ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

今日は、母の祥月命日

2020-02-13 21:13:01 | 生き方
世間は、明日がバレンタインデーと大はしゃぎ。
だけど、わが家にとっては、騒ぐ気にならないそのイブ。

なぜなら、今日は、母の祥月命日。
母が亡くなってから、15年。
早いものだ。
今日の天気が悪くなるという予報だったので、その前に墓参りに行って来た。



あの年は結構寒さが厳しく、雪もそれなりに降った冬だった。
そんなことを思い出していたせいか、墓に行った日には、寒さがありあられのような雪が当たって痛かった。
あれは、「わたしのことを忘れないで」っていう意味だったのかい?

忘れていないよ。
今日の夕飯は、母の好きだったものばかり。



「なます」や「山菜おこわ」、「カツオのたたき」「さつまいもとレーズン煮」「串団子」などが並んだもの。
代わりに(?)家族みんなでおいしくいただいたからね。

ついでに、昔よくやっていた漢字のパズル本も買ってきたからね。

(最終的に私がやるけどね…。)

母が今の私の年齢だったころ、ずいぶんエネルギッシュだった。
つれあいである父は亡くなり、私たち家族とともに新たな土地に移り住んで数年というところだったのに。
習字を習っていたり、社交ダンスに夢中になっていたり、新しい友だちを次々に作ったりしていた。
近所でも、「明るく元気なおばあちゃん」としてよく知られるようになっていた。
「時間がないのだから、楽しまなくちゃ」と、よく言っていたものだ。

明るく、楽しく、元気で、感情を豊かに表に出す。
誰からもそう言われていた母だった。
その血を受け継いでいるはずの私は、母のその姿に少し恥ずかしさを感じていたものだ。
だが、仕事をしていたときには、その血は十分役に立った。
目の前の子どもたちを笑わせたりするときには大いに生きた。
もっとも、自分としては、喜怒哀楽の表現の大きい母よりも、父に似たと思っていたのだが。

その仕事からも離れた私。
母のように、「人生を楽しむ」ためのものをもつことも大事な年齢だな…。
コメント (5)
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