ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「グレートトラバース3」田中陽希氏の挑戦を見る

2020-05-02 22:27:05 | ひと
NHKBSの番組で「グレートトラバース3」というのがある。
日本百名山や二百名山の人力での登頂を達成した田中陽希さんが、2年前からトライしているのは、三百名山の登頂だ。
今日の放送は、山形県の月山や朝日連峰、そして飯豊連峰の朳差岳への挑戦だった。

月山は、以前に4回ほど行ったことがある。
夏から秋にかけて、花の百名山にふさわしい美しい高山植物が咲き乱れる大好きな山だ。
とはいっても、われわれの場合、花の咲くいい時期に、しかもリフトに乗ってかなりいいところまで行ってからの山歩きなのだが。
家庭の事情が許した9年前に行って以来行けずにいるのが残念だ。

しかし、番組で田中陽希氏が登っているのは、冬。
しかも、近くまで車に乗って行くというわけではなく、ずっと歩いていくのである。
想像できないほど大変だ。
今回は、天候の様子を見ながらの挑戦となった。
11月は初冬だというのに、降雪や積雪に行く手をさえぎられる。
足元が雪のために前に進めなかったり、稜線が狭くなっていて危なくなっていたり。
頂上で1日足止めを食らったり。
予定の変更を何度も余儀なくされていた。
冬山に入ることの厳しさが映し出されたのは、たぶんほんの一部だけだが、絶対にもっと過酷だったはずだと思いながら見ていた。
それでも、次々と山をクリアしていく彼のすごさにいつも感心する。
今回も、拍手を送りたくなるエンディングだった。
終わりは、「前人未到の挑戦は続く」というナレーションが決まり文句となっている。

昨年末は、今回の朳差岳で、240座目。
あと残り60座にまで迫り、今年改めてアタックしていたところだった。
ところが、ここにも、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う活動の影響が出ている。
つい先日、彼が活動を一時中断したことが新聞に出ていた。
また、ネットにもそれが知らされてあった。

グレートトラバースプロジェクトの途中で発生した新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、田中陽希の活動を一時中断しますことをご報告させていただきます。

残念だと思う。
全国的に緊急事態宣言が延長されるもようだが、早く彼がまたアタックしていく姿を見たいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最初の緊急事態宣言から2週間

2020-04-21 22:29:42 | ひと
最初の緊急事態宣言が出されてから2週間になった。
あの時、安倍首相は、言っていた。

最も重要なことは、何よりも、国民の皆様の行動変容、つまり行動を変えることです。専門家の試算では、私たち全員が努力を重ね、人と人との接触機会を最低7割、極力8割、削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができます。

あれから2週間たったけど、状況が改善されたとは言えない状態。
そうなっていないということは、
○専門家の試算が間違っていたのか?
○国民の私たちの努力が足らなかったのか?
○もともと求められていたことが無理なことだったのか?
…などが考えられる。

思うに、この3つの中で、1つ目の専門家の試算は実現されていないのだから、それを間違っていたというのは、おかど違いだろう。
結論として、よくなっていないのはやはり、この2週間ずっと叫ばれていたように、
「人と人との接触機会を最低7割、極力8割、削減する」
ということが、結局できなかったからだと考える。

ただし、単純に上の2つ目の○が合っている、とは言えない。
ほとんどの人たちは、それなりに努力はしてきた。
ただ、7,8割の接触機会削減は、思っていたよりももっと難しかったとも言える。

最初、7都府県に緊急事態宣言が出されると、地方に人が流れていってしまった。
そこから感染が広がったところもある。
「都会で大変な思いをするなら、帰っておいで。」「こっちへおいで。」と大切な人たちを呼んでしまった人もいる。
しかし、そういうことをするということは、ねらっていた「行動変容」ではなかったということだ。

そして、宣言により窮屈な思いばかりすると、イライラする人もいる。
自分に都合のよい解釈をして行動する人もいる。
今まで考えられなかったことが次々と起こっていることも確かだ。

確かに宣言から2週間はたったけれども、もともとそれで解消すると言ったわけではない。
「感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができる」と言っただけだ。
また、次のようにも言っていた。

