子どもの時から大好物の、母の手作り焼餃子。
焼きたてを一つだけつまみ食いのつもりが、あと一つだけ、もう一つだけ…。
アカン。
止まらへん…。
砂糖を使用せず、ミルクの甘味だけで仕上げたこの缶コーヒーも、
今けっこうお気に入り。
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環七を渡ると、貝塚があったと云う清水坂をJR東北本線に沿って下り↑、その先で池袋からやって来たJR埼京線のガードを潜ると、東京都北区赤羽西に。
古くは“稲付(いねつけ)”といったこの辺りは現在、車や人の通行量が多いこともあって道路拡幅工事の真っ最中、それまでの旧街道らしい風情は今、失われようとしています…。
しばらく行くと、旧道はJR赤羽駅の西口ロータリーへと差し掛かります。
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緩やかな坂をしばらく上った先、中十条1丁目のY字路↑を右に入るのが日光御成道。
ここまで来てようやく、道幅の狭い、いかにも旧道らしい道に。
歩道の狭いのが難点なこのエリア、しばらく行くと左側の道沿いに地区の備蓄庫があり、その表札にはこの道が旧街道であることをハッキリと示す、日光御成道の別称「岩槻街道」の文字が。
富士山信仰の象徴である富士塚―「十条富士塚」―を過ぎ、環七との交差点に差し . . . 本文を読む
“コツ通り”を通って荒川区南千住7-16で国道4号線に合流、左手に素盞雄神社を見て過ぎると、隅田川に架かる千住大橋が(上段写真)。
千住大橋が架けられたのは江戸幕府が開かれる以前の文禄3年(1594年)と古く、隅田川に架けられた橋の第一号であると同時に、東北へ向かう道に架かる、唯一の橋でもありました。
上段写真の橋は昭和2年12月の竣工で、そのすぐ右には、昭和47年12月竣工の新橋が架かってい . . . 本文を読む
言問橋西信号の分岐点で、現在は“都道464号線 吉野通り”となっている左手の道に進路を取り、今は埋め立てられて遊歩道となっているかつての山谷掘をその約10分後に越え、さらに行くと簡易宿泊所が並ぶ清川一、二丁目となり、薄汚れた風態の人が目に付くゆえ足早に通り過ぎたところで、泪(なみだ)橋の交差点に(上段写真)。
江戸時代、すぐ先の小塚原刑場へ送られる罪人が、ここに架かっていた橋で涙を流したことから . . . 本文を読む