迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

彼方なる華。

2021-10-27 21:12:00 | 浮世見聞記
學生時代に購入したと思はれる長唄のカセットテープが出てきたので、久しぶりに聴いてみる。



一曲目に収録されてゐる「京鹿子娘道成寺」は、この當時に好きだった芳村伊四郎師がタテを唄ってゐて、そのために歌舞伎座の晴海通りを挟んだ向かいにあったレコード店で購入したのではなかったか。


十一代目芳村伊四郎師は七代目芳村伊十郎の息で、人間國寶だった父とはまた異なる太くて通る唄聲が好きだったが、いつしか木挽町の舞台とは絶縁してしまい、とても落胆したものだった。

その後は長唄演奏會の告知などを注意して、出演者に名前があれば可能な限り聴きに出かけてゐたが、その出演すらも多くなく、いつしか縁遠くなった。


仄聞では、父親があまりに偉大であったがゆゑに苦勞が重なり、体調が思はしくない云々。

立派な父を持った子の典型のやうだが、私は父親云々など関係なく、芳村伊四郎師は古今亭志ん朝と合はせて現在も好きな藝能家だ。



木挽町ですっかりお目にかからなくなったと云へば、「京鹿子娘道成寺」も然り。



それだけ、この金のかかる舞踊に、色々な意味で耐へ得る人材がゐないと云ふことだ。

いかにも營利第一な興行會社、そのあたりだけは良識を心得てゐるらしい。


私がこの女形舞踊を最後に目にしたのは、木挽町の幕見席で観た十代目坂東三津五郎さんのものだ。

“坂東三津五郎”が本興行で娘道成寺を踊ったのは曾祖父の七代目以来のことで、


(※七代目坂東三津五郎の白拍子花子)

舞踊の教科書とも云ふべき端麗かつ氣力溢れる好舞台だった。

あの舞臺は観ておいて本當に良かったと、いまでも思ふ。

おかげで、娘道成寺をほかの立方で観る必要がなくなったのだから。



あのやうな華やかな舞踊劇は、確かな役者のほかに、演じてはならぬ。







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