ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

プロフェッショナル くまモン

2019-02-02 22:37:15 | ひと

家に一番近いスーパーに買い物に行ったら、果物売り場に「晩白柚」というデカい柑橘類の果物が置いてあった。
「ばんぺいゆ」と言うのだそうだ。
大きなその実が入った袋の外側にそう書かれてあり、「くまモン」の絵も描かれてあったので、熊本県の特産だとわかった。

くまモンといえば、先日、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で「皿を割れ、ふるさとのために~地方公務員・くまモン~」を見て、感心したことを思い出した。

「地方公務員・くまモン」って、どういうこと?
と思ったが、くまモンは、「熊本県営業部長兼しあわせ部長」ということで、れっきとした熊本県職員という訳で、地方公務員となる訳だ。

くまモンのことは、ちゃんと県が組織的にプロデュースしている。
それでありながら、そのキャラクターの使用料はないということだ。
そのせいか、様々なところでそのキャラクターが使われている。
私がみた晩白柚も、その1つと考えられる。
くまモンの関連商品の売り上げは、年間1400億円だとか。

感心したのは、そんなことではない。
くまモンのプロフェッショナルとしての姿だった。

番組を見ていたら、ゆるキャラなのに、ゆるくない流儀が見てとれた。
それは、お客さん、見に来てくれる人、寄って来てくれる人に対するサービスを忘れないということだった。
とても高いサービス精神を発揮していた。
時間がかかっても、時間がオーバーしても、くまモンに会いたくて寄ってきた子どもの姿が視野に入っただけで、その子に寄っていく姿は、たしかにプロフェッショナルであった。
プロデュースするチームメンバーが妥協しても、くまモン(を演じている人?)自身が妥協しないで仕事をしている。
その姿は、「あっぱれ!」であった。

NHKがプロフェッショナルな存在の人物を取り上げるこの番組で、くまモンとはふざけている、と思いながら、初めは見ていた。
が、次第にその考えは恥ずかしくなった。
妥協しない仕事ぶりは、「プロフェッショナル」にふさわしいものであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HAPPYな寒中見舞い

2019-01-28 22:20:15 | ひと
数年前に一緒に勤めていた方から、寒中見舞いをいただいた。
イノシシのデザインからすると、わざわざ寒中見舞いに仕立て直してくれたようだ。

HAPPYな二人の和服姿からは、結婚式のいでたちだったと想像できた。
印刷された文面を見ると、11月に結婚式を挙げたのだとのこと。

よかったなあ。

かつては、一生懸命がんばっているのに、思い描いたような展開にならずに、すごく悩んでいた時期もあった。
今はこうして幸福な報せを届けてくれるようになった。
がんばってきた甲斐があった。
天は試練を乗り越えてきた人を見捨てないでくれる。

うれしい報せをありがとう。
二人でいることで、幸福を感じられる瞬間が多くあることを祈ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒中見舞いをいただいて…

2019-01-09 22:23:53 | ひと
今週になって、寒の入りを迎えた。
年賀状をもらった相手に、寒中見舞いを書いたという話は4日ほど前に、ここでも書いた。
年賀状をくださった方の大半は、私が年賀欠礼を出しそびれてしまったり住所が変わってしまったりしたので年賀欠礼が届かなかった人たちであった。

今週になって、この3日間で5通の寒中見舞いをいただいている。

ありがたいなあ、と思う。
というのは、年賀欠礼を受け取って、年賀状を出さない代わりに、わざわざ寒中見舞いを書いてくれているということだ。
文面を見ると、近況を知らせてくれたり、こちらを気づかったりしてくれている。
情のある方々だなあ…と、心の琴線を震わされる思いだ。
人として、すばらしい思いやりの心をもっているなあ、見ならいたいなあ、と思った。

私は、年賀欠礼を受け取っても、思いやりのある、このような形で寒中見舞いを出したことはほとんどない。
自分は、自分が思っている以上に冷たい人間なのかもしれない。
でも、だからこそ、反省し改善に努め、向上していけるとも考えたい。

5通の寒中見舞い。
温かい人の心とその振る舞いに感謝・感心すると同時に、自分のいたらなさを改めて痛感し、反省するしだい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光のイルミネーション

2018-12-03 22:04:40 | ひと
12月は、クリスマス月。
そのせいか、夜にはあちこちで光のイルミネーションを灯しているところがある。

12月1日の夕方、暗くなった中を走っていた時に、突然バカでかいイルミネーションを見つけて、ビックリした。
なぜなら、その2日前に同じような時間に走っていたのだが、その時にはなかったからだ。
12月になったから、灯し始めたのだろう。
その辺りは、食品工場団地となっている。
そのうち一社が、こういうことをしたわけだ。

