意識の大きな分かれ目になるし、その都市の活性化に大きな影響を及ぼすというくだりは興味深かった。

この程度ならこの頭でも何とか理解出来る。
が、この程度はホンの入り口。奥まった話はまたいつか講師をご紹介するので、直接質問をぶつけて解決策を見出されるのがよかろう。

こういった講義はいつも耳新しく、眠気を除けば割とすんなり腑に収まるようである。

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「スポークスマン」

2012年07月13日 | つれづれ噺

    
             年3回発行される、地区社会福祉協議会だより( 地区社協だより)

住んでいる地区それぞれに、自治会・福祉協議会・民生児童委員協議会・婦人会などなど、地域住民活動の根幹をなす多くの組織が運営されている。
それらから更に枝別れして、数え上げればキリがないほどの団体による住民活動、同好会活動が繰り広げられている。それらの多くは、ボランティア活動であり、任意の同好の士の集まりであったり、趣味の会であったりする。それらの構成員は、高齢者が中心となっている場合がほとんどのようである。

学校におけるPTA活動は、確かに若い人の活躍で成り立っている。が、そこには地域との交流といった地域住民や地元高齢者の意見反映の場が狭められている。
同様に、かつては自治会に一つは必ず子供会という組織があって、それぞれに子供会連合会などが大活躍をしていた。そこには自治会などと合同のイベントが活発であった。
今や少子化の影響で子供会そのものが衰退の一途。当然子供会連合会の弱体化は避けられず、盆踊りだのお祭りだのといった、地域とのつながりが希薄になる、という現実は避けられないもとなった感がある。

そんな中で、目下地区社協広報担当という名目を頂いて、年3回発行の社協だより作りにいそしんでいる。言うなれば、地区社協のスポークスマンの役割、つまり社協のスピーカーみたいなものだと思っている。

そこで、スポークスマンとは 【spokesman】  政府や団体の意見などを発表する担当者、また代弁者、とある。というこよは、会長や執行部、あるいは専門部会長の意向、部会としての活動実績などをうまく紙面にレイアウトして、手に取る人が出来るだけ読みやすい・分りやすい内容にすることが求められている、と胸に刻んでおこう。 

あの3,11東日本大震災、東電福島原発事故直後の政府スポークスマンは一体誰だったのか。誰がどのように、的確な情報を住民に流すのがよかったのか。との指摘は今も続いている。あの時は、現状把握と対応に追われてスポークスマン不在というのが本音だったのだろう。スポークスマンに発表させるニュースソースを掴みきれないほど混乱に陥ったに違いない。
「記者会見 ございますだけ 歯切れいい」官房長官がいた。

全く予想もしない突発的一大事が発生した時の対応策、予備知識、危機管理・・・これらが全て欠落した日本社会であったのかもしれない。
今、小さな小さな町の社協スポークスマンとして、住民の皆さんに発表する中味は、会長や執行部が練りに練った統一見解でなければならない。間違った情報だけは流さないよう吟味するご意見番の役割もいるのかな。そうなると、時に上層部の尻を叩くのもお役目の一つなのだろうか。 少し控えめに。

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「アジサイ無残」

2012年07月11日 | 季節の移ろい・出来事

        
       無残に?剪定されたアジサイ。栄華を誇った花の影も今はなく

わが世の春を誇ったアジサイも、7月9日を迎えるにあたって、バッサリ剪定されてしまった。今年ほど見事に咲いたのは、まさに植えて以来初めてのことである。

狭い庭を大きく占領して咲き誇ったアジサイ。
見事に咲いてくれたね~、アジサイは雨が似合うね~、やはり演歌が合ってるよね~などと褒めそやしておいて、時期が来たら、まだ花をいっぱい抱えているのに容赦なく剪定。これで庭が広くなったね~などと、花を愛でたことを忘れたように言う。

ごめんよアジサイ!来年も花をいっぱい咲かせて、この目を楽しませてくれることを願って、7月9日までには切らないと来年の花が咲かない・・・とお友達の奥さんから教わった通りに、しっかり剪定させてもらったよ。来年も、庭が狭くなってもいいからしっかり咲いておくれ。

昨年までは切っても切っても幹や葉ばかりはびこって、花がほとんど咲かなかった。どうせ咲かないのなら1年だけ切らずにおいてみよう、と全く剪定などせずほったらかした。
そしたら今年はあのように見事に咲いた。なんで??早速ネットを!

