迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

二十年前といふ昨日の記憶。

2018-06-18 22:33:15 | 浮世見聞記
今朝の大阪で発生した地震の被害状況が次第に判明するにつれて、耳馴染んだ地名が次々に出て来て、しかし自分は為す術もなし。


朝から情報に注意してゐたが、師匠のゐる四天王寺については何も伝わってこないところをみると、大きな損傷はなかったものと判断したい。



道頓堀の芝居小屋は、さすがに今日の公演を中止にしたらしい。

昭和天皇が崩御した日も、阪神淡路大震災が発生した日も、おのれの営利を最優先してシャギリを打たせた興行界の雄が、珍しく常識的な判断を下したものである。



鉄道の運行は止まったままのため、新淀川大橋を歩いて渡る人々の姿を、夕方の中継映像で見る。

そしてマイクを向けられた人々は一様に、阪神淡路大震災のときを思ひ出したと話してゐた。

私が大阪府民になって間もない頃、神戸の街にはまだわずかに更地が残ってゐて、映像でしか知らなかった震災が現実の出来事として、生々しく私に迫ってきたものだった。

が、間もなく街はすっかり復元され、あの当時の傷跡はメリケン波止場を残すくらゐとなった。


しかし、被災した人々の記憶は決して消えることはない──

ここに、改めて知る。







※追記 

道頓堀の芝居小屋は、昼の部のみ休演したとのこと。営利の雄は、やはりかうでなくてはならぬ。

また地元では、「こちらは大したことなく思ってゐるのに、マスコミは騒ぎ過ぎだ」といふ聲もあるらしい。

たしかに、小学校の塀が崩れたことについて、誰が造ったのかとしきりに犯人探しをして騒ひでゐる彼らの有様は、彼らが必ず陥るところの、ネタ切れによる論点のズレが始まってゐると映る。

また地震学者どもは、原因について話しをまとめられなかったらしい。

もっとも、おのれの考へばかりを主張して他人(ひと)の考へを貶すのが、かういふ学者どものシゴトゆゑ、放っておけばよい。

さりながら。

その災害を大したことなく思へるのは、その場にゐても自分は何事もなかったからである。

某鉄道で、ポイントの不具合によって隔駅停車が各駅停車に衝突した事故のとき、無傷で済んだ乗客がカメラを前に嬉しさうな表情でその瞬間を語ってゐたのと同じだ。

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