令和二年が始まって一ヶ月足らずで日本國内にも蔓延した、支那發の病菌。
以来、たびたび引き合ひに出される百年前の『スペイン風邪』につひて、少しでも當時を知らうと、東洋文庫「流行性感冒」(平凡社刊)を入手し通讀す。
この本は、スペイン風邪が終熄した翌年の大正十一年(1922年)、當時の内務省衞生局が編纂•刊行した報告書を翻刻したもの。
私のやうに醫學の知識が無いと難解な箇所はあるが、約百年が経った現在の、支那病菌騒動に宛てた“警告”とも取れる文言が實に多く含まれてゐることには驚かされる。
“三密”を避けることを既に指摘してゐるのはもちろんのこと、
「交通頻繁なる都市に発し之より放射状に其の周囲村落を侵襲する」
など、まさに現今の“東京問題”そのものだ。
そして有効予防策としては、“呼吸保護器”──すなはちマスクの着用を呼びかけ、しかも官が有志に大量に縫製させて國民へ廉価で配布したおかげで、マスクで暴利を貪る惡德業者を打尽出来たと誇らしげに綴ってゐる箇所などは、現今の“不衞生マスク”の一件における為政者代表と、おそろしく内容が酷似してゐる。
その一致ぶりは、むしろ“取り巻き”がこの先例を調べて耳打ちしたからではないか、と穿った見方すらしたくなるほどだ。
また、現今も完成が待たれるワクチンにつひては、スペイン風邪大流行時におゐてさへ、
『其注射成績に至ては使用後日尚浅くして未だ充分なる効果の判定を下し得ず要するに「ワクチン」の予防的実施は尚試験的使用の域にありと云ふべし』
と効果には心許ない有様、また大正九年(1920年)の“第二波”ではワクチンの製造が追ひ付かず、
『……如何せん予防液不足を告げ全部に之を実施するを得ざりし……』
と云った千葉県の例も發生した。
──ちなみにこの事實を裏付ける貴重な文書が、今年になって千葉県睦沢町の旧家から發見されてゐる。
そしてこの本の後半部(第六章第五節)には、とても気になる一文が。
事態終熄後の言として、
『然れども「インフルエンザ・パンデミー」は久しく其跡を絶ち、其病源の研究も不完全なる儘に放置せれし感ある本病の予防法が突差の間に完成せらるべきの理なく、……』
つまり、この時に研究が中途半端に終はったがために、百年後の我々がそのツケを拂はされてゐる……!?
實際、スペイン風邪が大正十年(1921年)夏頃に“第三波”をもって終熄したのち、人々はかつての猛威を瞬く間に忘れ去ったらしい。
おそらく、現在の支那病菌が終熄したのちも、さうなることだらう──現時点ですら、“終はったこと”にしたがるやうな愚者が、官民ふくめて多數ゐるのだから……。
だがこの資料は、病菌によるこの國難下を生き延びるための最高の方法を、ちゃんと明記してくれてゐる。
しかもそれは、誰にでも出来ることだ。
すなはち、
『本病は其の性質上之が予防警戒には殆ど各自の自衛心に俟つ外適切なる方策なき』
云々。
また、襲来するであらう“第二波”への警句、
『地震の震(ゆ)り返しよりも此病気の再発(ぶりかへし)は怖ろしい。』
──いま思ふに、それからわずか三年後に「関東大震災」が發生しやうなど、このとき誰が予想したらう。
それは、
令和二年(2020年)現在とて、
同じことだ。