『アジサイの花芽は今年のびた枝の先端にしかつかないということ。従って夏以降に枝を切ると花芽はできないので、来年の花は望めない。いつ切るのかというと、ベストは花が咲いたらすぐ。花が咲いたら花から2節下の脇芽のすぐ上で切る。花は生け花として楽しむのがいい。これが一番確実な方法である。
花壇などでどうしてもすぐには切りたくない時でも、花が少ししおれてきた感じがしたら、同じようにすぐに切ってしまおう。こうすると夏から秋にかけて伸びた枝の先端にかなりの確率で花芽ができる』

このように書いてある。それが“7月9日までには切りなさい”というお話であり、納得行く剪定時期であったのだ。これで来年も咲いてくれるに違いない。
それにしてもせっかく目いっぱい咲いて、いち早く切らなければ来年に期待が持てないアジサイ。でももう少し咲いた花を愛でてやりたい気持ちが強い。そこんところを、いち早く見切りを付けて来年に夢を託す。意外に勇気の要ることである。

人間の世界の『鉄は熱いうちに打て』というのと似ている気がすな~。

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「1時間100ミリの雨」

2012年07月09日 | 季節の移ろい・出来事

         

〇月〇日、〇〇地方、午後6時半から7時半までの雨量が60ミリを越える恐れがあります。厳重な警戒が必要です。などというニュースをよく耳にする。
このような、まさに集中的ゲリラ豪雨が我が住む街を襲うことはない、と何のわけもなく単純にそう思っていた。

それがやってきた。現実に目の前で降った。
こともあろうに、1時間に60とか70ミリではない100ミリの雨が降ったというではないか。その終わり頃の10分ばかり、この豪雨を身を持って体験した。
話にならない、むしろ言葉にならないという表現が正しいような、開いた口がふさがらないほどの叩きつける雨。傘をすぼめてクルマに乗りこむわずかな時間に、頭からしずくが垂れそうなほどの雨。もちろん駐車場の床面は10センチほどの冠水。外出用の靴でゴボゴボと水をくぐる。

やっとの思いでクルマに乗り、さあ近くのゲートから道路に出ようとしたら、グルグル回る赤色回転灯が目の前に。パトカーがゲートを封鎖している。
よく見るとゲートの向こうの道路はクルマの車輪半分くらいまでの洪水状態になっている。そんなこんなで大難儀をして我が家に帰ったら、せいぜい50ミリ程度の雨だったという。

まさに、夕立は馬の背を分けると言われるほど局所的に豪雨をもたらす。恐ろしいことである。雨の降り方や気象予報によっては、いち早く非難して自分の命を守ることが最優先である。
ちなみに、1時間当たりの雨量と人間の感覚をひもといてみた。

3 ~10ミリ・・・結構降っているね~。
10~20ミリ・・・すごい雨。雨音で会話が聞きとりにくくなる
20~30ミリ・・・どしゃぶり。傘をさしてもずぶ濡れ。クルマのワイパーも効きにくい。
30~50ミリ・・・バケツをひっくり返したような雨。川があふれだすおそれも。
50~80ミリ・・・滝のような雨。しぶきがたって辺り一面見えなくなる。ゴーゴーとどろく。
80ミリ以上・・・猛烈な雨。耐えがたい息苦しさや恐怖をおぼえる。

この頃の雨・風・カミナリ・竜巻など自然の威力の恐ろしさをいやというほど見せつけられている。梅雨の末期、もうひと雨大物が来るに違いない。怯えようそして身を守ろう。


 

