迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

幕末妖狐傳。

2024-02-02 19:10:00 | 浮世見聞記


東京都大田區山王三丁目、古くは“荒蘭ケ崎(あらいがさき)”と云ったらしい高臺におはす熊野神社に、「狐碑」と云う古跡があると知り、興味を覺えて訪ね行く。



本殿の左脇に小さく佇んでゐる石碑がそれで、表面には謂れが刻まれてゐるものの一部が剥落しており、本文を転冩した傍らの識板によれば、江戸末期の文久元年、付近一帯の農作物を荒らす惡い狐を、武蔵國御嶽神社の神職・靱矢市正(ゆきや いちのかみ)が退治してこの場所に埋めた古跡云々、永久に掘り返すことなかれ云々──



実際に惡獣そのものを仕留めたと云ふより、獣害除けの修祓を行なった、と云ふことだらうか。

文久元年(1861年)と云へば、皇女和宮が十四代将軍德川家茂に降嫁するなど、大局では近代ニッポン誕生への激しい陣痛が始まりつつあった頃、一方で衆庶の世界では狐と云ふ、古来から田畠を荒らす差し迫った“敵”を退治すべく、傳奇じみた戦ひを挑んでゐたその違ひと感覺が、私には興味深い。


永遠に掘り返すなと戒められてゐたはずのこの碑、近代に入ってから掘り返した人がゐるとのことで、いつの時代にもダメと云はれたことをやりたがる人はゐるものだ。

ちなみに、碑の下には何が埋まってゐたのか、殘念ながらその結果までは傳はってゐない。


振り返れば、いい感じに古びた舞殿あり。



かういふ舞薹で、私はあれが舞ひたい、これが舞ひたい……。









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