ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(20)

2013-11-06 22:22:31 | 生き方
先の発作以来、けいれん止めの薬が再び濃くなったせいもあってか、娘のものを認識する度合いは、なかなか回復してこないように感じている。
対話はだいたい成立する。
話がだいぶよくわかっているなあと思って、「ここ、どこ?」と尋ねると、「カラオケ」なんて答えが返ってきたりしてがっくりすることもある。

それでも、ここ1週間くらいのよい姿は、書くことがおっくうではなくなった様子である。
ノートには、毎食何を食べたかを中心に書いている。
そこに、お見舞いの訪問者名なども書くようにしていたのだった。
以前は、書くとき、脳に影響があるようで、頭がぐらんぐらんする、と言っていた時もあった。
それに比べると、今は書くことに抵抗はだいぶなくなっているように見える。
頭も痛まないようだ。
あちこちの紙やノートに、いろいろと書いている。
ただし、書く内容が、内容なのだ…。
例えば、こんなふうに…。

父、母、弟、ありがとう。
今までダメな娘でごめんなさい。
私は、もっと生きていたかった。

…遺書のようになってしまうのだ。

目覚めて、自分が病院にいる、ということを初めて(記憶が積み上がらないので、娘には毎回が初めてである)知る。
不明なコードが体に付けられているということを見ると、不安な思いがしてしまう。
そんなことから、自分のことがまったくわからず、不安になってしまうようだ。
だから、私は、娘のベッドのテーブルに、

【入院】のわけ
〇 けいれんが起きる ➔ 胸からけいれん止めの点滴をしている
〇 脳がダメージを受け、記憶がなくなっている 
➔ 手足にベルトをしている。(無意識で暴れることがあるから)

などという貼り紙をしておいたのだった。

それによって、少しは不安が緩和されれば、と願ったのだ。

確かに、少しは効果があったようだ。
だが、自分の命が短いようにも感じてしまったらしい。
だから、その貼り紙に「命に別状はありません」とも書いておいたのだが、文字がごちゃごちゃになってしまい、よく読まなくなってしまったようだ。

「今までありがとう」みたいな遺書のような文章が多くなってしまったノート。
娘は、それを書いたことも忘れて、何ページも飛ばして、また違ったページに同じことを書いてしまう。
それらを読むことによって、その内容を信じてしまって、「自分は先が長くない」、みたいな思いを抱いてしまうようだ。

私は、毎回根気よく娘に病気のことを話し、娘の不安を払しょくしようとする。
でも、時間がたつと、また忘れてしまう…。
そこに、娘の悲しさがある。
忘れることや思い違いをしていることを指摘すると、時々、娘は言うことがある。
「だって、病気なんだから、しようがないじゃん。」

…その通り!
それが言える時のキミは、信用できる!


きっといつか記憶が積み上がる日が来る。
そう信じている。
だから、娘よ。
「今までありがとう」は、なしにしましょう!
コメント
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