迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

“神國”無殘。

2024-01-24 19:10:00 | 浮世見聞記


橫濱市西區みなとみらいの神奈川大學みなとみらいキャンパスにて、冩真展示「『神国』の残影」を觀る。



戰前戰中の大日本帝國が占領した支那や朝鮮、東南亞細亞の大陸に創建された數多の“海外神社”は、移住したニッポン人たちの心の拠り所となると同時に、ここがニッポン領であることを視覺的に示す役割も果たしてゐた。

しかし敗戰後はそのほとんどが破壊、または爆破されて姿を消し、現在では現地にその殘骸や遺構がわずかに殘る一方、辛うじて破壊を免れた社殿は當地で文化財に指定されるなどして──但し御神体は引き揚げられてゐる──、海外における大日本帝國の虚しき痕跡を現在に傳へてゐる。


(※案内チラシより)

ほとんどが破却されたために記録が殘らず、現在では不明點が多いと云ふこれら“海外神社”跡の現在の姿を、日本人冩真家がひとつひとつ訪ね歩き、時には分け入り冩真に記録したもので、


(※ 同)

“海外神社”の存在は満映女優だった李香蘭(山口淑子)の自傳でわずかばかり知ってゐたが、その顛末についてはほぼ何も知らず、神社佛閣と見れば喜んで手を合はせたがるアリガタ屋の私には、ぜひ見ておきたい、知っておきたい内容であった。


(※ 同)

鳥居や石灯籠が斷片となって草叢に埋もれ、或ひは社殿の遺構が浮浪者の棲家となり、または後年に別な用途に転用されて作り変へさせられ──

大日本帝國の敗戰は、なによりも軍人たちが祭り上げた“神”そのものの敗北であったことを、これら老朽し果てた殘留物たちは、無言のうちに語る。



次に立ち寄った橫濱市立中央図書館内の橫濱市史資料室では、昨年十二月の回に續いて「横浜の女性と洋装」展を覗き、


私も手猿樂の装束でお世話になってゐるテトロンは、昭和三十二年(1957年)に東洋レーヨンと帝國人造絹糸(現 帝人株式会社)が、ポリエステルを原料に開發した國産の合成繊維であることを知ったのが、いちばんの収穫。



今回は久しぶりに橫濱驛の東口からみなとみらいに出てみたが、こちら側へはしばらく行かないうちに、まわりがすっかりガラス板だらけに様變りしてゐることに驚かされる。



その寒々としたガラス群を見上げながら、もし能州のやうな大地震が發生したら、これらがみんな割れて、或ひは剥がれて、こちらに落ちて来るのではないか……、と怖くなった。








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