「月と日のかしこみなくばよりよりの人見の関は越えられべけれ」という歌があります。どんなに人が目を光らせていようと、人見の関はどこかくぐって越えられるけれども、昼夜交代で見ておられるお日さまとお月さまの目はくぐり抜けられない、という意味でしょう。
神仏がすべてご照覧だと本当に分かったら、だれが見ていようがいまいが、百パーセント正直一本やりでいくしかありません。人の信念というのは、「自分にはぜったいにごまかしがない」という、その自信から生まれてくるものだといえましょう。
拝む心こそ、拝まれるに値する心だといいます。人を拝む謙虚さ、神仏に合掌してその願いをわが願いとさせていただきたいと祈る姿ほど、美しい姿はありません。『懺悔経』と呼ばれる『仏説観普賢菩薩行法経』に、「深く因果を信じ、一実の道を信じ、仏は滅したまわずと知るべし」という言葉があります。
因果の道理を深く信じ、現象の奥にある実相を信じて、仏さまはいつも自分と一緒におられて、滅しられることはないのだと知ると、神仏の前に自分をさらけださずにいられなくなります。それでこそ、だれからも信頼される信仰者となるのです。
庭野日敬著『開祖随感』より