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「星の見えない七夕様は」

2012年07月07日 | 季節の移ろい・出来事

                   
            七夕を連想させる星空   net拝借

一年に一度天の川を挟んで、相思相愛の二人が胸より焦がす夜、と相場が決まっている七夕さん。どこからともなく ♪♪ ささのはさ~らさら 軒端にゆれる・・・ ♪と聞こえてきそう。ああそれなのに今夜の空は、星一つ見えない漆黒の闇が広がっている。

私自身今更七夕さんもないものだと思いつつ、7月7日といえば梅雨のど真ん中。雨にたたられるこんな星回りの年もあるということに半分納得しながら、暇にまかせて七夕伝説などちょっとひもといてみた。すると、今まで頭で描いていたほど甘い話ばかりではなく、極めて人間臭い男と女、親と子といったドラマに出会うことになった。

『夜空に輝く天の川のほとりに、天を支配している天帝の娘で織女と呼ばれるそれは美しい天女が住んでいた。織女は天帝の言いつけ通り毎日機織りに精を出していた。
季節の移り変わりに合わせるように、五色に光輝く素晴らしい布を織る腕を持ちながら、お化粧一つしない年頃の娘を不憫に思った天帝は、天の川の西に住んでいる働き者の牛飼いの青年牽牛と結婚させ、二人は新しい生活を始めた。
しかし、結婚してからの織女は牽牛との暮らしに夢中になり、毎日はしゃぎまわって機織りをすっかりやめてしまった。
最初は新婚だから仕方ないと大目に見ていた天帝も、いつまでもそんな様子が続くので眉をひそめ始めた。ついに腹を立てた天帝は、織女を元の天の川の岸辺に戻した。心を入れ変えて一生懸命働くなら、一年に一度7月7日の夜に牽牛と会うことを許すと申し渡した。
それ以来、自分の行いを反省した織女は一年一度の牽牛との逢瀬を励みに7月7日の夜を待つようになった。

ところが、二人が待ち焦がれた7月7日に雨が降ると、織女は天の川の向こう岸に渡ることが出来ない。二人は天の川の東と西にたたずみ、切ない思いの涙を流した。
そんな二人を見かねて、どこからともなくかささぎの群れが飛んできて、翼を広げて橋を作り、織女を牽牛のもとへ渡す手助けをしたのだそうな・・・。』 ・・・net 拝借

ことほど左様に、天の川の星空を眺めてただロマンチックな夢に浸るだけではない、このような物語が秘められていることを知った上で眺める天の川、七夕さん。
別な意味の愛おしさを感じさせられる。

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「あの親にして」

2012年07月06日 | ニュース・世相


生まれたばかり、100グラム  生後20日くらいで黒い毛が 生後2カ月、間違いなくパンダ

              
               生後5か月、そろそろいたずらが・・・

上野動物園で24年ぶりパンダの赤ちゃんが生まれたという。
パンダに格別の愛着があるわけでもなく、特に可愛いと思うほどでもない。
が、進化の過程で、どのようなことが起こって、あのような意識的に着色したような模様になったのか・・・そのことに興味をおぼえる。

また、成長すると100キロを優に超える、ドッシリ体格の親から生まれるというのに、出産直後は100グラムそこそこというこのアンバランス。
そんなちっちゃな赤ちゃんが、ひたすら睡眠と母乳とで、生後30日もすれば2キロ~3キロの体重になるという。

どうしても我々人間を基準に考えるところに問題があるのだと思うが、それにしてもあの未熟児同然の嬰児が、一気に体重を増し、半年もすれば親の真似をして笹を食べ始めるという、この一連の成長過程は、何となく惹かれるものを感じる。

日本と中国の友好の使者として貸与されているパンダ。
上野動物園で新生児が誕生したと言っても、日本に所有権があるわけではない。中国の財産として、成長させた後お返しすることになるのだそうな。
何にも知らずに、笹の葉を大好物として食べながら、動物園の檻の中でのんびり過ごすパンダの陰に、日本と中国という、近くて遠い果てしなく遠い国との確執が見える。

