天和7年(1621年)に古河城主・永井信濃守によって定められた次の中田宿は、かつて利根川を渡ってすぐの場所にありましたが、前述の通りの訳で、現在その地点も上段写真の通り、ただの河川敷に。
利根川橋を渡って茨城県古河市に入ると、日光道中はすぐに左折して国道4号線から離れ、県道228号線となって次の古河宿を目指します。
約1.5㌔先、24分後にJR宇都宮線の「中田踏切」を渡ると、線路の西側に沿って北上。
大堤地区の雑木林を右手に見ながら過ぎ、その先の原地区の交差点から、今度は県道261号線に。
程なく右手、現在は古河第二高等学校の敷地内となっている場所には、江戸から十六里目の一里塚が遺されています。
この一里塚から約1㌔行った原町3丁目の三叉路には、かつてこの辺りが松並木であったことを後世に伝えるため、平成17年3月に植樹された若木の松が。
ここまで来れば、古河宿はすぐそこです。
利根川橋を渡って茨城県古河市に入ると、日光道中はすぐに左折して国道4号線から離れ、県道228号線となって次の古河宿を目指します。
約1.5㌔先、24分後にJR宇都宮線の「中田踏切」を渡ると、線路の西側に沿って北上。
大堤地区の雑木林を右手に見ながら過ぎ、その先の原地区の交差点から、今度は県道261号線に。
程なく右手、現在は古河第二高等学校の敷地内となっている場所には、江戸から十六里目の一里塚が遺されています。
この一里塚から約1㌔行った原町3丁目の三叉路には、かつてこの辺りが松並木であったことを後世に伝えるため、平成17年3月に植樹された若木の松が。
ここまで来れば、古河宿はすぐそこです。