kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

真田丸船賃六文波枕 四

2016-02-15 18:54:48 | 真田丸

 

第六回 真田丸   「迷走」

 

真田家の当主、真田昌幸はどの主君の元につこうかと未だに迷っています

 

自分自身が、天下を執ろうとは思ってなかったのでしょうか? 

 

この戦国の世をどう生き残るか

 

サバイバル

 

これだったのですね

 

真田幸隆(真田信繫の祖父)が武田氏の重臣となり、幸隆死後

 

真田昌幸(信繫の父)が後を継ぎ

 

武田家滅亡のあと、迷走が始まります

 

真田昌幸は、

 

織田信長→滝川一益(織田方)→上杉景勝→北条氏政→徳川家康→上杉景勝

 

わずかな間にこれだけ揺らいでいたとは

 

忍びの猿飛佐助を使い、相手の動向を探りながら

 

身の振り方を探していたのですね

 

『朝令暮改・ちょうれいぼかい』 なる昌幸

  

(朝に出した命令を夕方にはもう改める

命令や方針が一貫せず、すぐ変わること)

 

堅物の長男の信幸や信濃の国衆の中は

こんな昌幸に怒りを覚えたことと思います

 

何度も父とぶつかる信幸(大泉洋)

家族会議もしょっちゅう

 

でも、戦国の世では相手を欺いたり、油断させることも

ひとつの兵法だったのですね

 

機を見て仕える大将を変えていくことが

真田家のサバイバル戦術だったのです

 

一方、浜松城にいた徳川家康は協力するとは口だけで、

のらりくらりとかわしながら、生き残る道を探っていた

家康のサバイバル術はこれだったのです

 

狸おやじだわ~

 

この間、信長の人質となっていた信繫の姉の「松」を

佐助が救い出す途中

追い詰められ松は

崖から琵琶湖に身を投げ行方不明となります

 

また、祖母のとりは滝川一益の人質として沼田城へ送られます

 

万策尽きて、呆然としていた昌幸ですが信繫からこんな事を告げられます

 

『 たとえ領主が変わっても信濃の景色が変わるわけではない

いつも静かに山々はそこにある

まるで、人間のいさかいを笑っているように… 

この景色が好きです

 

信濃は日本国の真ん中ですから

 

信濃に生まれたことを誇りに思います 』

 

この言葉を聞いた昌幸は、

 

『 もう、どの大名にも就かない

信濃が有れば我々は強力な大名と対等に渡り合うことが出来る 』

 

そう言って、岩櫃(いわびつ)城と沼田城を取り返し、

信濃を守り抜くことを誓うのでした

 

先日、沼田の城下町を「ブラタモリ」で見ました

 

「河岸段丘」という地の利、

 

この沼田城を奪い返せば、真田家は地位を盤石なものと出来そうです

 

来週、題は「 奪回 」

 

取り返すことは出来るのでしょうか!

 

ところで、これはチンパンジー 

 

先日天王寺動物園で写しました

 

そして、猿飛佐助 (藤井隆)

 

 

似てる?

 

佐助の出番が増えてきました

 

忍者は素破(すっぱ)、間者、忍びのこと

地域や大名によっては特殊な呼び方を使ったようです

 

素破

 

すっぱ抜かれて困ることは、みなさん、

 

ありませんよね~

 

 

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