今回の新生児に「センカクという名前を付けて中国に返してやれ・・・」などという発言まで飛び出すと、パンダは可愛いという前にお気の毒さまと言ってあげたくなる。
あくまでも動物園の人気者として、訪れる子どもたちに夢を与えてくれたらそれで十分だと思うが、ここにもまたエライ人の考えることが、我々庶民と少しズレがあるのでは・・・と思わされるのはあまり愉快ではない。もっと他の場所で、違った角度の議論で尖閣諸島など話し合って欲しいものである。弱腰ではなく。

添付の写真は随分前に、アメリカのお友達から送られて来たものを拝借した。

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「板につく」

2012年07月04日 | 趣味・・エッセイ

 

旧暦5月15日。夜の10時を回るころ、まん丸い十五夜お月さんが中天高くその美しい姿を現すはず・・・であった。
残念ながら降ったり止んだり曇ったりの不順な一日。期待していなかったお月さんが図らずも一瞬顔を出した9時35分。おっとり刀でシャッターを。
そんな貴重な??画像を惜し気もなくご覧に供しよう。 何を小癪な・・・。

もう一つ今夜の晴れ間を楽しみにしていたであろう孫三男坊の3歳児。
今日はアメリカ独立記念日。海兵隊の基地を持つ岩国。記念式典の一つとして花火が打ち上げられる。この厳しい情勢下、基地に入るのは至難の業。
海を挟んで見られる対岸に出かけて、遠花火を堪能するはずであった。そんなささやかな楽しみの風物詩も梅雨の雨に流された。

それどころか、九州一帯は今年もまた、豪雨災害に襲われ、多くの人の生活基盤が奪われた。テレビ画面に映し出される惨状は胸ふさがれる思いがする。
一方で、「今年は空梅雨ね・・・」などという声が聞こえる。

一日を家の中で過ごさなければならない人間にとっては、今日は思いのほか作業が順調に進んだ。などと言ってはみたものの、結果的になんとかうまく繋がったから大口を叩くのかもしれない。例のノートパソコンの接続立ち上げ。
無線ランの同調など、まさに取扱説明書と首っ引き。アルファベットの小文字1字を間違っても許してもくれないし妥協もしない。最初っからやり直し。何度憂き目に遭ったやら。取説の細かい字に「なんでもう少し大きく書かんのや・・・」などと八つ当たりしながら。

やっとの思いで終盤。そのころになると、分厚い取説をめくる手も板につく。
や~れやれ・・・これがここ2・3日の悪戦苦闘の正直な想いである。
溜飲を下げるために、ここで ”板につく” という薀蓄でも述べて憂さをはらそう。
板につく・・・板とは舞台のことを言う。役者さんが芸を磨き経験を積むことで、舞台と芸がぴったり調和して観客を魅了する。つまり、仕事や任務・服装・態度などが、その人にしっくり合っている状態を言う。だからどうなの? こんな素人でも何度も繰り返せば、慣れぬ作業もサマになる・・・ということか。

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「背番号」

2012年07月03日 | つれづれ噺

               

どういうわけか、銀行や郵便局でのキャッシュカードによる現金の出し入れが馴染めない。時代遅れと言われようが何と言われようが、キャッシュカードを使わない。
持ってはいるのだ。銀行からも「これは便利です・・・」と強力に勧められた。
郵便局からも、他のもっと切実な事情を説明されながら、カードを持つことを勧められた。

持っていないわけではない、が、持ち歩いたことはない。
たとえわずかでも、銀行に預けてあるお金をそっくりそのまま、いつも持ち歩いているような不安にさらされる。「このカードが人手に渡ったらどうなる・・・」とか。
兎に角、頭の固い古いタイプの現金至上主義者である。これは生涯このままなのだろう。

以前は、銀行の窓口のお嬢さんが「〇〇さん」と名前を呼んでくれていた。
名前を呼ぶ方も呼ばれる方も、そこに一つの人間関係が生じて、つい笑顔の一つも交わそうという和みがあり、銀行の看板でもあったような。いまはそれさえなくなった。