思わず吸い込まれるように、その近くまで行って見てみたくなった。
近寄って、入口の門の外からスマホで写真を撮った。



写真を撮ろうとしたら、退勤した社員と思われる人が、そのイルミネーションの前を横切った。
(オレンジ矢印→の先)
その人の背の高さを黄色の上下矢印で表してみた。
てっぺんまで、おそらくその10倍くらいはあるだろうから、15mくらいはあるのだろうか。
すごいなあ、と楽しませてもらった。

近くを通る人々を楽しませよう、という思いでしてくれているのだろう。
楽しませていただきます。
…電気代はどのくらいかかるかわからないが、これからも楽しませてくださいな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会津八一の「学規」4カ条

2018-11-30 22:01:53 | ひと
最近、手紙をくれた方が、会津八一の「学規」4カ条を教えてくれた。

会津八一を慕って集まってきた多くの学生たちに、八一が書いて与えたという「学規」。
書いたのは自分をいましめるためでもあったという。

一、ふかくこの生を愛すべし
「この生」とは、かけがえのない自分の命のこと。この命をいとおしく思うから、人間のあるべき姿が見えてくる。

一、かへりみて己を知るべし
 自分は何をしてきたか、何ができるのか、真剣に反省すること。そこからすべてが始まる。

一、学芸を以て性を養ふべし
 学問と芸術に精進する。それが、己という原石を磨いて、あるべき人間の理想に到達するための道。

一、日々新面目あるべし
 過去の自分にとどまってはならない。日々怠ることなく努力を重ねて、新しい自分を創り出していかねばならない。人間の生は躍動してやまないものだ。

なるほど、と思う。
この4カ条を自分なりに読んで、納得する。
自分の言葉で書き換える。

「かけがえのない自分の命」「自らを振り返る」「自分磨きをする」「新しい自分の創出」

60年余り生きてきて、大切だと思ったことが言われている。
これからも、簡単に枯れてはいけないのだということも言われている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

接客の話術がうまいから行ってしまう

2018-11-29 22:12:57 | ひと
3か月ぶりに、その店に行った。
その店のママは、客に合わせて話をするのが非常にうまいのだ。
接客のコツを心得ているなあと、いつも感心する。

…と書くと、それはどこかのBARの話じゃないの?
と言われそうだ。
でも、違う。
そのママがいるのは、BARではなく、実はBARBER。
早い話が、床屋さんなのだ。

私の頭は、「ペコロスの母…」に出てくる息子の「ゆーいち」氏の髪型(?)と似たようなものなので、毎月散髪に行く必要はない。
3か月に1度くらいでちょうどいいのである。

さて、話のうまさについていうと、
散髪の作業をしながら、客を退屈させないようにできるのだ。
話を自分からしてくる客には、相づちを打ち、もっと客が話したくなるような突っ込みを入れてくる。
そして、私のような3か月に1回しか行かないような客の好みの話を覚えてくれているから、うれしい。
話しながら、私からも話を引き出そうと働きかけてくる。
その辺がにくいなあ、と思う。

私がうまいなあと思う話題の一つが、アルビレックス新潟のサッカー話である。
床屋という性格上、土日の試合がある日は仕事があって、ほとんど見に行けないはず。
なのに、仕入れている情報はなかなかのもの。
いろいろと働きかけてくる。
「やっぱり片渕さん、すごいですよね。ああやって見事に立て直しましたもんね。」
「野澤が戻って来て、本当によかったですね~。」
「冨澤とはやっぱり契約しませんかねえ?」(床屋を出た後、本当に「契約満了」の報せが届いた…)
「金沢戦の本間至恩のゴール、すごかったですね。来年も活躍してくれるといいですよね。」
…などと話を振られると、ついこちらも反応して話が盛り上がる。

そして、聞いていると、面白い話も提供してくれる。
「川崎に行った舞行龍ジェームズ、試合に絡めていませんね、ずっと。奥さんの実家に帰ると、イオンが好きだからそこにばっかり行っているとか。そこの家では、『高い金もらって喜んでいないで、試合に出ろ。試合に出られないなら、新潟に戻って来い。』って言っているんですって。」
「酒井高徳は、最終的には新潟に帰ってきたいと言っているそうですよ。」
…そんな話もしてくれる。
やはり、よく情報収集に取り組み、「勉強熱心」なのだなあ、と伝わってくるものがある。

客を退屈させない話題の準備。
そして、話しかけ方のうまさ。
ママさんのそういうものがあるから、ここのBARBERに来てしまう。

「ゆーいち頭」の私としては、他の人と比べて同じ料金は高いとも言われるが、話のサービスも料金に入っていると思えば、高くない。
何と言ったって、「ゆーいち頭」の私は、3か月に1回しかBARBERに行かないのだから…。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貴景勝の優勝を称えたい

