迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊──東海道52 馬入の渡し(馬入橋)→藤沢宿

2019-10-14 06:56:00 | 旧東海道
平塚の中心街を抜けると、馬入本町5あたりで国道1号に合流し、馬入橋を通って馬入川(相模川)を渡ります。



かつては「馬入の渡し」という舟渡しがあったところで、隣を行く東海道線の鉄橋下を見ると、関東大震災で崩壊した旧橋脚が、



現在も瓦礫となって残っているのがわかります。

一方、この関東大震災によって中世の橋脚が土中から出現するといった例もあり、それが馬入橋から三十分ほど歩いた茅ヶ崎市下町屋一丁目、小出川のほとりに史跡として整備されている、「旧相模川橋脚」です。



敷地内の案内板には、水田から太い棒杭状のものが突き出ている発見当時の古い写真が紹介されており、



その奇異な光景に地元の人々の驚いた顔が目に浮かぶようです。

ちなみに現在見られる橋脚は複製で、実物はそれぞれ複製物の真下に保存されており、つまり再び土中で眠りについたわけです。

発見された十本の橋脚から、中世の相模川はここを流れていたと考えられ、また橋は当時としてもかなり大きなものだったようです。

それは源頼朝が相模川の橋供養(落成式)の帰りに命もろとも馬から落ちたと云う、その時の橋とも考えられるそうで、これはなかなかワケありの、歴史的価値の大きい遺跡と言えるでしょう。

川の流れが時代の流れによって大きく変化することは、護岸工事の技術が進歩した現代ですらほんの少し昔まで実際にあったことで、史跡の横を流れる小出川が、



中世の相模川の名残なのかとちょっと感慨に浸ってから、歩を先へと進めます。


このあたりは昔の道筋のまま拡幅したため、国道にしては曲線が多く、



現在ではその風情もない「南湖の左富士」よりなだらかな十間坂を経て、JR線の茅ヶ崎駅前あたりまで来ると、歩道には往年の松並木がところどころ遺されています。

そして茅ヶ崎駅前から伸びる道を地下道で潜り抜けた先の交差点右角には、茅ヶ崎市内に唯一遺る一里塚があり、



ここを過ぎて藤沢市羽鳥で県道に分岐するまでの約五十分、



延々と国道1号線の現道を歩いて行きます。


そして大山道の道標と鳥居を左手の道路越しに見て県道へ分かれると、ゆるやかに蛇行する道を藤沢宿に向かって、徐々に下って行きます。



途中、引地橋を渡ってすぐ左へ曲がる道が旧道で、さらに右へ折れると再び県道に合流し、十分ほど行った小田急江ノ島線「藤沢本町」駅の手前が、藤沢宿の京側の見附跡。


これより坂を下って、



平塚宿より三里半(13.7㎞)の、藤沢宿へと入って行きます。



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