神奈川県立青少年センターにて、人形浄瑠璃「文楽」公演の昼の部を観る。
性悪台風の翌日で、ところによっては催しの中止もあるなか、紅葉坂のホールは予定通りに機能した。
昼の部の演目は「生写朝顔話」。
東海道の嶋田(島田)宿や大井川など、私が旧東海道探訪で通った場所が舞台となってゐる作品であり、それに因んだ人形劇を観るくらゐの気持ちで出かける。
ところが、序幕に出て来た太夫が木挽町の義太夫語りのやうな薄っぺらなしろもの、木挽町が昨日今日と珍しく休演措置をとってシゴトにあぶれたので、まさかアルバイトで文樂にモグリ込んだのだらうか……?
と、その不審はさておき、“笑い薬の段”で医者萩の祐仙を遣った桐竹勘十郎に、大阪時代にこの人形遣ひの襲名披露を日本橋へ観に行ったことを思ひ出し、また今度こそちゃんとした太夫の語りを聴いてゐるうち、国立劇場で“義太夫ことば”に悪戦苦闘した日々が、懐かしく脳裏に甦る。
そのちゃうど同じ時代に、大阪で文樂太夫の勉強をしてゐた青年が、いまや貫録をつけた姿で床に登場し、“大井川の段”を熱く語る。
あの当時の仲間はほとんど脱落したらしく、言わば“生き残り”のやうな彼に、なにやら我が事のやうな嬉しさを覺える。
それはやがて、
人形であるはずの朝顔が、
狂おしいまでにひとりの男を想ひ続ける、
いじらしいまでの“女性”へと昇華する。
その言霊に、
私は彼の修業の足跡を見る。
今日は久しぶりに、いいものを観た。
出かけて、佳かった!