『「菜根譚(さいこんたん)」という書があります。中国の古い時代の書で、すぐれた処世哲学が説かれているのですが、その中に、「耳には耳の痛いことばかり。
胸には無念なことばかり。それがわが玉を磨く砥石(といし)となる」という言葉があります。その言葉を、会社に入社した青年時代から五十年間、つらいことがあるたびにかみしめ直してきた、という経営者の方がおられました。
「毎日、もう嫌なことばかりだ」と腹を立てて過ごすか、耳に痛い言葉も自分を励ます言葉としてかみしめていくかで、その人の人生が、まるで違ったものになってしまうのではないでしょうか。
うれしくなるような言葉は、めったに聞けるものではありません。躍り上がるような喜びは、そうあるものではありません。入社したばかりの新人時代は、つらいことやくやしいことばかりのように思えても、それを素直な心で受け止めると、その一つ一つが貴重な教えになっていくのです。
自分を磨いてくれるお師匠さんが、まわりにたくさんいるのですが、それを善き師、善き教えにしていけるかどうかの決め手は、やはり素直な心になれるかどうかにあると思うのです。』
庭野日敬著『開祖随感』より
☆いやな苦が自分を救う契機となるのです。釈尊は私たちを見捨てることはありません。