効果を見極める期間も含め、ゴールデンウィークが終わる5月6日までの1か月間に限定して、国民の皆様には、7割から8割の削減を目指し、外出自粛をお願いします。

感染者数の推移を見ると、5月6日までどころではなく、さらにまだまだ自粛活動は続けなくてはいけないようだ。
よりしっかりとした自分をもって、取り組んでいかなくてはいけない。
つらい日々が続く。

そう。1人だけで取り組むのではつらいだけだ。
だが、つらいのは自分1人だけではない。
同じようにつらい人たちみんなと手を携え、緊急事態の解除に向けて取り組んでいきたいものだ。

感謝の心を表すことで手を携える人たちもいる。
歌を歌うことで手を携える人たちもいる。
直接的な接触はできないが、つながって手を携えて、前に進もう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノムさん(野村克也氏)逝く…

2020-02-11 21:39:42 | ひと
ノムさん、野村克也氏が亡くなった。
私が言うまでもなく、日本プロ野球史に大きく輝く業績を残した人だった。
それは選手としても、監督としても。
選手としては、パシフィック・リーグで歴代№1の存在だったと言ってもよいだろう。
戦後初の三冠王になっているだけでなく、通算試合出場数は日本プロ野球歴代2位(実働年数は歴代2位)、通算の安打、本塁打、打点、塁打数は歴代2位で、いずれもパ・リーグ記録だ。
監督としても、南海ホークス、ヤクルトスワローズを優勝に導き、阪神や楽天がその後強くなる礎を築いたりした。

私が最も好きだったのは、それほど輝かしい実績をもちながら、野村氏自身が「自分が弱者である」という自覚を常にもっていたことである。
弱者だから、強くなる道を探る。
弱者だから、強者に対して勝つ方法を考える。
だから、数多い著書があるが、「弱者が勝者になるために」「野村の『眼』:弱者の戦い」「弱者の兵法:野村流 必勝の人材育成論・組織論」「弱者の流儀:野村克也31の考え」など、「弱者」という言葉がついた書名も多い。
私は、そういうノムさんの本を結構たくさん読んだ。
・弱者であっても、あきらめてはいけないということ。
・自分が弱い存在であるという自覚をもち、工夫すること。
・弱者として、少しの成功があってもいい気にならず、謙虚に努力を続けること。
そのようなことを、著書からたくさん学んだ。

人に対しても、学ぶところは多くあった。
・他球団で見限られた選手を、自分のチームで活躍させたこと。
・そのためには、個々の選手の長所を見出したこと。
・その長所を最大限に生かして、強者に勝ち自信をつけさせたこと。
人の持つ個性や可能性を信じなければ、「野村再生工場」はありえなかっただろう。

強者に立ち向かうために、また選手の長所を生かすために、精神論だけではなくデータをもとにして裏付けをきちんととっていた。
だからこそそれが、単なる気休めではなく、人を納得させ向上への意欲を高めていた。
そして、弱者が強者に勝つ方法を見つけていた。
個性や可能性が生きる道を見つけていた。

ノムさんのこのような姿や考えは、私自身の、小さいとはいえ人を相手にする仕事に大いに役に立った。
そして、リーダー的な立場に立つようになったときには、大きな支えとなった。

金田正一氏、そして野村克也氏…。
子どもの頃憧れた野球のスーパースターたちが、少し前まではあんなに元気だったのに鬼籍に入るようになってきた。
日本のスポーツ史に輝き、間違いなく時代を築いてきた巨星たちが次々に落ちていく。
さびしさはこの上ない。
でも、勇気や希望や憧れを持たせてくれたことに、大きな感謝を伝えたい。

ノムさん、ありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田祐也選手の走りに心動かされて

2020-02-03 21:32:09 | ひと
走るときに使うものとして欠かせないのがシューズである。
今、走るためのシューズとして、ナイキ社製の厚底シューズが話題になっている。
昨日の別大マラソンでも、丸亀国際ハーフマラソンでも、箱根駅伝同様にたくさんの人がそのシューズをはいて走っていた。
丸亀国際ハーフマラソンでは、日本記録も出たし、箱根駅伝でも区間賞続出だった。

