翌日は、バイトはお休み。
午前中に画材屋さんで顔料を買って、午後は美術館へ。
丸の内にある大手企業の名を冠した美術館で、幕末に京都で活躍した絵師、冷泉為恭(れいぜい ためちか)の作品展が開催されているのだ。
ただし、今日は連れがいる。
待ち合わせ場所の丸ビル前に、その女性-馬川朋美は、約束の時刻ピッタリにやって来た。
「近江さん、おまたせ」
大学生と云うこの女性と知り合ったのは、今から半年前。
毎年秋に開催される市民芸術祭の絵画部門に、能の「紅葉狩」から取材した、「やえむぐら」と題した大和絵作品を出展し、市民ホール内の展示室でお客の反応を窺っていると、僕の前にいきなり現れて件の作品を絶賛してくれたのが、彼女だった。
突然のことで面食らう僕に、彼女は日本文化に自分はとても興味があり、同年代にこういった日本古来の絵を描く人がいるのは、
「これからの日本文化のためにも、とても心強いです」
といった言葉にすっかり感激して-何しろほかのお客たちは「若いのに珍しいものを描くね」といった程度で素通りしてばかりで、ちょっと腐りかけていたから-、ここから彼女との“お友達付き合い”が始まった。
いざ付き合い始めて、日本古来の文化に興味があると言ったわりには、その方面の知識が案外に乏しいことが気にはなったけれど、まあ現代(いま)のフツーの同年代なんてそんなもんか、とあまり気には留めないことにした。
今回の冷泉為恭展は、先日に彼女との他愛ないメールのやり取りをしたなかで、今度この展覧会を見に行くつもりだ、と送信したところ、ぜひわたしも連れて行って、と乗ってきたので、この流れとなった。
このコに為恭の復古大和絵なんて分かんのかなあと思ったけれど、真剣に展示物を見ているようで案の定、目は虚ろのようだった。
まぁ展覧会にかこつけて、ホントは近江章彦(ぼく)に逢いたかったんだろうな、なんて内心で自惚れてみることにしたりして…。
馬川朋美は、むしろその後で入った喫茶店からが、元気だった。
僕が美術館のエントランスにあるラックから貰ってきたほかの美術展のチラシをテーブルに出しても、今度これ良さそうだよねと、とりあえず相槌を打つ程度で、話題の中心は専らTVネタ。
あの芸能人はああだよねこうだよねetc…。
そのなかにはもちろん、宮嶋翔のことも出てくる。
「とにかくイケメンですよねぇ。わたしこの間、宮嶋翔が子役で出てる頃の映画のDVDを見つけちゃいましてね、『崩れるとき』って映画、知ってます?アレたぶん宮嶋翔がまだ中学生くらいだと思うんですけど、あの頃からめちゃくちゃ演技上手かったんですねぇ。顔だってヤバすぎ、ってくらい美少年だし。なんだか、顔立ちはそのままで、幼さだけが抜けて上手く大人になった、ってカンジしません?何だかわたし、観ているうちに吹いちゃって…」
よく語る、語る。
彼女は、僕と翔が実は親友同士であることを知らない。
話すつもりもない。
僕が中学以来付き合っているのは、プライベートの宮嶋翔だ。
“俳優”としての宮嶋翔とではない。
『章彦と二人でいる時が、いちばん自分らしくいられるんだ』-
お互い二十歳になって間もない頃、翔ははにかんだ顔で、でも真剣な瞳(め)で、僕にそう言ったことがある。
馬川朋美の雑談(おしゃべり)は、まだまだ続く。
僕はこうして彼女と云う大学生と会っているとき、ふと解らなくなる時がある。
僕は彼女から何を見出したくて、こうして付き合っているのだろう、と…。
その日の晩、僕は東北本線のくりこま駅で別れた、あの“たかしま はるや”さんの夢を見た。
彼女は、あの時観た「伊豆の踊子」の舞台衣裳を着た姿で、僕たちが偶然に再会した神社の石段に座って、三味線を弾きながら綺麗な声で、仙台の民謡「さんさ時雨」を唄っていた。
『お上手ですね』
僕は後ろから、“たかしま はるや”さんに声を掛けた。
すると彼女は、三味線を弾く手を止め、唄うのも止めて、僕を振り返った。
『でもわたしの声は、すっかり狂ってしまいました…』
おや、それは…。
と思った時、神社から列車の発車ベルが聞こえた。
そこで、目が醒めた。
