今週半ば、先週急逝したAさんの通夜に参列してきた。
Aさんは、私より年齢は1つ上だったが、同じ期の仲間として長い付き合いがあった。
とてもよい人だった。
なのに、70歳にもならないうちに亡くなるなんて、きわめて残念だ。
彼は、何事にも真摯に取り組む彼だったから、周囲から高い信頼と尊敬を集めていた。
だから、次々と高度な専門性と人間性が求められる要職についていったのだった。
高いポジションにつきながらも、まったく偉ぶるところがなく、気さくな人柄で相手の年齢の上下に関係なく笑顔で話しかけていくのが常だった。
40代前半の頃には、同じ市に勤めたから、私は、彼にはかなり世話になったのであった。
当時の私は、腰椎椎間板ヘルニアで入院したり手術したりして数か月休んだりしてしまい、勤務先こそ違ったが、すごく迷惑をかけてしまった。
だけど、彼は私の分までいらない仕事を抱えながら、陰に陽に助けてくれたのだった。
いつも本気になって心配してくれたり、自分のことを笑いながら話したり、気遣いあふれる言動には、救われたものだった。
同業同期の仲間ながら、とても尊敬できる人だった。
通夜の始まる前に、棺の中の彼の顔を拝ませてもらった。
やせて細くなった顔、固く閉じられて開かないまぶたを見ていたら、ふいに涙がこみ上げてきた。
現職の時は様々な要職にあった彼だから、退職後もその名が頼られて、いくつもの団体から必要とされていた。
現職時だけでなく定年退職後も休めなかった彼。
ゆっくりと自分の時間が持てるのはこれからだろうに、と思うと、早すぎる死が本当に悔やまれた。
弔辞は、彼が現職時代に彼の部下だった方で、今は彼同様の地位についた方が、心にしみる話をしてくれた。
仕事柄子どもたちの前で話す場面も多かったが、その時彼がよく話していたのは、
一生懸命は、美しい
ということだったそうだ。
いろいろな子どもたちがいるが、その言葉を聞いて元気付けられたり救われたりした子はたくさんいたのではないだろうか。
ほかの人のようにうまくいかない、とか、ほかの人と比べていいところがない、とかを思って、自分はダメだと思う子は多い。
そういう子たちに「一生懸命は、美しい」という言葉は、きっと心に響いたのではないだろうか。
生きる勇気、元気が湧いてきたのではないだろうか。
彼は、「一生懸命は、美しい」を職員にも求めた。
子どもたちを教える者であるならば、自らが一生懸命研修に力を入れなければ、教わる子どもたちの心に響かず、納得のいかない中途半端な学びになってしまう。
だから、子どもたちのために、研修に力を入れるようにと職員に強く求めていたのだそうだ。
自ら一生懸命を実践し続ける彼の姿は、職員の背中を押し、子どもたちを励まし続けた。
そのようなことを、弔辞で聞き、自分の心も揺さぶられるものがあった。
私は、彼ほど一生懸命にはできなかった。
だから、とても「一生懸命は、美しい」などとは語れなかった。
でも、今回この言葉を聞けて、今後の人生にきっと支えになるだろうなあ、と思った。
平日夜の通夜だったが、そんな彼を惜しんで、今どき250人以上の人が参列に訪れていた。
広いホール内に入れず、ホールの外で式に参加している人の姿もあった。
佳人薄命。
本当に惜しい人を亡くした。
ご冥福を心から祈ります。