はくと記録が飛躍的に伸びる魔法のシューズのように思われるけど、記録を伸ばすためには、シューズに合った走り方も必要なはず。
必要な練習をこなさずに記録だけがよくなるなんてありえない。
そのことを、昨日の別大マラソンで日本人トップとなった吉田祐也選手は教えてくれたように思う。
彼も、そのシューズの使用者ではあった。
青学大で去年もおととしも箱根を走れない11番目の選手だったのに、今年は4年生で初めて箱根を走り4区区間賞。
卒業後は実業団選手として走ることを選んでいなかったのに、初めて走ったフルマラソンで初マラソンの日本人歴代2位の記録を生み出した。
ただ、彼を見ていると、シューズの使用だけではない継続した努力の存在が伝わってきた・
青学大原晋監督も、「努力は裏切らない」と絶賛だった。

他の多くの選手同様に、その吉田祐也選手も、ナイキ社の厚底シューズをはいていたが、「箱根駅伝以降、充実したマラソン練習が積めた」と言っていた。
そのシューズのよさを使いこなせる練習内容や練習量をこなしていたということだ。
最初で最後のマラソン挑戦かもしれないのに、そこに向かう姿勢と生み出した結果は、本当にすばらしいなあ、と思った。

大学を卒業したら、彼が就職するのは、私たち新潟県人にとっては地元に本社がある菓子会社だ。
その会社では、水球はやっているが、陸上はやっていない。
走ることをスパッとやめたりはしないだろうけれど、彼は、どのようにして、何を目標にして走っていくかなあ、と興味がある。
これからも、彼の動向に多少注目していきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪天候の下でも公園清掃

2019-10-12 14:46:27 | ひと
ボーッとしてうつらうつら寝ていたところに、ジャリーン、ジャリーンと金属音が響いていることに気が付き、目が覚めた。
時計を見ると、6時42分。

えっ!?やっているの?雨なのに。
そう思って、はね起きた。
今朝は、近くにある公園の清掃日だった。
先日の町内会の回覧板で、今日の6時30分から7時30分まで、町内の公園の清掃作業を行うとの連絡が回っていた。

明け方4時台に目が覚めたおかげで、5時を過ぎてから激しい雨が降ってきたのを知り、6時過ぎになって、今日の町内清掃はないな、と思ったら、いつの間にか眠っていたのであった。

あわてて起きて窓から外を見ると、小雨が降ってはいるが、公園の方からは刈り払い機で草を刈る音が複数聞こえた。
雨に当たってもいいように急いで作業着や雨具等を着て、長靴をはいて外に出た。
台風が来そうだということだが、小雨の中、町内清掃は、予定通り行われていた。

わが家には刈り払い機はないが、今までの公園清掃で機械はなくとも、刈り取られた草を集める作業をする人が必要なことを知っていた。
だから、柄の長い竹熊手を持って、公園に駆け付けた。
町内のリーダーの方に、「遅くなってすみません。」とひとこと謝ってから、さっそく草の掃き集め作業に精を出した。
一生懸命掃き集めていると、あっという間に汗がふき出してきた。

それにしても、小雨の中、20人くらいの人がよく動いているものだと感心した。
刈り払い機で、園内のあちらこちらに草を刈り取る人。
その周辺に、竹ぼうきや長い熊手状のもので、草を掃き集めて山を作る人。
一輪車をもって、その草の山を集めて積んで、公園の隅の草捨て場に持っていく人。
一輪車はなくとも、大きなちりとり(てみ)に集めて草を運ぶ人。
それぞれ、自分ができる仕事を決めて、くるくるとよく働いていた。
なかには、「近ごろ腰が痛くて…」などと言いながら、作業する手を休めない人もいた。

なかなかすばらしい人たちだと思った。
台風が迫るこの悪天候の中で、朝早くから黙々と作業している。
決して自分のためではない。
自分が住んでいる地域の公園のため。
そこで遊ぶ子どもたちのため。
自分の都合を捨ててこうして清掃作業を行う人たちのことを、すごいと思った。
寝坊してそれに遅れてきた自分を恥ずかしく思った。

よく「世のため 人のため」と言う。
自分の利益のためでないと動かない人も多く見かけるようになった現代、このような「世のため 人のため」の行動は、とても尊いものだと改めて思った。
こういう人たちがいて、人間社会は成り立っているのだよなあ…。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルビレックス新潟、早川史哉の病を乗り越えた復活にウルウル…