銀行に入る。番号札の出てくる器械のボタンを押す。「〇〇番のカードをお持ちの方、×番窓口へお越しください」とコンピューターで呼び出される。味もそっけもない。
無言で行って、無言で現金を受け取り、無言で帰る。

『 番号で呼んで下さい肛門科 』  毎日新聞万能川柳 

名前を呼んで欲しくない病院待合室の風景もあるにはある。が、ここは銀行である。我々はお客さんでしょ。窓口の女性にはお口もあるし声も出せるわけでしょ。だったら・・・と理屈の一つもこねてみたくなる。時代錯誤だよ…という声が聞こえそう。

もっとも、今や1億国民総じて背番号制が叫ばれているご時世だから、何もおかしいことではないのかもしれないが、この殺伐とした世の中、絆と言う字があれほど叫ばれているのなら、番号便利主義優先が見直されてもいいような気がすのだが。

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「恋の鞘当・・・?」

2012年07月02日 | 趣味・・エッセイ

 

ついにゲット!欲しかった欲しかった愛するオモチャが我が家にやってきた。
嬉しい、素直に嬉しい。顔がほころぶ。但し、笑顔はじけるほどでもない。もろ手を挙げて大声で叫ぶほどの嬉しさとまでは言えない。ちょっとだけ引っかかるものはある。

Windows7搭載、最新鋭ノートパソコン15.6型。素直に喜びゃいいじゃないの・・・。 素直に嬉しいんよ。でもね、オモチャにしては結構高い買い物である。それより何より、この最新鋭ノートが本当に使いこなせるか?このお粗末な知識にこれほどの高性能が似合っているのか?猫に小判にならないか、使い始めたとたんに苦しい嫌な思いをするのではないか・・・そんな負のイメージが、頭を半分占領する。ついつい気が重くなる部分はある。でもやっぱり間違いなく嬉しい。

ノートパソコンを購入するのは5年ぶりである。
このブログなるものを始めてみようか・・・と思い立ったときに、それまで使ってきたデスクトップXPは、別格として置いておきたかった。そこで購入したのがOSはビスタのノートPCであった。どういうわけかあまり長く使うこともなく、欲しがるセガレにプレゼントして慣れ親しんだこのデスクトップXPに戻った。

あれから5年。何不自由なく使ってきた深い友。いや恋人?かけがえのない相棒?
とにかく、2003年11月2日使用開始とあるこのデスクトップ。丸10年半年、こんな私に付き合ってくれたことになる。まだまだ使える。これからが味が出るのだと思う。

それなのにああそれなのに、何故今新たなノートPCか?
ウ~ン、それほど責めないで・・・。男には、見栄や突っ張りも必要なときがある??それに、間もなくWindows8が出てくる。その前になんとしても現機種を。

ところが、新入りノートのインターネット環境をチェックしたとたんに、このデスクトップが完全なストライキを起こした。ネットに全くつながらなくなった。
パソコン同士の恋の鞘当でもあるまいに・・・。
すぐにあれこれ手当てしてもガンとして言うことを聞いてくれない。八方手を尽くす間に2日3日と、ブログアップ出来ない日が続く。思い切って製造元富士通に直接電話。半日近い長電話でようやく今日午後、4日ぶりの復活と相成った。

気持ち的には新入りノートに肩入れしているわけではない。むしろ当面はあちらがスペアでこちらデスクトップが本命のお付き合いと思っているのに、なかなか理解できないのかなー。今こうしてデスクトップに向かって極めて滑らかに?指は動く。
新入りノートはこれからゆっくり時間をかけて一人前に仕立てていくことにしよう。

それにしても、ブログをアップすることが日常のような日々を送ると、それが出来ないことは非日常となる。非日常を送ることが、如何に精神衛生上よくないことか、改めて思い知る。それにしても新入りノートは薄くて、スマートな草食人間を連想させる。

 
 二台並べるとちょっと差がつくね~    手前3センチ、奥側4センチ。薄いな~

 

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