kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

龍馬点⑱

2010-05-18 13:33:12 | 龍馬点

4月23日以来の「龍馬点」 を書きました (^_^;)

    

今日も始めに 「TV視聴率ランキング」(関西地区)を。

     

4月19日~25日

1位: 探偵!ナイトスクープ 22.4%

2位: 龍馬伝 21.1%

3位: 報道ステーション(21日) 20.3%

       

4月25日~5月2日

1位: 秘密のケンミンショー 21.0%

「龍馬伝」 は残念ながら、16位  18.7% でした (T_T)

      

5月3日~9日

1位: 探偵!ナイトスクープ 23.1%

「龍馬伝」 は 7位 18.7%  でした。

         

さて、今回は「土佐藩主」 について、ほんの少し。

   

土佐藩初代当主といえば「山内一豊」 

NHK大河ドラマ「功名が辻」 で描かれ、また昔から「内助の功」 

という言葉を生んだ事で有名ですが。

      

この時は、「山内さん御夫婦は良い人」 の印象でしたよね。

     

    

Img_0002

Img

        

(三年ほど前に高知に行った時の、「土佐山内家宝物資料館」の入館券が残ってました。

かなりの点数の宝物が展示されていました。

さすが、いい物使ってたなあ~って言ったりして。

     

Img_2 旧山内家下屋敷長屋

     

また近くにあった、↑この建物は、「山内容堂」の 下屋敷跡に残る本格的な武家長屋。

下層武士のために建てられたもので、二階建で南北に長い入母屋造りの建物

国の重要文化財。

自由に入れて見てきましたが、幾つかの小部屋がズラッと並んでいました。

部屋の中まで入れ二階にも上がって来ましたが、暗かったです。

    

隣の方に「三翠園」 という立派な旅館がありまして、その関係者らしき方が、

武家長屋に入るのを躊躇している私に、『どうぞ、どうぞ!』 と言って下さいました(^^♪

山内家と関係あるのかなと思ったら、旅館の敷地も下屋敷跡でした。

      

     

土佐藩は、戦国時代末期、長宗我部氏が藩主でした。

慶長五年(1600) 関ヶ原の合戦のあと、それまで遠江掛川城主であった、

「山内一豊」が徳川家康より、土佐藩九万八千石を与えられ藩主となります。

(長宗我部氏は、改易されています)

    

関ヶ原の合戦以来、土佐では山内家の侍は「上士」 それ以外は「下士」と呼び、

侍の中でも厳しい身分制度をつくり差別が、まかり通っていたのです。

長宗我部家の侍は在郷武士であり、「郷士」 と呼ばれ、これは

「下士の中の上位」 にあたります。

    

こうした、差別階級の不公平、不合理が土佐藩の中で沸々と湧きあがり、

幕末の「土佐勤王党」 を生むなどの原動力となったのでしょうか。

     

「龍馬伝」 に登場する「第15代土佐藩主・山内容堂(豊信・とよしげ)」

近藤正臣さんが演じておられますが…、

まあ、なんて嫌な奴。 という感じにしてありますが…。

傲慢な感じで、昼間っからお酒ばかり飲んで、(無類のお酒好きだったとか)

でも、詩を読む文化人でもあり自らを「鯨海酔侯」 といい、強烈な個性の持ち主だったようです。

     

「山内容堂」 はペリー来航を機に頭角を現しました。

それはこの時、老中阿部正弘が、アメリカ大統領親書の内容を、

全国の諸大名に公開するという前代未聞の挙に出たのですが、

これがみんなの心に火を付け、日本の行く末を論じ始めるきっかけとなりました。

    

容堂は海防、流通、軍備などに関する藩政改革を推進したのです。

しかし幕府には保守派と改革派の対立が激しくなり、将軍継嗣問題にも

波及することになり容堂も関わってきます。

容堂は「井伊直弼」 の 「安政の大獄」 で隠居謹慎を命じられ

名を「豊信」から「容堂」としました。

のちに容堂のお気に入りだった配下「吉田東洋」の暗殺に関わったとして

「土佐勤王党」の武市半平太らを弾圧します。

「龍馬伝」 では今、平井収二郎は切腹、武市半平太もどうなることやら

大変な事になっていますよね。

   

徳川最後の将軍「慶喜」 就任後も尊攘派の動きは激しくなる一方で

「龍馬」と「後藤象二郎」 の建議を受け入れ、「大政奉還」を「慶喜」に

建白し、徳川幕府の保護に努めました。

  

明治維新後、「内国事務総裁」に就任しますが、相変わらずの豪快な行動で、

積年の飲酒が元で46歳で亡くなっています。

     

   

時折、桂浜にヌタリヌタリとやって来る鯨、

ひょっとしたら「土佐恋し…」と容堂公が、黄泉の国からお里帰りかも…、

桂浜では、遥かニューヨークを見やる龍馬さんと月見酒でも酌み交わしながら、

話してるかも…、 

     

    

『今の日本も もう一度 せんたくしやーせんといかんちやね』  

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