2018-11-25 20:34:00 | ひと
横綱が3人いながら、2人は場所前から休場を宣言。
残った1人は、4連敗。
ならば、3人の大関に大チャンス。
だけど、そのうち2人は、ケガや途中休場で8勝するのがやっと。
残りの1人が、なんとか2敗のトップタイで千秋楽を迎えた。
だけど、本当に「なんとか」だった。
危ない相撲も多く、相手の自滅や行司や審判の判定に救われたことも結構あった。
そんな大関高安だから、今日の相手御嶽海がすでに負け越しているからって、楽に勝てるとは限らない。
足元をすくわれる形で負けることもあり得る。
そう思って見ていたら、やっぱり強引に行って墓穴を掘って負けてしまった。
相撲ファンが見たかった優勝決定戦にはならずじまい。

小結の貴景勝は、本当によくやったと言える。
師匠だった貴乃花が、いろいろとスキャンダルに巻き込まれたというか、起こしたというかのあげく、相撲界を去るはめになり、場所前に部屋を移籍したばかりだった。
貴乃花親方のスキャンダルも嫌だったであろうが、部屋を代わることはもっと嫌だったであろう。
だけど、聞こえてくる雑音に耳をふさぎ、毎日の相撲に力を注いだ。
その集中力がすごい。
インタビューのたびに、「しっかり準備して」と言っていた。
雑念を入れずにしっかりと戦うことに集中していた。
迷いのない立ち合い、攻撃的な相撲は、毎日見応えがあった。
毎日、一日一番を自分の相撲を取ることだけに専心して、よくがんばった。
誰が見ても、今場所の優勝者にふさわしい内容だったと思う。
地位が高い力士が優勝する方が、相撲界としてのメンツが立っただろうが、相撲内容を見ればわかる。
相撲内容は正直だ。
優勝するに値する相撲を見せていたのは、貴景勝だったのだ。

幕内で最も若いそうだし、史上6番目に若い力士としての優勝だったそうだ。
本当にすばらしい。

優勝したことで、また周囲やマスコミが騒ぎ立てるだろう。
でも、これからも、いい相撲を取ることに集中して活躍してほしい。

貴景勝関、優勝おめでとうございます!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清水ではちびまる子ちゃんに迎えてもらったっけ…~さくらももこさんの逝去を悼む~

2018-08-29 20:24:21 | ひと
一昨日、「ちびまる子ちゃん」の作者、さくらももこさんが亡くなったというニュースが速報で流れた。
53歳。
私からすれば、まだ若いのに…と残念だ。

わが家では、毎週午後6時は、何とはなしに「ちびまる子ちゃん」のテレビ放送を見ている。
家族や友人たちが個性的なのもいいし、主役のまる子の、子どもらしいものの考えやひがみ根性も、人間らしくて非常に好きである。
楽しい番組だと思う。

そのまる子の故郷は、静岡県清水市(現静岡市清水)である。
私たち夫婦が、家族のことを考えず(?)自由に旅行に行けた、最後の旅行先が5年前の静岡県であった。
そして、そのときは、JR清水駅に降り立ってから、感激したのだ。

清水駅では、清水エスパレスのパルちゃんと、まる子が迎えてくれたのだった。

まる子のふるさととして、人気キャラクターが迎えてくれるなんて、なんていい街だろうと思ったのだった。

「ヒデキ」ではないが、「カンゲキ!」であった。

そして、その利点をフルに利用しているのが、ない側の私たちにはうらやましくもあった。

それは、バスにも使われていた。

いいなあ、なんだかほのぼのする。

バスに乗るだけであったかい気持ちになるような気がした。

遺されたキャラクターたちが、これからも元気なひとり歩き(?)を続けてほしいと思う。

そんなほのぼのとあったかいキャラクターを生んだ作者の早すぎる死は、とても残念だ。
合掌。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新盆,元の同僚宅を訪ねて

2018-08-14 22:36:00 | ひと
お盆なので、ご焼香に訪ねて行く。
親戚関係を除くと、同級生の関係か職場で縁があった人との関係か、ということになる。
2年前は、同級生関係で亡くなったの人々のところを次々と回ったのだった。

今日は、今年3月上旬に亡くなった、元の同僚宅を訪ねた。
新盆である。
定年退職を目前に控えて同業の研修団体の仲間であり、かつて2年間一緒に勤めて明るく元気な職場づくりに力を出してくれた人。

彼の家は、県外にある。
少々遠い。
そう、彼は、県外から毎日新潟県に通っていた人だったのだ。
初めて行くので、家が分からない。
車のナビに電話番号を入力して近くまで行ったが、よくわからない。
これはもう、人に聞くほかはないと、車を止めて歩いていると、家の戸が開いていて会話中の年配の女性たちがいたので、聞いてみた。
ナビが告げたよりも、どうやらまだだいぶ距離がありそう。
仕方がないので、今度は通りの洋品店で聞いてみる。
そこの社長さんがいい人で、絵をかいて説明しているうちによくわからないだろうからと、住宅地図までコピーしてくれ、丁寧に教えてくれた。

