ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

内田百閒の「サラサーテの盤」を読んでみたけれど…

2024-02-19 21:53:31 | 読む

先日、たまたまNHKの「趣味どきっ!」という番組の再放送を見た。

普通なら見ないのだが、たまたまテレビをつけていたら、角田光代さんが出演していたので、ちょっと気になったのだ。

角田さんは、小説家だが、私は彼女の書いたエッセーが好きなのだ。

 

「降り積もる光の粒」(角田光代著;文藝春秋社) - ON  MY  WAY

角田光代さんのエッセーは、「なんでわざわざ中年体育」を皮切りに何冊か読んできた。「なんでわざわざ中年体育」(角田光代;文藝春秋)を読む-ONMYWAYこの本を読んでみた...

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なかでも、「なんでわざわざ中年体育」は、マラソンや登山などに誘われて、向き合ってやっている姿は面白いなと思ったのだ。

 

「なんでわざわざ中年体育」(角田光代;文藝春秋)を読む - ON  MY  WAY

この本を読んでみたかったのは、スポーツ誌「NumberDo!」にかつて連載されていたエッセーをまとめたものだと知っていたからだった。誌上で率直な文章が、非常に読...

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この「趣味どきっ!」は、「読書の森へ 本の道しるべ 」という特集番組で、角田光代さんがその第1回 2022年12月6日の放送分に出演して語っていたもので、再放送だった。

各界の本好きが自身の本棚をたっぷり紹介し、道しるべとなって本の魅力を語りつくす。

そういう趣旨の番組だった。

角田光代さんが小学校時代から読書好きだったという話や、自宅には天井までつながる壮大な本棚があるという映像などは、実にすごいなと思ったのだった。

その彼女が大学時代にむさぼるように読んだのが内田百閒の本だったという。

「サラサーテの盤」という作品をとり上げながら紹介していた。

うちだひゃっけん?知らないなあ。

 

読んでみようかなあ…。

そう思って、最寄りの図書館で本を探してみた。

「サラサーテの盤」は、残念ながら見つからなかった。

図書館なのに、その作品が3つしか見当たらないなんて変だなあ、と思っていたら、なんとその登録名を「内田百間」にしてみると多数見つかった。

内田百閒は、「百閒」であって「百間」ではない。

図書館さん、直しておいてね。

それで探してみると、文学全集の中に「サラサーテの盤」を含む彼の作品がおさめられていることを知って、借りてきた。

この全集は昭和46年初版第1刷で、現物は昭和55年第10刷の本。

なんとも文字が小さく、老眼鏡をかけないと文字が読めなくなっている私には、当初厳しく感じた。

さらに、「がたがた云はしてゐた風が」のように、文語体の表記・表現である。

簡単にはなじめなかったのが正直なところだった。

でも、短編だったので、案外早く読み終わることができた。

…で、感想は……???

…う~ん、………

正直よくわかんない。

角田さんは、前述の番組の中で、「今ここに現実があっても、次の角を曲がった瞬間まったく違う世界が広がっているかもしれないっていうような不思議な小説」というようなことを言っていた。

「まったく違う世界」「不思議な小説」…う~ん。全くそう感じなかった私って、鈍感そのものなのか?

よくわからなくって、この小説3度読み。

 

やっとなんとかわかってきたのは、亡くなった友人の未亡人が、毎日のように亡くなる前の友人が貸していたものを返してほしいと言って訪ねてくること、それ自体が不思議ということ。

「サラサーテの盤」ことレコードは、主人公も借りていたことを覚えていなかったくらいで、あとになってまた貸ししたことを思い出すくらいのものだった。

それなのに、未亡人が毎日貸していたはずだといろいろなものの返却を求めてくるし、レコードには人の話す声が入っているなど言っているのは、異様でもあった。

そして、そこの家の娘を、「幼稚園に行っていて、いない」と言いながら、未亡人が泣き出すことで話が終わるのも、おかしいといえばおかしい。

 

さっぱり理解できなかった。

読んでいる自分の頭が悪いような気がしてちょっぴりせつなかった。

ちょっとネットで調べてみたら、本書について、角田さんのこんな言葉を目にすることができた。

「私も、今私は生きているけれど、この足の下ではまったく違うことが進行していて、いきなりスポッとはまってしまうかもって考えていたので、そうした突然異界に入る小説って、すーっと自分の中に入ってきました。」

 

そうか、異界か。

未亡人は現存するこの世界と、その夫(友人)の死の世界とつながっているということか?

そして、娘のことで突然泣き出して終わるということは、娘もすでに現存しないということととればいいのか?

やっと少しわかった気がした。

 

読んですぐ面白がれない自分にあきれながらも、全集に入っていた百閒の他の作品「冥途」「旅順入城式」「山高帽子」「特別阿房列車」「素琴先生」「フロックコート」「漱石先生臨終記」「十三号室」などを読んでみた。

今まで知らなかった小説家の作品、文語体の文章、なかなか理解できないもどかしさ…。

日ごろ味わえない読後感を覚えたことを喜びとしよう。

そうやって納得した、このたびの読書であった。

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