2019-08-19 22:25:59 | ひと
舞行龍の復帰、ということで期待した岡山戦だったが、虚しく0-3での惨敗だった。
しかし、「復帰」ということなら、敗戦試合を喜びに変えるほどの感動が、試合前に届けられた。
それは、急性白血病から復帰して、早川史哉が3年ぶりにベンチ入りしたことであった。
急性白血病から復帰の新潟早川3年ぶりベンチ入り
J2新潟DF早川 白血病から復帰でベンチ入り 出番なしも「声援がうれしかった」


10代の頃はユースの日本代表として、世界でベスト8の経験をしたこともあり、将来を嘱望されていた早川。
それがアルビレックス新潟に入団して開幕レギュラーをつかんでいたのに、急性白血病を発症し、闘病生活に入った彼。
彼を応援しようと、全国各地で募金活動や励ましの活動が繰り広げられたこともあった。

彼の闘病の様子は、時々メディアで紹介されていたのを見てきた。
そして、ここでも何度か書いてきた。

史哉!!
「新潟ニュース610」の特集「白血病と闘うアルビ・早川選手に密着」が心にしみた
うれしいニュース 28番早川史哉選手 契約凍結解除の発表

…が、彼の悩んだり苦しんだりする姿は、見ていてやはり苦しいものだった。

しかし、その苦しみを1つ1つ乗り越えながら、彼は前に進んできた。
そして、凍結された契約が更新され、今季再びの選手生活に入ることができるようになった。
ただし、まだ十分に体力が回復していないので、練習や試合の完全参加には時間を要してきた。

それでも、彼は自分の闘病体験を生かし、あちこちに出かけ、励ましを行ったり体験を語ったりしてきた。
池江璃花子選手の発症に関してもコメントを求められたりもしたが、落ち着いた対応を見せた。

先月、娘と聖籠の練習場を訪ねたときも、笑顔で快くサインに応じてくれていた。

ただ、そんな姿を見ながら、彼の体調はどんななのだろうか?
彼の試合に出る選手としての復帰の日は来るのだろうか?
などと思ったりもしたのだった。

それからひと月半、突然の彼のベンチ入りに、本当に驚いた。
ピッチで練習する姿に、ここまできたんだなあ、よくがんばってきたなあと胸が熱くなった。


スタジアムでは、彼の復活を祝って、入団から始まって、試合出場、闘病、

再契約、

練習風景など、

今までの彼の歩みをビジョンに映して紹介していた。

その画像を見ながら、見ているこちらも涙が出てきてウルウルしていた。

残念ながら、この試合に出場することはなかったが、試合後の場内1周では、何度も手を挙げ、丁寧に声援に応える姿に、彼の誠実な人柄を見たような気がした。

そして、翌日の練習試合では、90分間試合に出場して、ゴールも決めたと報じられていた。
新潟早川、練習試合でミドル弾 次戦出場へアピール
J2新潟DF早川“復活弾”!急性白血病克服後、対外試合で初「1000年に1度くらいの感触」

新聞記事やテレビの報道では、次こそ出場を目指しているというコメントが紹介されていた。
監督も、早川のことを「サッカーIQが高い選手」と評価している。

試合に出るための、本当のスタートラインに立ったと言えるのではないだろうか。
そのサッカーIQの高さを発揮する姿をぜひ見たいと思う。
先発メンバーで試合に出場する日が近いことを、心から信じて応援したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルビレックス新潟、監督解任に見るリーダーシップの厳しさ

2019-04-15 22:15:42 | ひと
勝負の世界は厳しい。
サッカーJ2リーグ、アルビレックス新潟が監督の交代を発表した。
新潟は、ここまで9戦3勝3敗3引き分け、勝ち点12の10位。

確かに開幕ダッシュには失敗している。
前年度も、9試合終了時点で勝ち点11と同様な成績だった。

勝負の世界が厳しいというよりも、是永社長の監督解任の判断こそが厳しい。
会見で、是永社長は、ここまでの監督の労をねぎらいつつも、ここまでの試合内容と結果では、目指していた成績つまりJ2優勝が望めない、という判断を示した。

ここに、私は会社経営の長としての、強いリーダーシップを感じる。
特に、その危機管理能力の高さを目の当たりにした思いがする。
最悪の状態を想定し、早め早めに手を打ち危機的状況に陥ることのないようにしていく。
この判断力と実行力に、ただならないものを感じる。