絵と地図のコピーを頼りに、車に乗って探していくと、なんとか見つけることができた。
彼の奥様とご子息が在宅中だったので、あがらせていただき、仏壇の彼の遺影に手を合わせた。

木工が好きで趣味の一つだった人だけに、家には明らかに彼が作った“作品”ばかりだった。
相田みつをのように強いインパクトはないが、柔らか味のある教訓のような言葉が飾られた額がいくつも並んでいた。
ほかにも、写真を飾った額、見えるところは木だけで作られた振り子時計、花を飾るミニテーブル、そして長椅子…等々。
「まだ材料の木がいっぱい残っているんです。木は細工する前によく乾燥させないとダメだと言っていましたから。」
「面の模様を見て、『うわあ、どっちもいいなあ。どっちを表にするかなあ。』なんて言ったりしていました。」
「このテーブルの『耳』がいい、なんて言ってたんですよ。『耳』なんてどこのことだかわかりますか?独特の言葉で言うもんですから、意味がわからなかったですね。」
奥さんの話を聞きながら、木工好きの彼らしいこだわりが伝わって来て、懐かしく思った。

実は、彼が亡くなったときに、奥さんの勤務先は、偶然にも私が彼と共に仕事をしていたところであった。
「勤務先に、彼の作った長椅子があったでしょ!?」
と私が聞くと、
「手製の長椅子があったから、あれ?と思ったんだけど、どうも作り方が似ているなあと思って家に帰ってから聞いてみると、自分が作ったと言ったんですよ。」
という返事が返って来たのだとか。

彼の趣味は、木工だけでなく、アウトドア派であった。
釣り、山歩き、山野草の栽培、ミニチュア盆栽なども得意としていた。
玄関には、取り残されたミニ盆栽がいくつも残っていた。

職場で話をすると、いつも彼は、「どうせやるなら、楽しくやりましょう。」と言うのが口癖だった。
仕事も皆で楽しくやろう、というのが彼の主張であった。
だから、職場も堅苦しくなることがなかった。
彼の人柄に救われていたのは確かである。

定年退職後は、たくさん抱える趣味を存分に行う時間がある。
だから彼は楽しみにしていた。
なのに、進行性の癌が再発して2カ月後、帰らぬ人となった。
「佳人薄命」と言うが、そのとおりだと思う。

家ではおそらく知らない、私が知っている彼の姿をお二人にいろいろ話もした。
あっと言う間に小一時間が過ぎてしまった。

帰路に運転しながら、思った。
彼のように、自分はこれが好きだ、このことが楽しい、こんなことをしたい、というものをもちたいなあと。
彼が味わえなかった、60歳以降の時間を私は生きている。
これから後の時間は有限だ。
創造的で充実した時間をより多くしたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほぼ同年代のスターの早逝は残念

2018-05-17 22:14:05 | ひと
ローラ!
君が望むなら、(ヒデキ!)
すばらしい、Y・M・C・A
ヒデキ、カンゲキ!

私たちが若い時の、この世代のアイドルでリーダー的存在だった、西城秀樹氏が亡くなった。
野口五郎、西城秀樹、郷ひろみ。
新御三家と言われた彼らは、男性アイドルの筆頭に存在していた。
学年で言えば、彼らは私たちの1学年上だった。
西城秀樹は、3人の中では、一番男っぽさで売っていたと思う。
そして、情熱的な歌い方や歌う時のアクションなどは、ほかのアイドルには真似のできない大げさなカッコよさがあった。
ただ、私には、歌う時のそのわざとらしい演技には、あまり好感はもてなかった。
それでも、自分が年齢を重ねるにつれて、周囲を盛り上げようとするその演技力は、同年代ながらアッパレだと思ったりするようになった。

そんな彼も、オフコースの「眠れぬ夜」や、もんた&ブラザーズの「ギャランドゥ」を歌うようになったりして、年齢に応じた大人の歌手になろうとしているのかな、などと感じた時もあった。

40代後半から、2度倒れるなど健康面で不安を見せていたようだが、不自由な体でも自分なりに前に進もうとする姿勢は、さすがだなあと思っていた。
昨日、なぜか急に「最近、西城秀樹見ないなあ。また体調が悪化したのかな?」などと思っていたところに、この訃報である。
ほぼ同年代であり、自分が高校生の頃から活躍していたスターが早逝するというのは、やはり残念なものだ。
「いくつになっても変わらないねえ。」とか「まだやっているのか。がんばっているなあ。」とかの思いをもたせてくれる存在であってほしかった。

合掌。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする