田端大龍寺に眠る子規の墓前に初めて詣でました。中央の子規の墓標は当初は「正岡常規墓」と墨した木だったそうですが後で墓石となり、日本新聞社をおこした陸羯南(くがかつなん)の筆を刻してあります。
右には母親の、左側には正岡一族のお墓です。終生兄の子規を看護した妹、律さんは左側に葬られています。
おもいおもいに全員が墓前に合掌しました。私も清水を柄杓に汲んで墓石にお掛けし、病床を顧みず近代俳句の道をひらかれたご労苦に感謝しました。なかなか上達しない技量への加護もお願いしました。お母さんと律さんの墓前にもかがみ込みました。
『正岡常規又ノ名ハ處之助 又ノ名ハ升 又ノ名ハ子規 又ノ名ハ獺祭書屋主人 又ノ名ハ竹ノ里人
伊豫松山ニ生レ東京根岸ニ住ス 父隼太松山藩御馬廻加番ナリ 卒ス母大原氏ニ養ハル
日本新聞社員タリ
明治三十()年()月()日没ス 享年三十() 月給四十圓』
墓碑には子規生前の本人の文が刻まれていました。