kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

松山千春情報三連発①

2010-05-14 03:28:32 | 松山千春

5月12日、松山千春のニューCDが、3枚同時に発売されました。

    

「ずうっと一緒」

1: ずうっと一緒

2: 決意

3: 生命の限り

4: 真夏の一日

5: 二人から

6: 奪われてゆく

7: 崩壊

8: ストリートミュージシャン

9: 今時

10: 終わり無き愛

11: 神よ

12: 小さな幸せ

       

「慕う」

1: 慕う

2: 負け犬

     

「神よ」

1: 神よ

2: 真夏の一日

          

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   そして、おまけ

    

Img_8648 カード

Img_8652 クリアファイル

春のツアーには行けなかったけど、CD聞いてます(^^♪

  

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松山千春情報三連発②

2010-05-14 03:27:51 | 松山千春

こんなことは、めったにない

ファンクラブマガジンのパズルクイズに応募しましたら、なんと!!

プレゼント、当たりました。 たった5人の中の一人に選ばれたのです(*^^)v

送られてきたのは、トレーナー。

      

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「こちはるちゃん」 のイラストの入ったフード付きトレーナー。

ちょっと大きいかな(^_^;)

それと、マジック・シールです。

こんな事は、そうないことです。おどろき! でもうれしい!

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松山千春情報三連発③

2010-05-14 03:27:12 | 松山千春

松山千春の春のコンサートのチケット、ファンクラブの抽選に漏れて

取れなくてがっかりしている私に、先日の東京でのファイナルの時に

知り合いになった方から、春のコンサート会場で買い求めたという、

「ちはるのマイボトル」 を送って来てくれました。

     

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とてもうれしいですッ!!

毎日、ペットボトルにお茶を詰めて仕事に行く私にはピッタリのプレゼントです。

ありがとう~、大事に使いますね(^^♪

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織田信長も使ったサウナの遺跡を訪ねて

2010-05-14 01:44:05 | 散策

信長の使ったお風呂」 と思われる遺跡を見に行きたい…、

     

と、思っていたのですが、11日、近くに行く用事がありまして捜しに行ってきました。

区域は工事中でした。残念ながら見ることはできませんでしたが

その付近から少し北に石碑が3つありました。

     

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両替町通り御池上がったところの↑ 「龍池小学校」、門の前に、

     

「此附近 二條殿址」

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この地は、平安時代中期には陽明門院禎子内親王の邸宅、

その後、藤原家の邸宅、

鎌倉時代には、後鳥羽上皇の邸宅、

承久の乱後、代々二条家の邸宅として室町時代まで存続し、「二條殿」

と呼ばれていました。

「二條殿」 は泉と池(龍躍池)を中心とした庭園が有名で「洛中洛外図屏風」にも

描かれています。

      

その後、

天正四年(1576)に、「織田信長」 が当地に京都における御座所(二条御新造)

を造営しました。

    

天正七年(1579)に、信長はここを誠仁(さねひと)親王に進上し、

このことから、御所の上御所に対し「下御所」 と呼ばれました。

    

天正十年(1582) 「本能寺の変」 の際に信長の長子、「信忠」 はここで討ち死にし、

下御所は焼失しました。

    

そして、江戸時代、この地には新しく開かれた「両替町通」 に沿って、

「金座」 「銀座」 「朱座」 が置かれました。

    

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この辺りは、高校時代の友達たちが住んでいた所で、

何度か通っていたものの、興味が無かったからか、一向に気付きませんでした (^_^;)

また、この辺を掘り返せばきっと、なんらかの遺跡が出るのだろうなあ~ (@_@)

     

    

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シラン

2010-05-10 19:07:46 | 庭にて

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冬の間、「シラン」 と 「スズラン」 は、影も形もありませんでしたが、

次第に芽を出し、葉を広げ、つぼみを付けたかと思ったら…、 \(^o^)/

少しピンクがかった部分があありますが、去年もそうだったかな~?忘れました((+_+))

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てっせん

2010-05-10 18:52:28 | 庭にて

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4月28日、てっせんのつぼみがだいぶ膨らんできました。そして、

       

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今、大きく咲いています。もう一種、

    

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こちらは、小ぶりの花です。

どこかのツルが切れたのか、一部枯れてしまいました。 (T_T)

    

次の時は、あんどんの支柱をもっとしっかり、背も高くしようかと思っています。 (^^♪

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こでまり

2010-05-10 18:35:59 | 庭にて

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こでまりが咲き始めたころ、そして、

     

Img_8614_2

     

それから、12日間経ちましたが、まだこんな感じです。

違いは中心の色が濃くなったことと、さすがに、花に触れますと、

花びらがチラホラ、落ち始めました。

でも、長い間咲いてくれています (^^♪

    

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信長の使ったお風呂

2010-05-07 14:56:19 | 京都

先日、織田信長に関する浴室と考えられる遺構が見つかりました。

京都考古資料館で5月1日~16日、

「二条殿御池城跡の風呂」 の 速報展示 が行われています。

        

1日に見てきました。

パネルと遺構のほんの一部が展示されていました。

     

Img_8428 風呂屋形のイメージ図(蒸し風呂形態)

      

      

この浴室遺構は、2基の竈(かまど)、

井戸、土間からなります。

2基の竈は焚口を北に向けて東西に

並んでいます。

竈の内部は火床にしたと思われる炭で覆われていました。

また竈の両側は、灰混じりの非常に固く叩き締めた土間になっていました。

北西には、円形の井戸が検出されています。

       

Img_8430 考古資料館の天井のライトが

反射してしまい見にくいのですが、

竈の内部が火床の炭で覆われ、

黒くなっています。

かなり、リアルだなあと思いながら

見ました。

        

Img_8434 竈に使用されていた石材

Img_8431 鉄釜破片

      

この浴室遺構は、16世紀後半に成立し17世紀前半に埋められたと

考えられます。

これは、織田信長の活躍した時代に該当します。

今回見つかった浴室遺構は、屋敷地の南端に位置して、主要な建物から

離れた独立した施設であったと考えられます。

この調査地の北側では、2001年度に庭園遺構が見つかっています。

そうしたことから、この浴室は日常的に使ったものでなく、

庭を望みながら入浴する、というもてなしのための施設だった可能性が

高いとされます。

     

遺構の所在地ですが、現在の、

京都市中京区両替町通姉小路上る龍池町    

ここは、    

平安時代より、代々、公家、貴族の邸宅や御所などのあったところで、

「洛中洛外図屏風」 に、二条殿の泉と池の様子が描かれていますが、

二条家の邸宅だった所です。

その後、天正4年(1576) 織田信長が京都における御座所(二条御新造)

を造営しました。

     

資料館といっしょに、実際に有った所にも行きたかったのですが、

ザンネン、時間切れとなりました。 また今度…。

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阪急長岡天神駅

2010-05-04 10:23:53 | 京都

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阪急長岡天神駅です。

天神さん近くの駅は、さすが!

構内にいっぱいのつつじが植えられていました。

電車をもう少し大きく写したかったなあ~

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珍百景?

2010-05-04 10:02:38 | 散策

JR長岡天神駅近くで、こんな風景を見ました。

珍百景に認定してもらえるでしょうか?

            

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道路をはさんで、斜向かいに建っていました。

両方あわせて、 「松山千春」 と思うのは私くらいのもんでしようか?

失礼いたしました m(__)m

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