四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

鹿児島への旅 6.

2008-09-18 10:42:07 | 生かされて今日
 母校天保山中学の近くに欄干も立派な天保山橋があります。甲突川にかかる石橋で当時は最も河口側にありました。常夜灯を模しています。橋巾はもっと狭く、現在は広広とした幹線道路となっていました。
 メジロ取りやゴカイを掘った幼なじみの家は、道も家並みも面影もなく場所さえ想像も出来ません。 六月灯(ろっがっどう)と云う夏祭りでは提灯が揺れ、屋台のカーバイトのにおいにむせた浴衣姿の行き交う下荒田の川も暗渠になり車道になっているようです。
 中学1年生の授業中、轟音がして桜島南岳の噴火が始まり今だ50年以上噴煙を吹き上げ続けています。一階窓側席の悪ガキ君は驚いて窓から飛び降りてしまいました。彼は近くにあったNHKの75メートルの鉄搭によじ登りアブラを絞られた勲章を持つ。どうしているかなぁ。英語の高野先生には指揮棒の如き竹のムチでよく叩かれました。ハンサムな先生も鬼籍に入られたそうです。

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3 コメント

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Unknown (南風)
2008-09-18 21:45:51
昨日一昨日と見そびれておりましたら私の鹿児島?(爆)否、駿さんの鹿児島?シリーズじゃありせんか!(土)のTBSラジオ「土曜○○」は城山観光ホテルからでした。その番組で永六輔さんが話しておりました。帝国ホテルには昔、薩摩藩の上屋敷があった場所だと。当時の薩摩は全てにおいて偉大だったと改めて思う事でした。
今の世の中、当時の偉人達はどんな風に思うのでしょうか。世界的に不況の波に飲まれそうな昨今、当時のような「ぼっけもん」が現れないものでしょうかね。

市電の芝生、綺麗でしたよね!ホント、夜中ゴルフパターでも振る輩が出てきそうですね(笑)

天保山のNHK北埠頭へ、県庁が与次郎ヶ浜へと・・
もし市役所まで移転したら想いでだけの鹿児島になりそうで・・進化して欲しいけど微妙ですね(笑)

上荒田も懐かしい、騎車場電停前には古い映画館あり、マーケットに並ぶお惣菜を小腹が空けば摘み、下宿屋営む叔母宅へよく遊びに行ったものでした。
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?? (南風)
2008-09-18 21:51:35
駿はだませんね(笑)
騎車場→騎射場でした。確か・・。
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何度もすみません。 (南風)
2008-09-18 21:54:40
だませんね・・では違い「騙せませんね」でした。
何度もミスってゲンネこっです。
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