翁の俳句(発句(ほっく))は約千句しかありません。一方、老境から俳句に励まれた与謝蕪村でも約3千句、小林一茶は2万句前後が残されました。
翁が主として活躍されたのは「連句の席」です。今の句会のような個人単独の創作ではありませんでした。
同座する複数の作者による共同創作の詩で、一巻全体の詩づくりを目的とする集団の文芸です。
そして何番目には桜を、何句目には恋を詠むといったルールがあります。翁はメンバーの連句が付き過ぎぬよう、全体の構成取りまとめを指導されました。したがって発句(連句の最初に詠う)の役ばかりではなかったのです。
残された約千の俳句は時代を拓く群を抜く出来栄えですが、「俳文」がまた名文揃いです。貧乏を楽しむ品ある友人たちとの細やかな情が滲んでおります。侘び寂びを愛した仲間たちを知れば、翁の新しい芸術の創造に腸(はらわた)を絞られた志に敬服します。
『ところどころ見めぐりて、洛に暫く旅寝せしほど、みのの国よりたびたび消息あつて、桑門己百(きはく)のぬしみちしるべせむとて、とぶらひ来はべりて、
しるべして見せばやみのの田植歌 己百
笠あらためむ不破のさみだれ ばせを
その草庵に日ごろありて
やどりせむあかざの杖になる日まで』
己百の家の心遣いを褒めてもっと長居したいと。あかざが夏の季語です。私は「あかざ俳句会」のメンバーです。 以 上