「一条戻り橋」 という橋が、京都の町中の堀川に架かっています。
「堀川」は「二条城」の東側を南北に流れる川で、また、
近くには「晴明神社」 があります。
6m程の何の変哲もない小さな橋ですが、実は奇怪な伝説を秘めています。
☆ 「撰集抄」 より
平安時代の中頃、文章博士「三善清行」 が亡くなった時、その子「源蔵」 が
熊野から急ぎ帰ってみると父の葬列はこの橋の上にありました。
その時、「源蔵」 の声を聞いて父は生き返ったということです。
以来、「戻り橋」 と名付けられ、お嫁入りの時は離婚しないようにと
ここを通らないようにします。
逆に、戦争中、出征をする兵士は、無事を祈り敢えてここを通って行ったのです。
☆ 「平家物語」 より
源頼光の「四天王」の一人である、「渡辺綱」 が馬に乗って橋を通りがかった時
美しい女性に送ってほしいと頼まれ、馬に乗せると突然、鬼に化けて、
「渡辺綱」は殺されそうになりました。
そこで、鬼の腕を刀で切り落とし退散させました。
この腕を持って、「安倍晴明」 に相談したところ、鬼を呼び完全に封じ込めたとか。
晴明神社の境内にある「一條戻り橋」 これは、大正11年から平成7年まで、
堀川に架かっていたものです。左に居ますのは、「安倍晴明」 が操ったと言われる、
「式神」 の石像です。
☆ 「源平盛衰記」 より
「安倍晴明」 は戻り橋のたもとで易占いをしていたとか、
晴明は「十二神将」 を操って呪術を駆使するのですが妻が「式神」の顔を
恐れるので、戻り橋の下に「十二神将」 を封じ込めておいたといいます。
そして、必要な時に呼び起こし、吉凶を占うと「式神」 が人の口に移り
善悪を示したと書かれています。
戻り橋の架かる「一条通」は、 平安京では最北の道。
ここで、京の都の「内」 と 「外」 に分かれます。
「内」と「外」は 「この世」 と 「あの世」 にも通じ、そんなことから、
この一条通界隈には、奇々怪々な伝説がたくさんある様です。ゲゲゲ…(*_*;