dmenuニュースより
http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/politics/mainichi-20220708k0000m010186000c?fm=d
今日11:32、和州の近鐵大和西大寺驛付近で街頭演説中、四十一歳の海上自衞官“經験者”の男に背後から手製銃による銃撃を受け、12:20頃にドクターヘリで奈良縣立醫科大學付属病院へ緊急搬送されて集中治療室へ入ったが、彈が肩を貫通し、また一發は心臓に命中したこともあり、17:03に死去──
衝撃と、悲しみと、怒りを同時に覺える、決してあってはならない殺人事件である。
しかも享年六十七、私の師匠と殆ど変はらぬ若さだ。
小泉内閣の官房長官を經たのち内閣総理大臣を二度つとめ、八年八ヶ月の長きにわたった二度目の就任時には人災疫病禍が發生し、志村けんさんの急逝に象徴される如く治療法も治療藥も無い“為す術無し”な状況下、私のやうなヒマな人種に「無為無策の為政者代表」などと揶揄されながらも、全國民にマスクと十萬圓の給付を有言實行し、
一國の代表として國民の命を護る行動をしっかりと示す。
私にとっては、まうこの功績だけで充分である。
この時の布製マスクは現在も“御守り”として大切に保管しており、また給付金は人災疫病禍を生き抜く資金として、ありがたく受け取らせていただいた。
銃撃直前の映像を見ると、演説の聴衆のなかに、犯人の男がはっきりと映り込んでゐる。
(※・が犯人、・が安倍元首相)
この男の言ひ訳など聞いてやるまでもない。
問答無用の極刑である。
そして護衞たちにあきらかな手抜かりがあったことを、映像ははっきりと証明してゐる。
忘党主の言葉の通り、日本國は言論でたたかふ國であり、凶器や暴力でたたかふ國ではない。
政(まつりごと)への考へを示す手段として、私たちには“選挙權”がある。
「どうせ選挙に行っても……」云々を宣ふ者は、しょせん何事におゐても「どうせ」を言ひ訳に何もしない者である。
来る十日は、必ず選挙に行かうと強く思ふ。
政治家とは、はしなくも今回の惨事が示した如く、まさに命懸けの職業でもあり、近頃に見受けられる大學出の目立ちたがり屋がチャラチャラとしゃしゃり出て来られるやうな、そんなヌルイものではないはずなのである!
ともかくも安倍晋三元首相には、お気の毒であると衷心よりお悔やみを申し上げる。
合掌