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命かけてと誓った日から
素敵な思い出 残してきたのに
あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度
我々と同じ50代ならだれでも知っている曲、「あの素晴らしい愛をもう一度」。
歌っていたのは、加藤和彦と北山修。
この歌を作曲した加藤和彦氏が亡くなった。先日、自ら命を絶った。
特別なファンというわけではなかったが、「あの素晴らしい愛をもう一度」は、好きな曲だった。ソロで歌っていた歌だと30年ほど前に学生時代に聴いた「シンガプーラ」が、心に残っている。
加藤氏の逝去について、彼の盟友といえるきたやまおさむ(北山修)氏のコメントを知りたいと思った。
ザ・フォーク・クルセイダーズで、加藤和彦氏と組んで「帰って来たヨッパライ」など、数々のヒット曲を生み出した、作詞家で精神科医のきたやま氏。
アマチュアの頃から行動を共にし、近年また共に一時ザ・フォーク・クルセイダーズを復活させたことのある、きたやま氏の思いを知りたかった。
10月19日(月)の朝日新聞に、それが大きく出ていた。
「もはやあの人懐っこい笑顔が見られないかと思うと、本当に心が痛む。」という書き出しで始まった、きたやま氏の文章。
加藤氏の死については、「それにしても、やられた。すべて計算ずくだったと思う。」と、氏ならではのコメントを述べている。
加藤氏は「振り返る」のが大嫌いだったそうだ。
そして、若いころのきたやま氏に、加藤氏は、
「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」と言っていたのだそうだ。
そして、「趣味は一流、生き方も一流だった。」と評している。
最後に、次のように文章を締めくくっている。
「後ろは振り返らない、そして同じことは絶対にやらないというモットーを貫き通した彼は、おいしいケーキを食べるために全財産はたいて、また手の届かぬところに飛んで行った。戦友としては、その前だけ見る戦いぶりに拍手を贈りたい。しかし、昔話に花を咲かせ、共に老後を過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてこれを食い止めねばならなかった医師として、友人としては、実に無念である。」
さすがに、私らが知らない加藤氏をよく知っていると感じさせる文章である。
きたやま氏は、加藤氏について「前だけ見る戦いぶり」と称賛しながらも、その死については、仲間として、そして精神科の医師として無念であるとも語っている。
62歳。私の1つ上の世代という気がする。
私たちの1歩前でメッセージを出し続け、私たちに大きな影響を与えた世代、「戦争を知らない子供たち」と自覚した世代である。
その大切な先輩たちの一人が、急に眼の前からいなくなった。そんな気がした。
様々な人の訃報を聞くが、いつにない複雑な思いを湧き立たせた加藤和彦氏の、突然のさよならだった。
素敵な思い出 残してきたのに
あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
あの素晴らしい愛をもう一度
我々と同じ50代ならだれでも知っている曲、「あの素晴らしい愛をもう一度」。
歌っていたのは、加藤和彦と北山修。
この歌を作曲した加藤和彦氏が亡くなった。先日、自ら命を絶った。
特別なファンというわけではなかったが、「あの素晴らしい愛をもう一度」は、好きな曲だった。ソロで歌っていた歌だと30年ほど前に学生時代に聴いた「シンガプーラ」が、心に残っている。
加藤氏の逝去について、彼の盟友といえるきたやまおさむ(北山修)氏のコメントを知りたいと思った。
ザ・フォーク・クルセイダーズで、加藤和彦氏と組んで「帰って来たヨッパライ」など、数々のヒット曲を生み出した、作詞家で精神科医のきたやま氏。
アマチュアの頃から行動を共にし、近年また共に一時ザ・フォーク・クルセイダーズを復活させたことのある、きたやま氏の思いを知りたかった。
10月19日(月)の朝日新聞に、それが大きく出ていた。
「もはやあの人懐っこい笑顔が見られないかと思うと、本当に心が痛む。」という書き出しで始まった、きたやま氏の文章。
加藤氏の死については、「それにしても、やられた。すべて計算ずくだったと思う。」と、氏ならではのコメントを述べている。
加藤氏は「振り返る」のが大嫌いだったそうだ。
そして、若いころのきたやま氏に、加藤氏は、
「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」と言っていたのだそうだ。
そして、「趣味は一流、生き方も一流だった。」と評している。
最後に、次のように文章を締めくくっている。
「後ろは振り返らない、そして同じことは絶対にやらないというモットーを貫き通した彼は、おいしいケーキを食べるために全財産はたいて、また手の届かぬところに飛んで行った。戦友としては、その前だけ見る戦いぶりに拍手を贈りたい。しかし、昔話に花を咲かせ、共に老後を過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてこれを食い止めねばならなかった医師として、友人としては、実に無念である。」
さすがに、私らが知らない加藤氏をよく知っていると感じさせる文章である。
きたやま氏は、加藤氏について「前だけ見る戦いぶり」と称賛しながらも、その死については、仲間として、そして精神科の医師として無念であるとも語っている。
62歳。私の1つ上の世代という気がする。
私たちの1歩前でメッセージを出し続け、私たちに大きな影響を与えた世代、「戦争を知らない子供たち」と自覚した世代である。
その大切な先輩たちの一人が、急に眼の前からいなくなった。そんな気がした。
様々な人の訃報を聞くが、いつにない複雑な思いを湧き立たせた加藤和彦氏の、突然のさよならだった。