四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

子規庵から子規のお墓へ(その2)

2012-10-16 14:19:01 | 生かされて今日

 子規存命の頃は音無川が流れていたそうですが、今は暗渠でわずかに消防署の名前に残るばかり。その川沿いに羽二重団子の老舗があり看板が栄光を語りかけてきます。なんせ、子規の書には無論のこと漱石の『吾輩は猫である』、司馬遼太郎の『坂の上の雲』にも書かれているんですよ。他にも泉鏡花や田山花袋、久保田万太郎の書物に書かれている有名店です。凄いなぁ。

残念ながら当然みんな味も知っているものとされて、なんにも知らぬ私には店内を覗く時間もなくて惜しいことをしました。

文士には甘党が多いのでしょうか。

横浜住まいの私に日暮里は成田空港への電車乗換駅で、今まで街に降り立ったことはありませんでした。ビルやマンションが無秩序に伸びて潤いには遠い駅前です。かっては駄菓子屋街が有名だったそうで、ガイドの奥村さんは親切で菓子詰め合わせ2袋を皆に提供してくれました。卜部兼好さんは物くるる人は善友だと言っています。

子規の死後3日めの葬送への参列者は150人余、あの小さな子規庵にはぎゅうぎゅう詰めだったそうです。相当な人数が34歳の文士の棺について田端大龍寺へ歩いたのですね。新聞に報道されても電話のなき時代によくまぁ縁者に連絡がとれたものだ。それだけ社会への影響力が大きい人物だったのです。


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