ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

折鶴

2013-11-17 18:05:01 | 生き方
社殿を出るとき、いくつかの折鶴を手渡された。
「祝福のシャワーに使ってください。」

外は青空。
穏やかな秋日和。
社の前には赤い絨毯。
その上に立つ和の装いの二人。
一人は、羽織・袴の男性。
もう一人は、白無垢の衣装に身をくるんだ女性。
微笑みながら、寄り添いながら。
若い二人が赤い絨毯の上を歩き出す。
その歩みは、今日から始まる人生を示す。
両側に並んだ人々は、歩く二人の幸福を願い、頭上の青空に折鶴を飛ばす。
美しい和紙でていねいに折られた折鶴のシャワーを降らす。
「おめでとう。」「おめでとう。」
祝いの言葉と共に…。

折鶴。
そのもつ意味の大きな違いに、思わずほろりと涙がこぼれた。


折鶴は、毎日見ている。
娘の病室で。
―千羽鶴。
毎日娘の目にふれているはずだが、何度説明したことだろう。
大きな束は、たくさんの人が折ってくれた鶴たち。
娘が前の職場で一緒に勤めていた人たちが折ってくれたもの。
その人たちの家族までが協力してくれた折鶴もある。
もう一つの束がある。
それよりは小さな束だが、やはり前の職場で一緒だった人が、丹念に一つ一つきっちりと折ってくれたもの。
…少し前までは、繰り返し説明しても、その翌日にはそれを忘れてしまっていた娘だった。

病室の折鶴たちは、一つ一つがつながれてたくさん集まって、娘の病状の回復を願って作られたもの。
神社で用意された折鶴たちは、一つ一つが解き放たれてまかれ、祝福の気持ちを高めるために作られたもの。
どちらも、幸福への願いを込めて折られたものであるけれど、その持つ意味合いの明るさの違いが、私の気持ちを少し切なくさせていた。

「縁起物の折鶴ですから、皆さん、どうぞお持ちください。」
境内に放送の声が流れた。
でも、私はまかれた折鶴を、すぐ素直に拾う気にはなれなかった。


つながれた病室から、いつか青空のもとへ―。

そう思い直した私は、2羽の折鶴を拾った。
一つは、娘の好きな紫色でできている折鶴を。
これは、娘の回復を願って。
もう一つは、そのすぐ側で支えるように落ちていた折鶴を。
これは、いつも姉を支えようとしてくれている息子の安寧を願って。


コメント
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