ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

1年半ぶりにいわき市の海岸部を訪ねる

2012-10-21 23:22:27 | お出かけ
新潟県内には、完全に新米が出回るシーズンとなった。
その新米を購入して、福島県いわき市の海岸部に住む親類(正確に言うと、亡き母の実家(伯父)、伯母1、伯母2)の家3軒を、新米を届けつつ回ろうと計画し、今日日曜日に行って来た。
昨年、震災が起きてから1ヵ月半後に訪ねて回ってきたが、それ以来である。

さすがに、それから1年半もたっているので、あの時道路の両脇いっぱいにあったがれきは、なくなっていた。
なくなっていたとは言うが、他県で処理することは、遠い岩手県であってもなかなか受け入れてもらえないという事実からすれば、どこでどうのように処理されているのかは不明だ。
そして、さら地になっているところもあれば、新しい家が建っているところもあった。
着実に復興に向かっているのがわかる。
しかし、震災の影響が半端なく残っているのだ。
建物しかり、人しかり。

海岸に近いところは、防潮堤を建てる計画らしいが、住民のニーズに合った計画ではなく、古い防潮堤の場所でなければならないとか、堅苦しい決まりを盾にしているとのことであった。
古い防潮堤は、かなり陸の中に入り込んでいて、海岸からはかなり距離があるのに、である。

伯父宅は、足場が組まれ、外壁や屋根の修理の真っ最中であった。
震災の影響で、雨漏りがひどくなっていたり、地盤沈下で家が相当きつい影響を受けたようだ。
修理しないととてもじゃないが、使えないとのことであった。

伯母宅のうち1軒では、1階の柱だけ残して津波にやられたのだが、この半年あまり前に、住めるように修復してもらったのだそうだ。
ただ、地震のせいで施設に入ったりした伯母が、慣れない生活で転んでから、歩けない生活となってしまった。
そのため、家の1階は、バリアフリーに改装したとのことだった。
もう一人の伯母も、つい先日まで体調が悪かったとのことだ。
さらに、いとこたちには、くも膜下出血で倒れて入院した人あり、心臓の具合が悪くなることがある人ありであった。

やはり震災や原発事故からの生活の変化等による心身のストレスが大きいのではないだろうか?
会った人たちは、皆それらのことを明るく笑って話してくれた。
強いなあと思う反面、その強い人たちにも様々な影響があるのだと、知った。
離れているとわからないが、今日、往復約500キロをかけて会いに行って、いろいろあっても元気に生きていることと、上記のことなどを知ることができたのはよかったと思っている。




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