kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

信長の使ったお風呂

2010-05-07 14:56:19 | 京都

先日、織田信長に関する浴室と考えられる遺構が見つかりました。

京都考古資料館で5月1日~16日、

「二条殿御池城跡の風呂」 の 速報展示 が行われています。

        

1日に見てきました。

パネルと遺構のほんの一部が展示されていました。

     

Img_8428 風呂屋形のイメージ図(蒸し風呂形態)

      

      

この浴室遺構は、2基の竈(かまど)、

井戸、土間からなります。

2基の竈は焚口を北に向けて東西に

並んでいます。

竈の内部は火床にしたと思われる炭で覆われていました。

また竈の両側は、灰混じりの非常に固く叩き締めた土間になっていました。

北西には、円形の井戸が検出されています。

       

Img_8430 考古資料館の天井のライトが

反射してしまい見にくいのですが、

竈の内部が火床の炭で覆われ、

黒くなっています。

かなり、リアルだなあと思いながら

見ました。

        

Img_8434 竈に使用されていた石材

Img_8431 鉄釜破片

      

この浴室遺構は、16世紀後半に成立し17世紀前半に埋められたと

考えられます。

これは、織田信長の活躍した時代に該当します。

今回見つかった浴室遺構は、屋敷地の南端に位置して、主要な建物から

離れた独立した施設であったと考えられます。

この調査地の北側では、2001年度に庭園遺構が見つかっています。

そうしたことから、この浴室は日常的に使ったものでなく、

庭を望みながら入浴する、というもてなしのための施設だった可能性が

高いとされます。

     

遺構の所在地ですが、現在の、

京都市中京区両替町通姉小路上る龍池町    

ここは、    

平安時代より、代々、公家、貴族の邸宅や御所などのあったところで、

「洛中洛外図屏風」 に、二条殿の泉と池の様子が描かれていますが、

二条家の邸宅だった所です。

その後、天正4年(1576) 織田信長が京都における御座所(二条御新造)

を造営しました。

     

資料館といっしょに、実際に有った所にも行きたかったのですが、

ザンネン、時間切れとなりました。 また今度…。

コメント (4)