〈続〉
午前中に画材屋さんで顔料を買って、午後は美術館へ。
丸の内にある大手企業の名を冠した美術館で、幕末に京都で活躍した絵師、冷泉為恭(れいぜい ためちか)の作品展が開催されているのだ。
ただし、今日は連れがいる。
待ち合わせ場所の丸ビル前に、その女性-馬川朋美は、約束の時刻ピッタリにやって来た。
「近江さん、おまたせ」
大学生と云うこの女性と知り合ったのは、今から半年前。
毎年秋に開催される市民芸術祭の絵画部門に、能の「紅葉狩」から取材した、「やえむぐら」と題した大和絵作品を出展し、市民ホール内の展示室でお客の反応を窺っていると、僕の前にいきなり現れて件の作品を絶賛してくれたのが、彼女だった。
突然のことで面食らう僕に、彼女は日本文化に自分はとても興味があり、同年代にこういった日本古来の絵を描く人がいるのは、
「これからの日本文化のためにも、とても心強いです」
といった言葉にすっかり感激して-何しろほかのお客たちは「若いのに珍しいものを描くね」といった程度で素通りしてばかりで、ちょっと腐りかけていたから-、ここから彼女との“お友達付き合い”が始まった。
いざ付き合い始めて、日本古来の文化に興味があると言ったわりには、その方面の知識が案外に乏しいことが気にはなったけれど、まあ現代(いま)のフツーの同年代なんてそんなもんか、とあまり気には留めないことにした。
今回の冷泉為恭展は、先日に彼女との他愛ないメールのやり取りをしたなかで、今度この展覧会を見に行くつもりだ、と送信したところ、ぜひわたしも連れて行って、と乗ってきたので、この流れとなった。
このコに為恭の復古大和絵なんて分かんのかなあと思ったけれど、真剣に展示物を見ているようで案の定、目は虚ろのようだった。
まぁ展覧会にかこつけて、ホントは近江章彦(ぼく)に逢いたかったんだろうな、なんて内心で自惚れてみることにしたりして…。
馬川朋美は、むしろその後で入った喫茶店からが、元気だった。
僕が美術館のエントランスにあるラックから貰ってきたほかの美術展のチラシをテーブルに出しても、今度これ良さそうだよねと、とりあえず相槌を打つ程度で、話題の中心は専らTVネタ。
あの芸能人はああだよねこうだよねetc…。
そのなかにはもちろん、宮嶋翔のことも出てくる。
「とにかくイケメンですよねぇ。わたしこの間、宮嶋翔が子役で出てる頃の映画のDVDを見つけちゃいましてね、『崩れるとき』って映画、知ってます?アレたぶん宮嶋翔がまだ中学生くらいだと思うんですけど、あの頃からめちゃくちゃ演技上手かったんですねぇ。顔だってヤバすぎ、ってくらい美少年だし。なんだか、顔立ちはそのままで、幼さだけが抜けて上手く大人になった、ってカンジしません?何だかわたし、観ているうちに吹いちゃって…」
よく語る、語る。
彼女は、僕と翔が実は親友同士であることを知らない。
話すつもりもない。
僕が中学以来付き合っているのは、プライベートの宮嶋翔だ。
“俳優”としての宮嶋翔とではない。
『章彦と二人でいる時が、いちばん自分らしくいられるんだ』-
お互い二十歳になって間もない頃、翔ははにかんだ顔で、でも真剣な瞳(め)で、僕にそう言ったことがある。
馬川朋美の雑談(おしゃべり)は、まだまだ続く。
僕はこうして彼女と云う大学生と会っているとき、ふと解らなくなる時がある。
僕は彼女から何を見出したくて、こうして付き合っているのだろう、と…。
その日の晩、僕は東北本線のくりこま駅で別れた、あの“たかしま はるや”さんの夢を見た。
彼女は、あの時観た「伊豆の踊子」の舞台衣裳を着た姿で、僕たちが偶然に再会した神社の石段に座って、三味線を弾きながら綺麗な声で、仙台の民謡「さんさ時雨」を唄っていた。
『お上手ですね』
僕は後ろから、“たかしま はるや”さんに声を掛けた。
すると彼女は、三味線を弾く手を止め、唄うのも止めて、僕を振り返った。
『でもわたしの声は、すっかり狂ってしまいました…』
おや、それは…。
と思った時、神社から列車の発車ベルが聞こえた。
そこで、目が醒めた。
〈続〉