kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

真田丸船賃六文波枕 三

2016-02-08 12:49:31 | 真田丸

 

きのうは、第五回 真田丸 「窮地」

 

 

 

本能寺の変

織田信長は49年の波乱の生涯を閉じました

 

武田氏を滅ぼしてからわずか3か月

 

 

今までのドラマでは、燃え盛る火の中、覚悟を決めた信長は

切腹…

 

そんなシーンが多かったのですが、「真田丸」では

鎧兜だけが燃えている、そういう風に見えました

 

脚本家の三谷幸喜さんは、とにかく史実により近いドラマに

と、考えられたそうです

 

鎧兜だけが、火中に尽きる

そんな風にもとれる、

すなわち、

信長は本能寺では死んでない?

という一縷(いちる)の望みを繋いでくれる、

信長ファンの私としては、うれしかった

 

それにしても、

もう少し「真田丸」の中に存在しててほしかったです

 

本能寺の変を起こした明智光秀

エッ?と思う方が演じておられましたしたね

 

岩下尚史さん

この方作家さんなのですね

おじさん? お姉さん?

 

 

話は少しさかのぼりますが

 

甲斐の名門、武田氏の命運が尽き

ひとつの時代の終焉となった時、

真田昌幸は

ちょっとズルいんやないの?

と思えるような策略を使い織田信長の家来となっています

 

そして、またもや!

信長について行こうと思った矢先の本能寺の変

 

もうどうしたらいいの、という心境だったでしょうね

 

窮地に陥った真田昌幸はまたもちょっとズルをいたします

でも、戦国の世にあってやるかやられるか

 

これは策略という正攻法だったのです、きっと

 

使者が届けた光秀の書状は昌幸はじめ小県(ちいさがた)に届けるものでした

光秀は味方に付くよう説得する内容をしたためていたのですが

 

昌幸は書状を奪い燃やしてしまい、信長の死を伏せたのでした

 

北の上杉景勝、東の北条氏政、南の徳川家康、

信長の死が伝わればいっせいに立ち上がるだろうと、

真田昌幸は不安で不安で、迷いに迷っていたのです

 

 

本能寺の変で信長もその嫡男の信忠も討たれたその頃

徳川家康は堺から京へ向かう途中でした

 

こちらにも攻めてくると考えた家康は三河に戻ろうとします

そして、光秀が一番攻めて来そうにないだろうと

「 伊賀越え 」を逃げ道に選んだのです

伊賀越えは山深く、落人狩りに会わないとも限らない

 

そんな道ですが、家康一行は

伊賀出身の「 服部半蔵 」の案内により

山中の断崖絶壁を転げ落ちるように越えたり

落ち武者狩りに会いながらも、三河へと帰ったのでした

 

徳川家康と言えば、今までのドラマでは

いつも、どんと構えたしたたかな大将という感じでしたが

 

ここでも三谷幸喜ワールドとでも言いましょうか?

 

 

 

  

 

 

こういう表情

「 内野聖陽 」さん、いい俳優さんですね

臆病者、家康を演じておられます

 

ここ数年の間に」、こんな肖像画を初めて見ました 

 

「徳川家康・肖像画」の画像検索結果

 

「三方ケ原の戦いの後の徳川家康の肖像画」

 

三方ヶ原で武田信玄と戦って敗北した直後に、

家康自らが絵師に描かせた肖像画です

生涯この肖像を手元に置いて自分への戒めへとしたそうです 


私の知らない家康さんの一面がこの後、

どんどん出てきそうな、

楽しみです


さて、迷走中の真田丸、どこへ向かうのか

いずれにしても、

 歴史は大きく変わろうとしています

 

 

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