解任された片渕監督にも、私は、監督としてのリーダーシップを感じていた。
その最たるものは、ベテランの力と若い力をうまく融合させながら、若い世代の育成を図ろうとしていたことだ。
特に、かつてユース世代でかかわった選手たちを信じて起用を続け、その力を伸ばしてきていた。
例えば、川口、渡邉新太、渡邉泰基、平松らがそうだ。
片渕監督の指導と起用によって、再び彼らはプロとしての力を伸ばしてきていた。

ただ、リーダーとしての社長のあり方と、リーダーとしての監督のあり方とでは、最優先しなくてはいけないものが違っていた、ということだ。
何が何でも勝たなくてはいけない、と考える社長と、育てながら勝たなくてはいけない、と考える監督とでは、最終的な判断が違ってくる。
そんなところにも、今回の解任となった理由があるような気がする。

それだけに、勝負の世界に携わるリーダーには、厳しいものが求められているのだ、と改めて考えさせられた。

さて、これでアルビレックス新潟というサッカーチームは、どのように変わるだろうか?
社長の決断が間違っていなかった、というドキドキワクワクする試合を見せ、順位を上げていってほしいと願う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言動に現れた人間性~イチローの引退~

2019-03-22 21:30:57 | ひと
昨夜は、アスレチックス対マリナーズの野球の試合が決着するまで見てしまった。
もしかしたら…という思いが現実のものとなり、イチロー引退の試合となってしまった。
8回の守備についた後の選手交代で退くときの光景は、忘れられない。
満場の観客が総立ちになって称え、拍手する。
全選手がベンチ前で迎え、一人一人とハグするイチローの姿。
日本人の菊池雄星だけでなく、ゴードン選手も涙を流していた。
そこには、イチローという偉大な選手をリスぺクトして、その最後の瞬間を惜しむ人たちの姿があった。
偉大なだけなら、あそこまでの光景が広がったりしないだろう。
彼が残した功績だけでなく、彼のもつ人間性が、観衆や選手たちをそこまでしたいという気持ちにさせたのだ。

試合後の場内1周の際にも、残っている観衆は多かった。
最終電車に乗り遅れた人も、きっと多くいたことだろう。
だけど、それでもイチローの最後の姿を少しでもまぶたの裏に焼き付けておきたかったのだろう。

イチローの人間性は、これまでの言動に十分に見ることができたが、引退会見にも存分に表れていた。
会見の冒頭には、
「ここでは、これまで応援していただいた方々への感謝の思い、そして、球団関係者、チームメートに感謝申し上げて、皆様からの質問があればできる限りお答えしたいと思っています」
と言った。

また、質問の1つ1つに丁寧に答え、実際に深夜なのに1時間半近くの会見を行っていた。

さらに、答えるときには最も的確な言葉を選んで、聞く人に自分の思いがしっかり伝わるようにと配慮していたのが印象的であった。

そして、真剣な答弁の中にも、ユーモアを忘れないことも素晴らしかった。
「おなか減ってきちゃった」と言って終わりへと意識を向けさせたり、最後の締め方にこだわったりしながら、最後は、
「締まったね、最後。いやー長い時間ありがとうございました。眠いでしょ、皆さんも。ねぇ。じゃあ、そろそろ帰りますか、ね」
という終わり方。
嫌味や押し付けが感じられず、会見会場を明るくして終わることができた。

努力する姿勢はもちろんだが、言動に現れる人間性がやっぱりすばらしい。

そういうすばらしい日本人選手がやめてしまう、ということも惜しく思われたイチローの引退であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早川史哉選手の配慮に満ちたコメント

2019-02-14 22:43:37 | ひと

母の命日と墓参りに行った日のちょうど間の日、日本中が驚いた報道があった。
競泳の池江璃花子選手の白血病の公表である。
白血病は、血液のがんと言われるが、母はリンパのがん、そして肺のがんであった。
この病と闘い、克服していくのは、簡単ではないだろうと思う。

病の種類は違うが、抗がん剤を受けたりしてその闘病のつらさに、母は、
「なんで私がこんな病に。私がどんな悪いことをしたというの!?」
と、よく訴えたものだった。
病と品行のよしあしは全く関係がないだろうが、当時、そう言わざるを得ない病の大変さがひしひしと伝わってきた。

