『組織を預かる長にとって、いつも満場一致で事が運ぶほどうれしいことはありませんが、それに慣れると、違った意見に耳を貸すことができなくなってしまいます。
「あえて事を構えることはない」という空気が大勢を占めてその場の流れで事が決まり、あとで「なんであんな決定をしたのか」と悔やんでも取り返しがつかない、といったことが起こりかねないのです。
名君の誉れ高い土佐藩主山内容堂は、初め忍堂と号していたのを「忍ぶでは藩主として器が小さすぎる」という進言を入れて容堂と改めたことは前にもお話ししましたが、耳に痛い言葉であってもそれを受け入れる器量を具えないと、どんな会議も、だんだん発言が少なくなってしまいます。
私は世界宗教者平和会議などの会議でも、みなさんの発言を真剣に聞かせてもらいます。すると、問題のかなめのところが「これだな」とつかめてきます。そこで、自分の考えを話させてもらうのです。そうして得られた結論だと、反対の人の意見も頭に残っていますから、事を進めるときに、そのことにも注意を払う。器がもうひとつ広がると反対意見にも耳を傾けて注意深く事を進める大きさが具わってくるのですね。』
庭野日敬著『開祖随感』より