上り同様にきつい勾配を下ること約25分、再び尾根を上がり、見晴らしのよい広場を抜け、また下り坂に入ったところが、“木曾十一宿”の南端、馬籠宿の入口。
この宿場の旧本陣に生まれた島崎藤村の名作、「夜明け前」でその名を馳せた宿場ですが、そもそもは山道づたいの小宿だったとか。
しかし、現在ではあまりにもキレイに観光地化されすぎて、お隣りの妻籠宿のような、いにしえの雰囲気は皆無。
ましてや、「夜明け前」の名文から感じられる風情をや。
私が訪れたとき、外国人観光客たちが母国語でワイワイやりながらウロついていたのも、その観光地臭さを助長していて、なんとも興醒め。
「なんかなぁ……」
と、立ち止まることなく、そのまま通過(上段写真は、彼らがいない隙を狙って撮ったもの)。
馬籠城址を右手に見て過ぎると、古道は再び長閑な風情を取り戻し、
ようやくホッとした気分に。
約20分後、江戸後期に他所から移って設けられたと云う新茶屋に到着。
ここには「新茶屋の一里塚」が、東西ともに残っています。
ここまでが、“木曾路”。
これよりさき旧中山道は、十石(じっこく)峠を経て、“美濃路”へと入って行きます。
この宿場の旧本陣に生まれた島崎藤村の名作、「夜明け前」でその名を馳せた宿場ですが、そもそもは山道づたいの小宿だったとか。
しかし、現在ではあまりにもキレイに観光地化されすぎて、お隣りの妻籠宿のような、いにしえの雰囲気は皆無。
ましてや、「夜明け前」の名文から感じられる風情をや。
私が訪れたとき、外国人観光客たちが母国語でワイワイやりながらウロついていたのも、その観光地臭さを助長していて、なんとも興醒め。
「なんかなぁ……」
と、立ち止まることなく、そのまま通過(上段写真は、彼らがいない隙を狙って撮ったもの)。
馬籠城址を右手に見て過ぎると、古道は再び長閑な風情を取り戻し、
ようやくホッとした気分に。
約20分後、江戸後期に他所から移って設けられたと云う新茶屋に到着。
ここには「新茶屋の一里塚」が、東西ともに残っています。
ここまでが、“木曾路”。
これよりさき旧中山道は、十石(じっこく)峠を経て、“美濃路”へと入って行きます。