古河宿の“古河”は、かつては“小川”と書きましたが、康正元年(1455年)に鎌倉より移った足利成氏(古河公方)によって、現在の表記に改められました。
宿場から約2㎞南方にある古河総合公園が、古河公方・足利成氏の居城跡で、滝沢馬琴の戯作「南総里見八犬伝」の“芳流閣”の舞台としても有名です。
歌舞伎版のこのシーンは屋根上の大立廻りがウリで、私もかつて博多座公演と松竹座公演の二度、黒衣後見をつとめた思い出があります。
これは余談ですが、犬塚信乃役は役が役者を選ぶ、なかなか厄介な役であると、当時黒衣の視点からつくづく思ったものです。
さて旧宿場エリアのうち、JR宇都宮線「古河駅」の表通りに当たる界隈は、道幅が拡張されているなど、当時の面影はありません。
上段写真の右手の白い建物、現在の「足利銀行古河支店」が、かつて本陣があった場所。
その先の大手町1丁目で左へ鈎の手に曲がると、徳川政権も末期の文久元年(1861年)、宿場の商人たちが建立した常夜灯形式の珍しい道標が左手にあり、
そのすぐ先で右へ鈎の手に再び曲がると、現在は裏通りに当たる横山町、
旧宿場町の面影は、こちらの方に色濃く遺されています。
宿場から約2㎞南方にある古河総合公園が、古河公方・足利成氏の居城跡で、滝沢馬琴の戯作「南総里見八犬伝」の“芳流閣”の舞台としても有名です。
歌舞伎版のこのシーンは屋根上の大立廻りがウリで、私もかつて博多座公演と松竹座公演の二度、黒衣後見をつとめた思い出があります。
これは余談ですが、犬塚信乃役は役が役者を選ぶ、なかなか厄介な役であると、当時黒衣の視点からつくづく思ったものです。
さて旧宿場エリアのうち、JR宇都宮線「古河駅」の表通りに当たる界隈は、道幅が拡張されているなど、当時の面影はありません。
上段写真の右手の白い建物、現在の「足利銀行古河支店」が、かつて本陣があった場所。
その先の大手町1丁目で左へ鈎の手に曲がると、徳川政権も末期の文久元年(1861年)、宿場の商人たちが建立した常夜灯形式の珍しい道標が左手にあり、
そのすぐ先で右へ鈎の手に再び曲がると、現在は裏通りに当たる横山町、
旧宿場町の面影は、こちらの方に色濃く遺されています。