池江選手は、まだ18歳。
こんな若い人に…、こんなにスポーツで期待されている人に…、と信じられない思いがする。
どの人の命も重いが、そういう人だからこそ、世間に与える衝撃は大きいのだと思う。

だが、急性白血病を乗り越えて今季から再びJリーガーとして復帰を果たした早川史哉選手の存在が、暗闇の中の一筋の光になってほしい、と思う。
白血病にも種類があるし、人によって状態が異なることだろうから、簡単に気休めは言えない。

早川選手は、公表されたその日のうちに、チームを通じてコメントを発表している。
早川選手ならではの、配慮に満ちたコメントだと思った。

・他人事ではなく、自分のことのように感じている。
・競泳選手としての池江さんというより、一人の人間として病気に立ち向かってほしい。
・周りの多くの方はどうしても綺麗なドラマのように、復帰して再び活躍する姿を見たいと期待していると思うが、まずは一人の人間として元気になってくれることを僕は願っている。
・決して一人で背負いこまないでほしい。
・周りの方々から池江選手に温かい優しさをたくさん与えてほしいし、その想いが必ず池江選手の力になると思う。それは、白血病を経験した自分自身が感じてきたことでもあるから。
・僕自身が力になれることがあれば協力させてもらいたい。
・誰かと比較せずに池江選手のペースでしっかりと病気と向き合って進んでほしいのが一番の願いだ。
・池江選手に対するリスペクトと思いやりをもって、彼女の戦いに大きな優しさと温かさをもって寄り添ってほしい。

…一つ一つの言葉に、病の経験者でないと語れない重みがある。
早川選手の言葉には、「がんばれ」という言葉がないことに気付く。
「がんばれ」は、言う相手に対して「辛さに耐え抜け」というような命令形の意味ももつ。
早川選手は、闘病生活で、時にこの言葉が辛かったのではないかと思う。

最後の言葉には、「リスペクトと思いやり」という言葉がある。
単なる「かわいそう」という憐れみではなく、「リスペクト」をもつことが、見守る私たちには必要なことなのだと思うのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロフェッショナル くまモン

2019-02-02 22:37:15 | ひと

家に一番近いスーパーに買い物に行ったら、果物売り場に「晩白柚」というデカい柑橘類の果物が置いてあった。
「ばんぺいゆ」と言うのだそうだ。
大きなその実が入った袋の外側にそう書かれてあり、「くまモン」の絵も描かれてあったので、熊本県の特産だとわかった。

くまモンといえば、先日、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で「皿を割れ、ふるさとのために~地方公務員・くまモン~」を見て、感心したことを思い出した。

「地方公務員・くまモン」って、どういうこと?
と思ったが、くまモンは、「熊本県営業部長兼しあわせ部長」ということで、れっきとした熊本県職員という訳で、地方公務員となる訳だ。

くまモンのことは、ちゃんと県が組織的にプロデュースしている。
それでありながら、そのキャラクターの使用料はないということだ。
そのせいか、様々なところでそのキャラクターが使われている。
私がみた晩白柚も、その1つと考えられる。
くまモンの関連商品の売り上げは、年間1400億円だとか。

感心したのは、そんなことではない。
くまモンのプロフェッショナルとしての姿だった。

番組を見ていたら、ゆるキャラなのに、ゆるくない流儀が見てとれた。
それは、お客さん、見に来てくれる人、寄って来てくれる人に対するサービスを忘れないということだった。
とても高いサービス精神を発揮していた。
時間がかかっても、時間がオーバーしても、くまモンに会いたくて寄ってきた子どもの姿が視野に入っただけで、その子に寄っていく姿は、たしかにプロフェッショナルであった。
プロデュースするチームメンバーが妥協しても、くまモン(を演じている人?)自身が妥協しないで仕事をしている。
その姿は、「あっぱれ!」であった。

NHKがプロフェッショナルな存在の人物を取り上げるこの番組で、くまモンとはふざけている、と思いながら、初めは見ていた。
が、次第にその考えは恥ずかしくなった。
妥協しない仕事ぶりは、「プロフェッショナル」にふさわしいものであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする