四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

兄への懴悔

2020-03-08 17:56:30 | 生かされて今日

 

 六つ上の兄は進学せず銀行に勤めました。残業帰りに交通事故で重傷を負い、父と同じように五十で早世しました。
『ジャンクリストフ』を読み、油絵を描き、軟式テニス部員、親友に薩摩藩学者の末裔で豪傑もいて豊かな青春の兄でした。
同居していた祖父は東京で腕を磨き故郷、鹿児島で証券会社を経営していました。父は地元企業の経営者で、祖父の会社に名義だけを貸していたようです。
その証券会社が社員の使い込みで倒産、父はその借財で家を売り払いました。
 恐らく兄は父母らの窮状を忖度し進学を断念、地元銀行に就職したようでした。
兄の二人の友は大学へ進学、大学と高校の教師となりました。
窮屈で堅い仕事の銀行は兄にはきっと居心地がいいところではなかったでしょう。
計数に明るい父は別の会社の役員となりバリバリ働いていましたが、癌で急逝、私は高校二年でした。会社差し回しの車で学校から病院へ。何ら事情が分からないまま、長い病院の廊下で祖母が私を見て泣き崩れたので事情を察することができました。
 私はさも当然のごとくに上京、進学しました。父の縁で県ゆかりの岩崎学生寮(世田谷区烏山)に入寮、まさに親の遺産で進学できたのでした。
 受験期を迎えると親の恩は勿論だが、身を投げ出してくれた兄の恩義、しかも生前一言も感謝を伝えなかったことが悔やまれてなりません。
 『小罪なれども懴悔せざれば悪道を免れず。大逆なれども懴悔すれば罪きえぬ。』と日蓮聖人のお言葉があります。
老境になりようやく兄への忘恩に気づく有様を恥ずかしいと思っております。

 受験期や兄への詫びの経を読む  

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